1946年1月に録音された音楽
1946年1月は、第二次世界大戦後の新秩序が制度として動き始めた月でした。1日、日本では昭和天皇(裕仁,1901–1989)による新日本建設ニ関スル詔書が発せられました。4日には、戦時中に移送されていた神聖ローマ帝国の帝国宝物(Imperial Regalia of the Holy Roman Empire)がウィーンへ返還されました。10日、ロンドンで国際連合総会(United Nations General Assembly)第1会期が開幕し、同日、米国のプロジェクト・ダイアナ(Project Diana)は月面反射レーダー実験に成功しました。17日には国際連合安全保障理事会(United Nations Security Council)が初会合を開き、19日にはダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880–1964)が極東国際軍事裁判所(International Military Tribunal for the Far East)の設置を命じ、極東国際軍事裁判所条例(Charter of the International Military Tribunal for the Far East)を承認しました。24日には、国際連合総会決議第1号(Resolution 1 (I))により国際連合原子力委員会(United Nations Atomic Energy Commission)の設置が決定されました。米国では15日に電機産業、21日に鉄鋼産業で大規模ストライキが始まり、戦後経済の再編が労働問題を伴って進んでいたことも鮮明になりました。
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1946年1月の録音に関する情報のまとめ
1946年1月の録音関連業界では、戦後市場の拡大を見据えた専属契約の獲得、独立系レーベルの流通網拡張、放送関係者へのレコード供給方法をめぐる調整、企業買収による製造体制の再編が確認できます。とくに同月の『ザ・ビルボード(The Billboard)』には、コスモ・レコード社(Cosmo Records, Inc.)、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)、アメリカン・レコーディング・アーティスツ社(American Recording Artists, Inc.)、スターリング・レコード社(Sterling Records, Inc.)、ギルド・レコード社(Guild Records, Inc.)などの具体的な動きが掲載されており、戦後初期の米国レコード市場が再び活発化していた状況を示しています。
コスモ
コスモ・レコード社(Cosmo Records, Inc.)は、1946年1月5日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』で、ハル・マッキンタイア(Hal McIntyre, 1914–1959)との1年契約が報じられました。同記事によれば、契約は年間12枚・24面、印税6%、前払金なし、年間180万枚の最低保証を含む内容でした。戦後の大衆音楽市場で、独立系レーベルが有力楽団指揮者の専属化を通じて競争力を高めようとしていたことが確認できます。
- https://archive.org/stream/bub_gb_cxgEAAAAMBAJ/bub_gb_cxgEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Music-Miscellaneous/Record-Retailing-Yearbook-1946.pdf
デッカ
デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)については、1946年1月5日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』が、デトロイトで一部のディスクジョッキーに対する直接供給を停止し、通常の販売店経由でレコードを入手させる扱いが示された事例を報じています。ただし、同記事では同社関係者の説明が一致しておらず、この措置を全社一律の確定方針として断定することはできません。少なくとも1946年1月時点で、放送向けプロモーション盤の供給方法をめぐる調整が生じていたことは確認できます。
- https://archive.org/stream/bub_gb_cxgEAAAAMBAJ/bub_gb_cxgEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Music-Miscellaneous/Record-Retailing-Yearbook-1946.pdf
アメリカン・レコーディング・アーティスツ
アメリカン・レコーディング・アーティスツ社(American Recording Artists, Inc.)は、1946年1月5日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』の広告で、録音アーティスト陣と小売流通網の拡大に対応するため、ニューヨーク、シカゴ、ワシントンの拠点を前面に出し、出荷と販売対応の強化を告知しました。戦後市場の再拡大を見込み、同社が営業・配送体制を広げながらレーベル活動を進めていたことが資料上確認できます。
- https://archive.org/stream/bub_gb_cxgEAAAAMBAJ/bub_gb_cxgEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://www.asmac.org/wp-content/uploads/2013/06/ASMAC-Newsletter-1945-08.pdf
サヴォイ
サヴォイ・レーベル(Savoy label)は、1946年1月5日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』で、大都市圏における流通業者の任命を進めていると報じられました。記事では、ブルックリンのラジオ・アンド・レコード・ディストリビューティング・カンパニー(Radio and Record Distributing Company)が新たな取扱先とされ、同社が扱う複合型ラジオ蓄音機とサヴォイのアルバムを結びつける販売構想が示されています。戦後の独立系レーベルが、単独販売だけでなく新しい販路の組み合わせを模索していたことが確認できます。
スターリング
スターリング・レコード社(Sterling Records, Inc.)は、1946年1月5日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』の広告で、1946年もクラシック、ジャズ、レース・レコード(Race Records)を継続的に供給する方針を掲げました。年初広告として、同社が複数ジャンルを対象に定期的な商品投入を続ける姿勢を明確にしていたことが確認できます。
ギルド
ギルド・レコード社(Guild Records, Inc.)は、1946年1月5日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』で、エノック・ライト(Enoch Light, 1907–1978)との1年契約が報じられました。同記事では、契約後の最初の録音が1945年12月30日に行われ、1946年1月12日ごろの発売が予定されていると記されています。録音日そのものは前年12月ですが、1946年1月時点で同社が新規契約と新譜投入を進めていたことは確認できます。
ジェファーソン=トラヴィス
ジェファーソン=トラヴィス・コーポレーション(Jefferson-Travis Corporation)は、1946年1月にギルド・レコード社(Guild Records, Inc.)を取得しました。ラトガース大学所蔵資料の概要は、この取得に南ノーウォークのプレス工場が含まれていたことを示しており、同社がレコード事業を販売・製造の両面で拡張しようとしていたことが確認できます。1946年1月26日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』も、この買収を1月16日の出来事として報じています。
- https://archives.libraries.rutgers.edu/repositories/6/resources/697
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1946/BB-1946-01-26.pdf
アールシーエー・ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、1946年1月12日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』で、ベティ・ハットン(Betty Hutton, 1921–2007)との契約を発表したと報じられました。大手レコード会社が戦後市場に向けて知名度の高い歌手を積極的に確保していた動きの一例として確認できます。
