1945年9月に録音された音楽

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1945年9月に録音された音楽

1945年9月は、第二次世界大戦の正式な終結と、戦後秩序の具体化が同時に進んだ月でした。9月2日、日本国代表は東京湾の戦艦ミズーリ(USS Missouri)艦上で降伏文書(Instrument of Surrender)に署名し、第二次世界大戦は終結しました。同日、ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh, 1890–1969)はハノイのバーディン広場でベトナム民主共和国(Democratic Republic of Vietnam)の独立宣言を読み上げました。9月6日、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884–1972)は戦時経済から平時経済への移行策を示す議会特別教書(Special Message to the Congress Presenting a 21-Point Program for the Reconversion Period)を提出しました。9月7日、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880–1964)は朝鮮に向けた布告第1号(Proclamation No. 1)を発し、南部朝鮮における軍政開始を告知しました。9月11日には外相理事会(Council of Foreign Ministers)の第1回会合がロンドンで始まり、講和処理と戦後外交の調整が本格化しました。9月15日、戦時情報局(Office of War Information)は廃止され、米国の戦時広報体制は再編へ移りました。同日、作曲家アントン・ヴェーベルン(Anton Webern, 1883–1945)がオーストリアのミッターシルで死亡しました。

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1945年9月の録音に関する情報のまとめ

1945年9月の録音業界では、終戦直後の市場再編を背景に、高価格帯素材盤の導入、放送用転写事業への進出、映画音楽出版との結合、独立系レーベルの製造・流通拡張が同時に進みました。大手ではアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)、コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)、デッカ・レコード(Decca Records)、キャピトル・レコード(Capitol Records)が具体的な動きを示し、独立系ではギルド・レコード・インコーポレイテッド(Guild Records, Incorporated)、シグネチャー・レコード(Signature Records)、マジェスティック・レコード(Majestic Records)、ミュージクラフト(Musicraft)、ジュエル・レコーディング社(Jewel Recording Co.)の活動が確認できます。9月の資料には、戦後需要の拡大を見据え、音源制作、製造設備、販売網、広告訴求をいずれも強化しようとする業界の姿が明確に表れています。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、レッド・シール(Red Seal)目録向けにヴァイナライト(Vinylite)盤を導入し、従来のシェラック盤とは別に高価格帯商品を展開しました。1945年9月の業界紙では、ヴァイナライト盤が1枚2ドル、シェラック盤が1枚1ドルとされ、既発シェラック盤の単純な再発ではなく、新録音のみをヴァイナライト盤に回す方針が報じられています。あわせて、レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski, 1882–1977)がアートゥル・ルービンシュタイン(Artur Rubinstein, 1887–1982)を独奏に迎え、セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff, 1873–1943)の《ピアノ協奏曲第2番》(Piano Concerto No. 2)をヴィクター向けに録音したことも伝えられました。さらに、ラウリッツ・メルヒオール(Lauritz Melchior, 1890–1973)とナディーン・コナー(Nadine Conner, 1907–2003)は、映画『トゥー・シスターズ・フロム・ボストン』(Two Sisters from Boston)の楽曲4面をヴィクター向けに録音しています。

コロムビア・レコーディング・コーポレーション

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、放送用転写事業への進出を具体的に検討していました。1945年9月26日号の『バラエティ(Variety)』は、同社が放送局向け転写部門の開設を構想し、広告代理店ベントン・アンド・ボウルズ(Benton & Bowles)を通じて、ニューヨークのディスク・ジョッキーを起用した30分番組パッケージを設計していると報じています。記事では、戦前からラジオ分野への関心を持ちながら、資材と生産設備の制約で実行できなかった構想が、終戦後に再び動き始めたことが説明されています。試験が成功した場合、番組内で使用する音楽を同社のポピュラー盤に限定する方針も示されました。

デッカ・レコード

デッカ・レコード(Decca Records)は、録音制作と出版事業の両面で活発な動きを見せました。ヴィクター・ヤング(Victor Young, 1900–1956)は、50人編成オーケストラを率いてセミクラシック盤6面を録音しました。また、マレーネ・ディートリヒ(Marlene Dietrich, 1901–1992)はデッカ・レコードとの録音契約を結び、初回録音をニューヨークで行う予定と報じられました。さらに、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)とジミー・ドーシー・オーケストラ(Jimmy Dorsey’s Orchestra)は、初の共演録音をハリウッドで行いました。ロメオ・ヴィンセント(Romeo Vincent, 生没年未確認)の新規録音契約、ランディ・ブルックス・オーケストラ(Randy Brooks Orchestra)とエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)の録音も報じられています。加えて、デッカ・レコード傘下のサン・ミュージック(Sun Music)は、コロムビア・ピクチャーズ(Columbia Pictures)作品から生まれる全楽曲の出版を担う取り決めを結び、映画音楽とレコード産業の結合を強めました。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records)は、コロムビア・レコード(Columbia Records)との発売競争をめぐる摩擦の中で存在感を示しました。1945年9月の『バラエティ(Variety)』は、ウディ・ハーマン(Woody Herman, 1913–1987)がコロムビア向けに録音した《ジー、イッツ・グッド・トゥ・ホールド・ユー》(Gee, It’s Good to Hold You)をめぐり、キャピトル・ソングズ(Capitol Songs)側の発売時期説明と、ジョー・スタッフォード(Jo Stafford, 1917–2008)によるキャピトル盤の先行発売が争点となったと報じました。この件は、終戦直後のポピュラー盤市場において、各社が話題曲の初動販売を強く意識していたことを示しています。

ギルド・レコード・インコーポレイテッド

ギルド・レコード・インコーポレイテッド(Guild Records, Incorporated)は、1945年9月の広告でジミー・リッチ(Jimmy Rich, 生没年未確認)の総支配人就任を告知しました。同広告は、優れた音楽人材の獲得と高品質録音の制作を今後の方針として掲げ、新譜の訴求も大きく展開しています。ボイド・レイバーン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Boyd Raeburn and His Orchestra)、ジョージ・パクストン・アンド・ヒズ・オーケストラ(George Paxton and His Orchestra)、ディジー・ガレスピー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Dizzy Gillespie and His Orchestra)、ジェラルド・クラーク・アンド・ヒズ・オリジナル・カリプソス(Gerald Clark and His Original Calypsos)などが広告面で押し出されており、独立系レーベルとして録音ラインアップを積極的に拡充していたことが確認できます。

シグネチャー・レコード

シグネチャー・レコード(Signature Records)は、製造能力の大幅な拡張を進めていました。1945年9月5日号の『バラエティ(Variety)』は、同社がニューヨークの製造工場を拡張し、クリスマスまでに合計30台のプレスを稼働させる見込みであると報じています。それまでジャズ録音を中心に事業を展開してきた同社は、新設備の導入によって活動範囲を広げる方針を示しており、戦後需要の拡大を見据えた独立系レーベルの設備投資として注目されます。

マジェスティック・レコード

マジェスティック・レコード(Majestic Records)は、1945年9月に新たな録音契約を成立させました。『バラエティ(Variety)』は、同社がリー・キャッスル(Lee Castle, 1915–1990)と契約し、28面分の録音を行う内容で合意したと報じています。大手ほどの生産規模を持たないレーベルでも、終戦後の市場拡張を背景に、具体的な録音面数を伴う新規契約を進めていたことがわかります。

ミュージクラフト

ミュージクラフト(Musicraft)は、新契約に基づく録音を実行段階へ進めました。1945年9月5日号の『バラエティ(Variety)』は、フランシス・ウェイン(Frances Wayne, 1924–1978)が新契約の最初の4面を録音したと報じています。記事は、彼女が当時ウディ・ハーマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Woody Herman and His Orchestra)の歌手であったことにも触れており、独立系レーベルが既に知名度のある歌手を取り込みながら商品力を高めようとしていたことが確認できます。

ジュエル・レコーディング社

ジュエル・レコーディング社(Jewel Recording Co.)は、販路拡大を目的とする大型流通契約を結びました。1945年9月の『バラエティ(Variety)』は、ベン・ポラック(Ben Pollack, 1903–1971)が率いる同社が、ニューヨークのモダン・ヴェンディング(Modern Vending)を東部代表とする5年契約を締結したと報じています。契約では、ニューヨーク州、ペンシルベニア州、コネチカット州、ニュージャージー州において、年間100万枚のレコードを受け入れ・流通させる枠組みが示されました。録音制作だけでなく販売網の確保が、戦後独立系レーベルの重要課題になっていたことを示す事例です。