1947年3月に録音された音楽
1947年3月は、戦後秩序の制度化と国際対立の輪郭が同時に鮮明になった月でした。3月1日、国際通貨基金(International Monetary Fund)が業務を開始し、戦後の国際通貨体制は実務段階に入りました。3月4日には、英国とフランスが同盟相互援助条約(Treaty of Alliance and Mutual Assistance)に署名しました。3月12日、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884–1972)は連邦議会合同会議でギリシャとトルコへの支援を求める演説を行い、後にトルーマン・ドクトリン(Truman Doctrine)と呼ばれる外交方針の基礎を示しました。3月13日には第19回アカデミー賞授賞式(19th Academy Awards)が開催されました。3月14日、フィリピンとアメリカ合衆国は軍事基地に関する協定(Agreement between the United States of America and the Republic of the Philippines Concerning Military Bases)に署名しました。3月26日、国際連合信託統治理事会(United Nations Trusteeship Council)が第1回会合を開きました。さらに3月29日、マダガスカルでは反植民地蜂起が始まり、独立運動史上の重要な転機となりました。
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1947年3月の録音に関する情報のまとめ
1947年3月の録音関連資料からは、戦後の消費需要を背景に、レコード会社が販売教育、国内外の流通網整備、新規録音契約、海外展開を同時に進めていたことが確認できます。再生機器分野でも、レコード・プレーヤー、ラジオ蓄音機、子ども向け蓄音機の新製品投入や生産拡張が相次ぎました。大手企業では、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)が販売研修を再開し、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は過去最高水準の業績を公表しました。新興レーベルや中堅企業も流通強化と市場参入を進めており、1947年3月は、戦後レコード市場の再編と拡張が業界全体で具体化した月でした。
アールシーエー・ヴィクター
ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は、1947年3月に戦時中中断していた販売店向け研修制度の再開を発表しました。新たな研修は「ナウ・スクール(Now School)」と称され、3月10日のニューヨーク開催を皮切りに、アトランタ、クリーブランド、シカゴ、ダラス、サンフランシスコで地域会合を行う計画が示されました。内容は在庫管理、陳列販売、関連商品の提案、広告支援と販売促進の結び付きなど、レコード販売の実務に直結する項目で構成されていました。
デッカ・レコード
デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1947年3月に1946年業績を公表しました。純売上高は30,675,381ドル、純利益は1,944,538ドルで、同社史上最高水準に達したと報じられています。さらに同社は、需要に供給が追い付いていない状況を示しつつ、既存設備の活用によって生産量を少なくとも30%引き上げたいとの見通しを示しました。また、ザ・デッカ・レコード社(The Decca Record Co., Ltd.)との新協定により、英国デッカのフル・フリークエンシー・レンジ・レコーディング(Full Frequency Range Recording)盤をアメリカ合衆国で流通できる体制が整えられたことも確認できます。
キャピトル・レコード
キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1947年3月に国際録音分野と海外配給分野への拡張を発表しました。業界紙は、同社が国際部門を新たに強化し、海外市場に向けた録音・販売体制の整備を進めていることを伝えています。戦後のレコード市場が国内販売の回復だけでなく、国際的な流通拡大へ向かっていたことを示す動きでした。
コロムビア・レコード
1947年3月下旬の業界紙は、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)が同週にコロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)へ改称されたと報じています。記事は、新社名のもとで財務報告が出されたことを伝えており、同社が企業名称と対外発信を再整理していた時期であることが確認できます。ただし、法的な改称発効日の詳細は、この資料だけでは確定できません。
エムジーエム・レコード
エムジーエム・レコード(M-G-M Records)は、1947年3月に地域流通網の整備を急速に進めました。スーズ・ヤング・アンド・ブラウン社(Sues, Young & Brown, Incorp.)は3月1日、カリフォルニア州全域の同レーベル配給拠点としてサンフランシスコ事業所を開設しました。3月中旬には、ゼニス・ラジオ社(Zenith Radio Corp. of New York)がニューヨーク州とニュージャージー州の販売店向けに最初のエムジーエム・レコードを出荷したと報じられています。さらに、グレイバー・エレクトリック社(Graybar Electric Co.)がアトランタ地域の販売を担当することになり、南部市場への展開も進められました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Weekly/1940s/1947/Radio-%26-Television-Weekly-1947-03-05.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Weekly/1940s/1947/Radio-%26-Television-Weekly-1947-03-12.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Weekly/1940s/1947/Radio-%26-Television-Weekly-1947-03-19.pdf
ナショナル・レコード
ナショナル・レコード(National Records)は、1947年3月に新たな販売網を拡張しました。業界紙は、ケントワース社(Kentworth Corp.)、ガス・エンジン・アンド・エレクトリック社(Gas Engine and Electric Co.)、アミューズメント・エンタープライジズ(Amusement Enterprises)の3社が新規配給業者に任命されたと報じています。あわせて、同社はレッド・マッケンジー(Red McKenzie, 生没年不明)との長期録音契約も発表しており、販売拡大と録音活動の両面を強化していました。
ディスク・カンパニー・オブ・アメリカ
ディスク・カンパニー・オブ・アメリカ(Disc Co. of America)は、1947年3月に海外流通網の整備を進めました。業界紙は、同社のレコード・ラインについて、イタリアとフランスで新たな配給体制が決まったと報じています。国内市場の拡大と並行して、戦後ヨーロッパ市場への販路形成を進めていたことが確認できます。
ゴッサム・レコード
ゴッサム・レコード社(Gotham Record Corp.)は、1947年3月に新作シングル2組の発売を業界向けに案内しました。資料は、同社が新譜投入を継続し、販売店向けに具体的な発売情報を発信していたことを示しています。小規模レーベルも戦後需要を見据えて新譜供給を活発化させていました。
コンチネンタル・レコード
コンチネンタル・レコード社(Continental Record Co.)は、1947年3月に販売体制の全国拡張を発表しました。従来は自社の配給拠点を通じて販売していましたが、各地で新たな配給業者の任命を進める方針を示しました。また、同社は月12点から15点の新録音を継続的に発売する計画を明らかにしており、レパートリー拡充と販路拡大を同時に進めていました。
レインボー・レコード
レインボー・レコード(Rainbow Records)は、1947年3月に新譜4組とアルバム1組の供給を業界向けに案内しました。資料は、同社が創設間もない段階で複数の新作をまとめて市場へ投入していたことを示しています。新興レーベルが短期間で商品展開を進め、競争の激しい戦後市場に参入していた動きの一例です。
アドヴァンス・レコード
アドヴァンス・レコード(Advance Records)は、1947年3月にレコード市場への参入を発表しました。業界紙は、同社が最初の録音商品を用意し、新規レーベルとして販売活動を開始したと伝えています。1947年の市場拡大局面では、新規資本によるレーベル参入も目立つようになっていました。
メロディ・レコード・サプライ
メロディ・レコード・サプライ社(Melody Record Supply Co.)は、1947年3月に子ども向けレコードを扱うホライズン・レコード社(Horizon Record Co.)の配給業者に任命されたことを明らかにしました。さらに、モナーク・レコード社(Monarch Records, Inc.)によるアルバム商品の配給も担うことが報じられています。専門分野をもつレコード供給会社が、教育用・児童向け市場の広がりに対応して流通網を整えていたことが確認できます。
ロンドン・グラモフォン
ロンドン・グラモフォン社(London Gramophone Corp.)は、1947年3月に英国製のばね巻き式アコースティック・ポータブル蓄音機のアメリカ合衆国での配給を開始しました。資料によれば、この製品は携帯性を重視した構成で、休暇、海浜地、夏季需要を見込んだ商品として位置付けられていました。電気式機器の普及が進む一方で、持ち運び可能な蓄音機にもなお一定の市場があったことを示しています。
シンフォニック・ラジオ・アンド・エレクトロニック
シンフォニック・ラジオ・アンド・エレクトロニック社(Symphonic Radio & Electronic Corp.)は、1947年3月に新しいレコード・プレーヤー7機種を発表しました。価格帯は24.50ドルから109.95ドルまでで、小型卓上機、ポータブル機、高級コンソール機を含んでいました。とくに高級機は、レコード収納部、増幅器、自動レコード交換機構を備えた家庭用再生機器として紹介されています。
メロ・チューン・マニュファクチャリング
メロ・チューン・マニュファクチャリング社(Mello-Tune Manufacturing Co.)は、1947年3月に電気式蓄音機の需要増加に対応するため、生産設備の拡張を発表しました。さらに新しいコンソール型機種を加え、販売地域の拡大に向けて新規配給業者の受け入れ余地があることも示しました。これは、中価格帯の家庭用再生機器市場が拡大していたことを反映する動きでした。
マーシー・ラジオ・ラボラトリーズ
マーシー・ラジオ・ラボラトリーズ(Mersey Radio Laboratories)は、1947年3月に子ども向け蓄音機ピード・パイパー(Pied Piper)と、ティーンエイジャー向け機種の生産開始を発表しました。子ども向け機種には、専用キャビネット、3球増幅器、5インチ・スピーカー、保護設計を備えると説明されています。レコード消費の裾野が成人市場だけでなく、児童・若年層向けにも広がっていたことを示す事例です。
デイヴィッドソン・マニュファクチャリング
デイヴィッドソン・マニュファクチャリング社(Davidson Mfg. Co.)は、1947年3月に自社製レコード・プレーヤー2系列について、7社の新規配給業者を任命したと発表しました。記事は、南部を中心とした複数地域で流通網を拡大していることを伝えています。製品供給だけでなく、地方市場への販売浸透を重視した動きでした。
コロネット・レコード
コロネット・レコード社(Coronet Records, Inc.)は、1947年3月にトミー・ディックス(Tommy Dix, 生没年不明)との長期録音契約を発表しました。資料は、同社が新規アーティストの囲い込みを通じて録音計画を強化していたことを示しています。戦後のレーベル競争では、販売網の整備と並行して、歌手との専属契約も重要な企業活動となっていました。
フィルコ
フィルコ社(Philco Corp.)は、1947年3月に新型ラジオ3機種の生産開始を発表し、そのうち2機種をコンソール型ラジオ蓄音機として展開しました。資料は、標準放送と周波数変調放送に対応し、自動レコード交換機構を備えた家庭用機種の出荷が始まることを伝えています。家庭内での音楽再生需要に対応した製品強化が進められていました。
ファーンズワース・テレビジョン・アンド・ラジオ
ファーンズワース・テレビジョン・アンド・ラジオ社(Farnsworth Television & Radio Corp.)は、1947年3月に新しい周波数変調放送・振幅変調放送対応のラジオ蓄音機2機種を発表しました。最初の出荷は3月中に販売店へ届く予定とされ、さらに夏までに追加機種を投入する方針も示されました。ラジオ受信機とレコード再生機能を統合した高級家庭機の市場拡大が確認できます。
ワーウィック・マニュファクチャリング
ワーウィック・マニュファクチャリング社(Warwick Mfg. Corp.)は、1947年3月にクラリオン(Clarion)製品の販売関係者へ新機種4モデルを披露しました。その中には、自動レコード交換機構を備えたコンパクトなコンソール機も含まれていました。ラジオ機器メーカーが、再生装置の機能強化を通じて音楽消費市場への対応を深めていたことが確認できます。
