1948年に録音された音楽

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1948年に録音された音楽

1948年は、第二次世界大戦後の国際秩序が「協調」から「対立」へと決定的に傾いた年でした。ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)が西側管理地区への陸上輸送を遮断したベルリン封鎖(Berlin Blockade)は1948年6月24日に始まり、生活物資の補給を航空輸送で維持するベルリン空輸(Berlin Airlift)へと発展します。政治面では、チェコスロバキア共和国(Czechoslovak Republic)でチェコスロバキア共産党(Communist Party of Czechoslovakia)が政権掌握を進め、東西の境界線が制度としても固定化していきます。経済面では、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884–1972)が経済協力法(Economic Cooperation Act of 1948)に署名し、ジョージ・C・マーシャル(George C. Marshall, 1880–1959)の構想に由来する欧州復興計画(European Recovery Program)が具体的な資金と制度の形を取りました。

戦後社会の再建は、武力や経済だけでなく「制度」と「規範」の側面でも進みます。世界保健機関(World Health Organization)は憲章が1948年4月7日に発効し、感染症対策から公衆衛生までを扱う国際的な枠組みが本格稼働しました。国際連合平和維持活動(United Nations Peacekeeping)の初期の取り組みとして国際連合休戦監視機構(United Nations Truce Supervision Organization)が設置され、停戦監視という実務が国際連合(United Nations)の任務として定着していきます。さらに、国際連合総会(United Nations General Assembly)はパリ(Paris)で世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)を1948年12月10日に採択し、その前日にはジェノサイド犯罪の防止及び処罰に関する条約(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)を採択しました。

同年は、植民地体制の再編と地域紛争の噴出も目立ちます。アジアではビルマ連邦(Union of Burma)やセイロン自治領(Dominion of Ceylon)が独立国家として歩み始める一方、マラヤ危機(Malayan Emergency)が始まり、冷戦の波が帝国の周縁へも及びました。中東ではイスラエル国(State of Israel)が1948年5月14日に独立を宣言し、第一次中東戦争(1948 Arab–Israeli War)へとつながる武力衝突が拡大します。宗教・共同体・国家という帰属をめぐる緊張は、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869–1948)の1948年1月30日の暗殺という衝撃も伴い、非暴力と民族自決の理念が厳しく試されました。アフリカでは南アフリカ連邦(Union of South Africa)で国民党(National Party, South Africa)が政権を担い、アパルトヘイト(Apartheid)という名が1948年ごろから公的に用いられ、制度化された分離の時代が始まります。

文化と技術の側面では、戦時の動員が生んだ研究開発が「日常の道具」へ降りてくる動きが加速しました。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)で開催された1948年ロンドンオリンピック(1948 Summer Olympics)は平時の国際競技が戻ってきた象徴であり、ファニー・ブランカース=クーン(Fanny Blankers-Koen, 1918–2004)らの活躍が世界の関心を集めました。録音文化に直結する変化として、コロンビア・レコード(Columbia Records)が33 1/3回転のロングプレイ盤(Long-playing record)を1948年に導入し、長時間再生を前提とする作品提示や家庭内鑑賞のスタイルが現実味を帯びます。ニュース、スポーツ、音楽をめぐる「同時代の体験」が再び国境を越えて共有されていく一方で、その共有を支える制度・技術・メディアが、対立と再建の同じ年に同時進行で整えられていきました。