1949年5月に録音された音楽
1949年5月、ヨーロッパでは5月5日に欧州評議会規程(Statute of the Council of Europe)がロンドンで署名され、戦後協調の制度的基盤が整えられました。5月12日にはベルリン封鎖(Berlin Blockade)が解除され、東西対立の初期局面を象徴する危機が一段落しました。5月23日にはドイツ連邦共和国基本法(Basic Law for the Federal Republic of Germany)が公布され、西ドイツ国家形成の法的枠組みが定まりました。国際社会では、5月11日に国際連合総会(United Nations General Assembly)がイスラエル国(State of Israel)の加盟を承認しました。同じ5月11日、シャムは国名をタイ(Thailand)へ改めました。科学技術分野では、5月6日にケンブリッジ大学でイーディーサック(Electronic Delay Storage Automatic Calculator)が最初のプログラム実行に成功しました。日本では、5月16日に東京証券取引所が株式売買を再開し、戦後経済の再編が新たな段階へ進みました。
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1949年5月の録音に関する情報のまとめ
1949年5月の録音関連資料では、米国の主要レコード会社が、新譜の販売に加えて、盤材・再生用品・流通・制作体制をめぐる多面的な競争を進めていたことが確認できます。アールシーエー・ビクター部門では再生周辺用品を含めた店頭支援が展開され、マーキュリー・レコード・コーポレーションは耐久性を強調した新素材盤を前面に押し出しました。コーラル・レコード社ではアーティスト・アンド・レパートリー部門の責任体制が整えられ、キャピトル・レコード社では東部販売網の再編が報じられています。さらに、デッカ・レコード社は映画主題歌の話題性を販売促進に結びつけ、アポロ・レコード社は新規録音と契約拡充を進め、エムジーエム・レコード部門は録音から製造・流通までを映像で紹介する広報企画の対象となりました。1949年5月は、レコード各社が音源制作だけでなく、素材革新、販売現場、宣伝媒体、企業組織を一体として強化していた月でした。
アールシーエー・ビクター
ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ビクター部門(RCA Victor Division)は、1949年5月初旬の業界紙広告で、同社のレコード販売と連動して新型マルチプレイ・ニードル(Multi-Play Needle)の販促を展開していました。広告では、店頭陳列、販売店向け広告素材、大規模な消費者向け訴求を組み合わせ、再生周辺用品を販売拡大の一部として位置づけていました。1949年5月の資料上、同部門はレコード販売だけでなく、再生用品を含めた総合的な小売支援を進めていたことが確認できます。
キャピトル・レコード
キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1949年5月の業界紙で、ニューヨーク販売拠点の責任者交代とニューアーク拠点の人事異動が報じられました。これは、同社が東部市場での販売・流通体制を調整していたことを示す同月資料です。録音制作の詳細までは当該記事から確認できませんが、キャピトル・レコード社が1949年5月に販売組織の再編を進めていたことは確認できます。
コーラル・レコード
コーラル・レコード社(Coral Records, Inc.)では、1949年5月にアーティスト・アンド・レパートリー部門の責任体制が明確化されたことが業界紙で報じられました。それまで同部門は親会社デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)の複数幹部によって扱われていたとされ、コーラル・レコード社が制作判断の運営体制を整理しつつあったことが確認できます。1949年5月は、同レーベルの制作部門がより明瞭な管理体制へ移る過程を示す月でした。
マーキュリー・レコード
マーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)は、1949年5月15日に市場投入される非破損性レコードを大きく訴求していました。業界紙では、この新盤がメルコ・プラスチック(Merco-Plastic)として紹介され、通常盤より長持ちし、価格は据え置かれると宣伝されていました。1949年5月の同社は、録音内容に加えて、盤そのものの耐久性と実用性を重要な販売要素として打ち出していました。
デッカ・レコード
デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1949年5月末の業界紙で、楽曲『ベイビー、イッツ・コールド・アウトサイド(Baby, It’s Cold Outside)』に関連する販売促進の動きが大きく扱われました。同曲は1949年公開の映画『ネプチューンの娘(Neptune’s Daughter)』との結びつきでも注目されており、デッカ・レコード社はその話題性を自社録音の訴求に結びつけていました。具体的な発売枚数や市場反応の規模は、当該資料のみでは確認できません。
アポロ・レコード
アポロ・レコード社(Apollo Records, Inc.)は、1949年5月の業界紙で、録音活動が活発化していると報じられました。記事では、療養後の奏者の録音復帰、新人歌手の制作投入、新しいヴォーカル兼インストゥルメンタル・グループとの契約、さらに当月中の初回発売予定が紹介されています。各録音の正確な収録日までは当該記事から確認できませんが、同社が1949年5月時点で制作拡充を進めていたことは確認できます。
エムジーエム・レコード
エムジーエム・レコード部門(M-G-M Records)は、ロウズ社(Loew’s, Incorporated)の一部門として、1949年5月に録音産業を扱う短編映画『メイキング・レコーズ(Making Records)』の取材対象となっていました。業界紙によれば、マーチ・オブ・タイム(March of Time)の撮影では、ザ・コーン・コブラーズ(The Korn Kobblers)の新録音、同社ニューヨーク・スタジオでの収録、ニュージャージー州ブルームフィールドの工場での製造工程、店頭に至る流れが取り上げられる予定でした。さらに、映画音声をレコードへ移す同社の新工程が紹介候補とされたことも報じられています。ただし、記事は一部を予定として記しており、すべてが完成版に採用されたかは資料上確認できません。
