1946年5月に録音された音楽

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1946年5月に録音された音楽

1946年5月は、戦後秩序の再編が政治・社会・科学技術の各分野で進んだ月でした。5月3日、極東国際軍事裁判(International Military Tribunal for the Far East)で検察側の冒頭陳述が始まり、5日にはフランスで新憲法草案を問う国民投票が実施され、草案は否決されました。7日には東京通信工業株式会社(Tokyo Telecommunications Engineering Corporation)が設立され、11日には協同援助救援協会(Cooperative for American Remittances to Europe)の初回ケア・パッケージがフランスのル・アーヴルへ到着しました。16日にはジャック・マリン(John T. Mullin, 1913–1999)が無線技術者協会(Institute of Radio Engineers)で磁気テープ録音機マグネトフォン(Magnetophon)を実演し、21日にはロスアラモス研究所(Los Alamos Laboratory)でルイス・スローティン(Louis Slotin, 1910–1946)の臨界事故が発生しました。22日には第1次吉田内閣が成立し、25日にはトランスヨルダンが独立を宣言しました。

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1946年5月の録音に関する情報のまとめ

1946年5月の録音産業では、戦後需要の拡大を背景に、大手企業の生産増強、児童向け企画盤の制作、人気楽団との大型契約、販売網の再編、プレス供給体制の補強、企業買収が同時に進みました。当月の業界紙では、個別の新譜案内に加え、録音商品を大量に市場へ供給するための製造・流通・権利処理の動きが具体的に現れています。

デッカ・レコード

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、1946年5月時点で、同年秋までに月間1,000万枚規模のレコード生産を目指す計画を進めていました。『ヴァラエティ(Variety)』は、アルバム需要の拡大が生産全体の大きな比重を占めつつあると報じており、同社が戦後市場の成長を見込んで供給能力の引き上げを図っていたことが確認できます。

コロンビア・レコード

コロンビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)では、フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)に関係する楽曲の発売順をめぐり、バートン・ミュージック・コーポレーション(Barton Music Corporation)との調整問題が業界紙で報じられました。これは、戦後の人気歌手ビジネスにおいて、録音会社と音楽出版社の権利処理、発売時期、競合盤への対応が重要な経営課題になっていたことを示しています。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)は、ジョン・ガーフィールド(John Garfield, 1913–1952)を起用した児童向け6面組アルバム『ラビット・タウン(Rabbit Town)』の制作を進めました。『ヴァラエティ(Variety)』は、この企画を人種的寛容を主題とする児童向け作品として報じ、音楽はアレック・ワイルダー(Alec Wilder, 1907–1980)が担当し、録音は5月6日と8日に予定されていたと伝えています。録音産業が娯楽商品だけでなく、教育的・社会的意図を持つ企画盤にも展開していたことが確認できます。

ミュージクラフト・レコード

ミュージクラフト・レコード・インコーポレイテッド(Musicraft Records, Inc.)は、1946年5月にニューヨーク州で再編され、同月にはニューヨーク都市圏とニュージャージー州向けの販売網としてミュージクラフト・ディストリビューティング・カンパニー(Musicraft Distributing Company)の整備が進められました。さらに同月、デューク・エリントン(Duke Ellington, 1899–1974)との3年契約が報じられ、同社が戦後のポピュラー音楽市場で大物アーティストの獲得を重視していたことが明らかになっています。月末には西海岸拠点の設置計画も伝えられ、同社は制作・流通の両面で事業拡大を進めていました。

フォー・スター・レコード

フォー・スター・レコード(4-Star Records)は、1946年5月に事業譲渡が報じられ、新しいシンジケートが同社を買収しました。『ヴァラエティ(Variety)』によれば、この取引には関連レーベル、加工設備、事務所施設が含まれており、戦後の独立系レコード会社において、経営権移動と生産基盤の再編が進んでいたことを示しています。

エーアールエー・レコード

エーアールエー・レコード(ARA Records)は、1946年5月にオリンピック・レコード・コーポレーション(Olympic Record Corporation)との間で、6か月にわたり月間50万枚のプレス供給を受ける契約を結んだと報じられました。同社は自社工場を持っていましたが、需要に対する生産増強が十分ではなく、外部プレス能力を活用することで供給体制を補強しようとしていたことが確認できます。