1951年1月に録音された音楽

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1951年1月に録音された音楽

1951年1月、朝鮮戦争(Korean War)では1月4日にソウルが再び陥落し、東アジアの戦局は大きく変化しました。国際法の分野では、1月12日に集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)が発効しました。1月21日には、現在のパプアニューギニアにあたる地域でラミントン山噴火(Mount Lamington eruption)が発生し、約3,000人が死亡しました。アメリカ合衆国では、1月24日に価格安定局(Office of Price Stabilization)が設置され、1月26日には一般最高価格規則(General Ceiling Price Regulation)による広範な価格凍結が実施されました。さらに1月27日、ネバダ試験場(Nevada Proving Ground)でレンジャー作戦(Operation Ranger)の第1回実験「エイブル(Able)」が行われました。ブラジルでは1月31日、ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(Getúlio Dornelles Vargas, 1882–1954)が大統領職へ復帰しました。

この月の確認されている録音:0曲

1951年1月の録音に関する情報のまとめ

1951年1月の録音業界では、レコード製造各社がジュークボックス市場への新譜供給を強く意識していたことが同時代業界紙から確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)は、全米で約550,000台とされたジュークボックスへの新譜浸透が、店頭でのレコード販売を押し上げる重要な経路として認識されていたと報じました。同月には、主要レーベルによる既存録音の再商品化、専属契約の獲得競争、系列レーベルの再編、新興レーベルの録音陣拡充、自動蓄音機メーカーによる全国販促が並行して進みました。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、レッド・シール「トレジャリー・オブ・イモータル・パフォーマンシズ」(Red Seal “Treasury of Immortal Performances”)の関連企画として、1951年1月にジャズおよびスウィングの名演を集めた6種のアルバム発売を告知しました。資料には、テーマ曲集、ダンス・バンドのヒット集、小編成演奏集、ジャズ・ピアノ集、男性歌手集、フォーク歌手集という構成が示されており、既存録音を新たな市場向けに再編成する商品展開が確認できます。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、フランキー・レイン(Frankie Laine, 1913–2007)の移籍先として1951年1月の業界紙に記録されました。報道では、この移籍がレコードに加えてラジオとテレビを含む契約条件として説明されており、録音契約と放送メディア展開を結び付けた動きが確認できます。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、フランキー・レイン(Frankie Laine, 1913–2007)の転出を認めたうえで、未発売マスター、標準曲60曲分の保有音源、直近の4面録音、さらに契約満了前の追加セッション構想を示しました。資料上、移籍決定後も既存音源と追加録音を事業上の資産として整理していたことが確認できます。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records)は、1951年1月31日付で録音制作部門の監督体制を改める方針を示しました。業界紙は、担当幹部の退任に伴い、同社社長が録音制作部門の総括監督を引き受ける予定であると報じています。これは、レーベル経営と録音制作の統括体制が同月に再編された事例として確認できます。

デッカ・レコードとコーラル・レコード

デッカ・レコード(Decca Records)の完全子会社であるコーラル・レコード(Coral Records)は、1951年1月に独立性を高めた運営体制へ移る方針が報じられました。資料では、経営および録音部門の人事再編、新規アーティスト契約の進行、さらに有力歌手との交渉継続が示されています。コーラル・レコード(Coral Records)が、デッカ・レコード(Decca Records)傘下の補助的レーベルにとどまらず、独自の拡大局面に入っていたことが確認できます。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(M-G-M Records)は、1951年1月にウディ・ハーマン(Woody Herman, 1913–1987)およびテックス・ベネキー(Tex Beneke, 1914–2000)との専属録音契約を公表しました。資料では、ウディ・ハーマン(Woody Herman, 1913–1987)の楽団が契約直後にビリー・エクスタイン(Billy Eckstine, 1914–1993)を迎えて4面を録音し、その一部を2月初旬に発売予定としていたこと、またテックス・ベネキー(Tex Beneke, 1914–2000)の楽団も近く初録音に入る予定だったことが示されています。さらに同社は、公開販売を2月初旬に予定する「100回目のリリース(100th Release)」に向けて、大規模な販促活動を準備していました。

フェデラル・レコード

フェデラル・レコード(Federal Records)は、キング・レコード(King Records)の新系列レーベルとして紹介され、1951年1月にリトル・エスター(Little Esther, 1935–1984)との録音契約を公表しました。業界紙は、同契約が1月5日に裁判所の承認を受けたこと、さらに同歌手の最初の録音が翌週シンシナティで予定されていたことを伝えています。新レーベルが設立初期から有力歌手の獲得を進めていた動きが確認できます。

リーガル・レコード

リーガル・レコード(Regal Records)は、1951年1月にカブ・キャロウェイ(Cab Calloway, 1907–1994)との専属契約を発表しました。資料では、同楽団が2週間以内にスタジオ入りし、リーガル・レコード(Regal Records)での初回セッションを行う予定だったと報じられています。既存の著名演奏家を新たに迎え入れることで、レーベルの存在感を高めようとする動きが確認できます。

ジュビリー・レコード社

ジュビリー・レコード社(Jubilee Record Company)は、ザ・オリオールズ(The Orioles)の新録音再開と、追悼盤の制作に関する取り組みが1951年1月資料で確認できます。業界紙は、新作「アイ・ミス・ユー・ソー(I Miss You So)」の印税が遺族支援基金へ寄付される予定だったこと、さらに同グループがジュビリー・レコード社(Jubilee Record Company)向けの録音在庫を拡充するため、数週間にわたる集中的な録音を計画していたことを報じています。

ピーコック・レコード

ピーコック・レコード(Peacock Records)は、1951年1月に新規アーティスト2名との契約を発表しました。資料では、同社が録音陣の拡充を進めていたことが確認でき、独立系レーベルとして人材確保を急いでいた状況が読み取れます。

ルドルフ・ワーリッツァー社

ルドルフ・ワーリッツァー社(The Rudolph Wurlitzer Company)は、1951年1月28日–29日にナショナル・ワーリッツァー・デイズ(National Wurlitzer Days)を実施し、全米の販売拠点で1951年型の自動蓄音機と遠隔操作機器を同時展示する計画を公表しました。資料は、同社が新機種の早期納入を訴求し、販売店が各地で公開展示会を準備していたことを伝えています。レコード産業と密接に結び付く自動蓄音機市場で、販売促進が大規模に展開されていたことが確認できます。