1949年6月に録音された音楽

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1949年6月に録音された音楽

1949年6月は、政治、科学技術、文学、スポーツの各分野で後世に影響を残す動きが相次ぎました。6月5日、オラピン・チャイヤカン(Orapin Chaiyakan, 1904–1996)がタイ王国下院(House of Representatives of Thailand)議員に当選し、同国議会に選出された最初の女性となりました。6月8日には、ジョージ・オーウェル(George Orwell, 1903–1950)の小説『一九八四年』(Nineteen Eighty-Four)がイギリスで刊行されました。6月14日、サイゴンではバオ・ダイ(Bảo Đại, 1913–1997)とレオン・ピニョン(Léon Pignon, 1908–1976)の書簡交換により、エリゼ協定(Élysée Agreement)が実施段階に入りました。同日、アメリカ合衆国ではアカゲザルのアルバート二世(Albert II)を搭載したV-2ロケット実験が高度83マイルに達しました。6月16日–17日には、マンチェスター・マーク1(Manchester Mark 1)が9時間連続の無障害運転を記録しました。6月19日には、全米ストックカー自動車競走協会(National Association for Stock Car Auto Racing)による最初のストリクトリー・ストック競走(Strictly Stock race)が開催されました。

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1949年6月の録音に関する情報のまとめ

1949年6月の録音産業では、長時間盤と45回転盤をめぐる新規格競争が、販売実績、物流、廉価盤戦略、新素材の導入、広告展開にまで広がっていました。コロムビア・レコード(Columbia Records)は長時間盤の普及を背景に新たな廉価レーベル構想を進め、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は45回転盤の迅速配送制度を整えました。ロンドン・レコード(London Records)は長時間盤参入を準備し、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)はアルバム企画を進め、マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)は販売促進活動を強化していました。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)の長時間盤は、発売から1年を迎える1949年6月時点で大きな販売実績を記録していました。『ザ・ビルボード(The Billboard)』1949年6月18日号は、同社のマイクログルーヴ長時間盤について、同月末までに累計約350万枚へ達する見通しを伝えています。同記事では、家庭内の長時間盤再生機または再生アタッチメントが約75万台–100万台に及ぶとの説明も掲載されました。

同号はまた、コロムビア・レコード(Columbia Records)とヴァーシティ・レコード(Varsity Records)の協業によるハーモニー・レコード(Harmony Records)構想を報じました。記事では、コロムビア側が録音と製造を担い、ヴァーシティ側が販売を担当する体制が説明され、ハーモニー・レコード(Harmony Records)は49セント盤として展開される計画だったとされています。長時間盤で高価格帯市場を押さえる一方、廉価盤でも新たな販売線を築こうとする動きが確認できます。

アールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は、45回転盤の販売拡大に向けて物流制度の整備を進めました。『ザ・ビルボード(The Billboard)』1949年6月4日号は、同部門が「45トリプル・エス配送制度(45 Triple S Delivery System)」を準備していたと報じています。記事では、東海岸地区での試験運用を想定し、販売店からの注文を1日2回集約し、カムデンの工場で処理したうえで、可能な場合は航空速達で直送する構想が説明されています。

この制度は、ヒット盤を店舗へ速やかに供給することを目的とし、多くの場合24時間以内、ほぼすべての場合48時間以内の到着を見込むものとされました。1949年6月の時点で、45回転盤は単なる新規格の提示にとどまらず、販売速度そのものを競う段階へ進んでいたことが分かります。

ロンドン・レコード

ロンドン・レコード(London Records)は、1949年6月に長時間盤市場への本格参入準備を進めていました。『ザ・ビルボード(The Billboard)』1949年6月25日号は、同社が33 1/3回転の長時間盤を発売する計画を決めたと報じています。記事では、新素材「ジオン(Geon)」の採用、10インチ盤と12インチ盤の設定、フル・フリークエンシー・レンジ・レコーディング(Full Frequency Range Recording)の使用が説明されています。

同記事によれば、初回発売は1949年8月ごろを予定していました。ロンドン・レコード(London Records)は、音質と耐久性を前面に出した長時間盤戦略を準備しており、1949年6月はその導入方針が業界紙上で明確に示された月でした。

デッカ・レコード社

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1949年6月時点で話題性の高いアルバム商品の投入を進めていました。『ザ・ビルボード(The Billboard)』1949年6月25日号は、同社が『リバティ(Liberty)』のアルバムを発売する予定であると報じています。記事では、舞台作品の楽曲を収録したアルバム企画として扱われており、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が単曲盤だけでなく、作品単位のパッケージ商品を重視していたことが確認できます。

1949年はレコード会社各社が規格競争と同時にアルバム商品の価値を再定義していた時期であり、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)の動きも、その流れの中に位置づけられます。

マーキュリー・レコード社

マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)は、1949年6月に販売促進面で目立った動きを見せていました。『ザ・ビルボード(The Billboard)』1949年6月25日号は、同社販売店がテレビ番組『トースト・オブ・ザ・タウン(Toast of the Town)』のスポンサーとなり、週約16,000ドル規模の出稿を行っていたと報じています。費用は放送枠と出演者関連の支出にほぼ二分されていたとされます。

この動きは、マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)が録音商品の販促にテレビ媒体を積極的に結びつけていたことを示しています。1949年6月の段階で、レコード会社の競争は商品規格や流通だけでなく、放送を活用した販売戦略にも広がっていました。