1946年6月に録音された音楽

この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク

1946年6月に録音された音楽

1946年6月は、戦後秩序の再編が政治・経済・社会の各分野で具体化した月です。イタリアでは6月2日、王政存続か共和政移行かを問う国民投票が実施され、共和政への移行を決定づける結果となりました。アメリカ合衆国では6月3日、アメリカ合衆国連邦最高裁判所(Supreme Court of the United States)がモーガン対バージニア州事件(Morgan v. Virginia)で州間バスにおける人種隔離規定を無効と判断し、公民権拡大の重要な転機となりました。6月7日には英国放送協会(British Broadcasting Corporation)が戦時中に停止していたテレビジョン放送を再開しました。6月14日、国際連合原子力委員会(United Nations Atomic Energy Commission)ではバルーク案(Baruch Plan)が提示され、原子力の国際管理をめぐる議論が本格化しました。6月19日には国際保健会議(International Health Conference)がニューヨークで開幕し、後の世界保健機関(World Health Organization)設立へつながる枠組みづくりが進みました。さらに6月25日、国際復興開発銀行(International Bank for Reconstruction and Development)が業務を開始し、戦後復興金融の制度的基盤が動き始めました。

この月の確認されている録音:0曲

1946年6月の録音に関する情報のまとめ

1946年6月の録音関連業界では、レコード会社が契約強化、広告投資、映像を用いた店頭販促、生産体制の補強、資本調達、制作拠点の拡張を同時に進めていました。大手各社では新契約や宣伝計画が相次ぎ、独立系各社でも工場取得や株式売り出し、西海岸録音体制の整備が進められています。戦後需要の拡大を背景に、録音事業は単なる新譜供給にとどまらず、製造・宣伝・資本政策を含む総合的な事業拡張の局面に入っていました。

アールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は、ハービー・フィールズ(Herbie Fields, 1919–1958)の新オーケストラと期間契約を結び、最初の録音を数週間以内にニューヨークで行う予定とされました。また、スパイク・ジョーンズ(Spike Jones, 1911–1965)のオーケストラは、同部門と新たに3年契約を結び、従来契約を前倒しで更新しました。1946年6月の同部門は、ポピュラー音楽とコメディ音楽の双方で有力タレントを引き留め、新しい録音供給を強化する姿勢を明確にしていました。

コロムビア

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、全国広告費を年内にさらに350,000ドル増額し、『ライフ(Life)』や『タイム(Time)』などの一般誌で、ポピュラー部門とクラシック部門の双方を対象に広告展開を強める方針を示しました。加えて、エイリーン・ファレル(Eileen Farrell, 1920–2002)と1年の独占契約を結び、最初の録音としてアイルランド民謡集のアルバムを予定しました。広告投資と声楽家の専属化を並行させる動きは、戦後市場でのブランド強化を重視した施策として確認できます。

キャピトル

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、ボブ・ホープ(Bob Hope, 1903–2003)のアルバム到着を題材にした16ミリカラー短編映画を販促用に準備し、小売音楽店での店内上映またはショーウインドー上映を構想しました。反応が良ければ同種の販促策を継続する方針も示されており、レコード販売と映像宣伝を結びつける試みが進められていました。1946年6月の同社は、商品そのものだけでなく、販売現場での演出方法を含めて需要喚起策を拡張していました。

デッカ

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、映画『ジョルソン物語(The Jolson Story)』と連動したアルバム企画を進め、収録曲数、盤面構成、映画宣伝との相互連携を協議しました。また、西海岸での生産不足を補うため、リー・レコード社(Lee Record Co.)と外部プレス契約を結び、月間500,000枚超の供給を期待していました。映画連動商品と生産委託の双方を進めた点に、需要拡大期の同社の積極姿勢が表れています。

マジェスティック・レコード

マジェスティック・レコード社(Majestic Records, Inc.)は、西海岸での録音活動を本格化させるため、ニューヨーク本社からベン・セルヴィン(Ben Selvin, 1898–1980)を送り、エンリック・マドリゲラ(Enric Madriguera, 1904–1973)の録音を進める計画を示しました。記事では、同社がバーバンクにプレス工場を持つ一方、西海岸には本格的な制作拠点をまだ整えていなかったことも記されています。1946年6月は、同社が東部中心の制作体制から西海岸展開へ踏み出す局面として位置づけられます。

キーノート・レコーディングス

キーノート・レコーディングス社(Keynote Recordings, Inc.)は、100,000株を1株3.79ドルで売り出す計画を進めました。あわせて、ハリウッドのジェネラル・レコード社(General Record Co.)買収を完了し、ニューヨークでは新工場建設を進めていました。さらに取締役会の再編も報じられており、資本調達、生産設備拡張、経営体制強化を同時に進める段階にありました。

ミュージクラフト・レコード

ミュージクラフト・レコード(Musicraft Records)は、ジェファーソン=トラヴィス社(Jefferson-Travis Corp.)との関係をめぐる報道に対し、経営側が企業支配に関する憶測を否定しつつ、密接な関係は認めました。同月には、ジョニー・バーク(Johnny Burke, 1908–1964)が西海岸の音楽監督に就任し、ハリウッドで行われる録音の監督を担うことになりました。さらに、同社の宣伝部門は新譜案内資料の情報量を増やし、批評家や紹介先向けの訴求を強めていました。