1947年12月に録音された音楽
1947年12月は、戦後世界の再編が政治・社会・文化・科学の各分野で明確に進んだ月でした。12月3日、テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams, 1911–1983)の戯曲『欲望という名の電車』(A Streetcar Named Desire)がブロードウェイで初演されました。12月4日、アメリカ合衆国対ヨーゼフ・アルトシュテッターほか事件(United States of America v. Josef Altstoetter, et al.)で判決が示されました。12月6日、ケンブリッジ大学(University of Cambridge)は、女性に正式な学位取得を可能にする規程変更を承認しました。12月11日、英国植民地大臣アーサー・クリーチ・ジョーンズ(Arthur Creech Jones, 1891–1964)は、パレスチナ委任統治(Mandate for Palestine)の終了時期として1948年5月15日を示しました。12月19日、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884–1972)は、欧州復興計画(European Recovery Program)の実施を求める特別教書を議会へ送りました。12月23日、ベル・テレフォン・ラボラトリーズ社(Bell Telephone Laboratories, Inc.)では、ジョン・バーディーン(John Bardeen, 1908–1991)とウォルター・ハウザー・ブラッテン(Walter Houser Brattain, 1902–1987)が点接触型トランジスタを研究所幹部に示しました。12月30日には、ミハイ1世(Michael I of Romania, 1921–2017)が退位し、ルーマニア人民共和国(Romanian People’s Republic)が宣言されました。
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1947年12月の録音に関する情報のまとめ
1947年12月の録音業界では、1948年初頭に迫ったアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)による録音停止を意識し、複数の会社が録音、契約、販売網、流通体制を調整していました。大手レコード会社は新規録音や販促の準備を進め、独立系会社は専属契約や地域販売網の整備を急ぎました。輸入盤を扱うロンドン・レコード(London Records)は米国市場での供給力を強め、販売会社や蓄音機関連企業も年明けを見据えた再編を公表しています。自動演奏機市場では、ジュークボックス運営者から2分盤への要求が高まり、盤の耐久性や品質改善を求める声も同時に表面化しました。
デッカ・レコード・インコーポレイテッド
デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、1948年初頭の録音停止を目前にして業界全体の録音日程が過密化する中でも、他の主要会社より抑制的な録音計画を維持していました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号は、同社の録音規模が競合大手よりかなり小さい水準に置かれていたと報じています。一方で、同月には複数の主力歌手の録音を進めており、完全な停滞ではなく、需要を見極めた選別的な録音対応が採られていました。
コロムビア・レコード社
コロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)は、1947年12月に生産・計画・日程管理部門の人事を動かすとともに、販売促進施策を強化しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号によれば、同社は大規模な販促キャンペーンと連動して、ディスクジョッキーおよびジュークボックス運営者向けの情報提供制度を整えました。新譜情報、上位盤一覧、写真資料、報道素材を流通経路経由で届ける仕組みは、12月15日発売分から始まると説明されています。
ロンドン・グラモフォン社
ロンドン・グラモフォン社(The London Gramophone Corporation)は、ロンドン・レコード(London Records)の米国流通網を1947年12月時点で急速に拡大していました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号は、同社が米国人口の82%を覆う販売・流通網を事業開始後3か月で整え、さらに30日以内の全国展開を見込んでいたと報じています。英国ではサウサンプトンの新工場が12月下旬に稼働予定とされ、輸入盤供給の強化も進められていました。加えて、南カリフォルニア地区ではウィルフォード・ブラザーズ(Wilford Bros.)が販売代理店に任命され、ロサンゼルスで小売店向けの紹介会も開かれました。
アポロ・レコード社
アポロ・レコード社(Apollo Records, Inc.)は、1947年12月に専属契約を拡充しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号では、ラテン音楽系アーティストとの独占録音契約を結び、数日以内に録音セッションを予定していたことが報じられています。さらに女性歌手との契約も発表され、同社が年末時点でカタログ拡大と人材確保を同時に進めていたことが確認できます。
マジェスティック・レコード社
マジェスティック・レコード社(Majestic Records, Inc.)は、1947年12月に専属契約をめぐる争点を抱えながら、販売面では強い反応を得ていました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号は、同社と専属アーティストとの契約関係が民事裁判へ進む見通しを伝えています。一方で、同月の新作盤はニューヨーク地区で初期供給分を使い切り、2万枚超の受注残を抱えるほどの反響を示したと報じられました。契約上の不安定さと販売上の勢いが同時に表れた月でした。
モダン・ミュージック・セールス社
モダン・ミュージック・セールス社(Modern Music Sales Corp.)は、1947年12月にコースト・レコード(Coast Records)とピアレス・レコード(Peerless Records)の独占販売権を取得しました。販売対象はニューヨーク州、ニュージャージー州、コネティカット州、デラウェア州、メイン州、バーモント州、ニューハンプシャー州、ロードアイランド州、マサチューセッツ州、ペンシルベニア州に及び、東部市場での流通基盤が一段と広がりました。同社はさらに、シグネチャー・レコード(Signature Records)の東部地域独占販売も扱っていたと報じられています。
ルドルフ・ウーリッツァー社
ルドルフ・ウーリッツァー社(The Rudolph Wurlitzer Company)は、ニューヨーク地区の販売体制を再編しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号は、ニューヨーク市における同社販売拠点の運営が新体制へ移行し、その変更が1948年1月1日から有効になると報じています。ジュークボックス市場の年明け需要を前に、販売網の実務体制を整えた動きとして確認できます。
アールシーエー・ヴィクター部門
アールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division, Radio Corporation of America)は、1947年12月に児童向け録音商品の新企画を取り込みました。『ビルボード』(Billboard)1947年12月27日号は、同部門が『マイ・マジック・ミラー』(My Magic Mirror)と題する新しい児童向けアルバム企画を買い取ったと報じています。記事では、オリジナル楽曲と表紙側の仕掛けを組み合わせた商品構想が説明されており、同部門が子ども向けレコード市場の拡張を進めていたことが確認できます。
マーキュリー・レコード
マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、1947年12月末に創業2周年を迎え、独立系レコード会社としての存在感を強めていました。『ビルボード』(Billboard)1947年12月27日号は、同社が初期発売から2年を経た節目を迎えたことを伝えています。また、『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月27日号は、マーキュリー・レコードがテッド・ウィームス・オーケストラ(Ted Weems Orchestra)と録音契約を結んだと報じました。節目の年末に、新たな録音戦力の確保も進められていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1947/BB-1947-12-27.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/40s/47/CB-1947-12-27.pdf
モダン・レコード
モダン・レコード(Modern Records)は、1947年12月に新たな男性歌手の獲得を公表しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号によれば、同社は従来バンド名義で録音していた歌手を、今後は独唱者として起用する方針を示しています。これは、既存の演奏主体から歌唱主体へ訴求を切り替える企画判断として読め、同社のカタログ構成の変化を示す動きでした。
ブレット・レコード
ブレット・レコード(Bullet Records)は、1947年12月に生産体制の拡張を進めていました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1947年12月20日号は、同社の『ニア・ユー』(Near You)が自動演奏機市場で大きな反応を呼んでいたことに触れつつ、ナッシュビルの新しいプレス工場が1948年1月1日に稼働予定であると報じています。ヒット盤の反響と工場拡張が同時に示された点は、地方発の独立系会社が急速に事業規模を広げていたことを示しています。
