1952年8月に録音された音楽

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1952年8月に録音された音楽

1952年8月は、冷戦期の国際秩序と戦後復興の制度化が同時に進んだ月です。ヘルシンキオリンピック競技大会(Games of the XV Olympiad)は8月3日に閉幕し、69の国と地域が参加しました。日本国と中華民国(Republic of China)の間では、日華平和条約(Treaty of Peace between Japan and the Republic of China)が8月5日に発効しました。ハーシム家ヨルダン王国(Hashemite Kingdom of Jordan)では、8月11日にタラール1世(Talal bin Abdullah, 1909–1972)が退位し、フセイン1世(Hussein bin Talal, 1935–1999)が国王に宣言されました。ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)では、8月12日に「殺害された詩人たちの夜(Night of the Murdered Poets)」として知られるユダヤ系知識人・作家らの処刑が行われました。8月13日には日本国、8月14日にはドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)、8月29日にはヨルダンが国際通貨基金(International Monetary Fund)と国際復興開発銀行(International Bank for Reconstruction and Development)に加盟しました。8月15日–16日にはイングランド南西部でリンマス洪水が発生し、大きな被害を出しました。

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1952年8月の録音に関する情報のまとめ

1952年8月の録音関連資料では、戦後アメリカのレコード産業が、従来の大手レーベルによるポピュラー音楽の販売競争と、リズム・アンド・ブルース、カントリー、ジュークボックス市場を軸にした独立系レーベルの伸長を同時に見せています。ビルボード(The Billboard)とキャッシュ・ボックス(The Cash Box)の同月号では、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)の10年史、コロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)やラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ・アールシーエー・ヴィクター部門(Radio Corporation of America, RCA Victor Division)のヒット盤、マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)の広告・新譜、ピーコック・レコード(Peacock Records)とデューク・レコード(Duke Records)の企業再編と録音活動が確認できます。また、78回転盤と45回転盤の併用、ジュークボックス運用、各都市の販売・演奏ランキングも、録音産業が媒体形式と販売経路の移行期にあったことを示しています。

キャピトル・レコード

1952年8月2日付のビルボード(The Billboard)は、音楽商人大会号として発行され、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)の創業から10年を扱う特集を掲載しました。本文では、1942年創業から1952年までの同社の成長が、レコード小売・流通関係者向けに整理されています。同月の資料上では、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は単なる発売元ではなく、戦後アメリカの主要レコード会社の一角として、業界紙上で企業史と販売実績を示す存在になっていました。

コロムビア・レコード

1952年8月末のキャッシュ・ボックス(The Cash Box)では、コロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)のジョー・スタッフォード(Jo Stafford, 1917–2008)による『You Belong to Me』、ローズマリー・クルーニー(Rosemary Clooney, 1928–2002)による『Half as Much』や『Botch-A-Me』が、各都市の販売・演奏リストで目立つ位置に現れています。『You Belong to Me』は、1952年8月末から9月にかけてコロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)の重要なヒット盤として浮上しており、同社がポピュラー歌手とオーケストラ伴奏によるシングル販売を強く展開していたことが分かります。ジョー・スタッフォード(Jo Stafford, 1917–2008)の『Jambalaya』も、同時期の都市別リストで確認できます。

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ・アールシーエー・ヴィクター部門

1952年8月末のキャッシュ・ボックス(The Cash Box)では、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ・アールシーエー・ヴィクター部門(Radio Corporation of America, RCA Victor Division)のエディ・フィッシャー(Eddie Fisher, 1928–2010)による『Wish You Were Here』が、ニューヨーク、シンシナティ、シカゴ、ロサンゼルスなど複数都市の上位曲として掲載されています。ペリー・コモ(Perry Como, 1912–2001)とエディ・フィッシャー(Eddie Fisher, 1928–2010)に関連する『Maybe』も同時期のリストで確認でき、同部門が1952年夏のポピュラー音楽市場で強い販売力を持っていたことが分かります。録音日そのものを8月に限定できる資料ではありませんが、1952年8月末時点の販売・演奏動向としては明確に確認できます。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、キティ・ウェルズ(Kitty Wells, 1919–2012)の『It Wasn’t God Who Made Honky Tonk Angels』が1952年夏に大きな成功を収めました。この録音は1952年5月3日にナッシュビルのキャッスル・スタジオ(Castle Studio)で行われたもので、8月録音ではありませんが、1952年8月のカントリー市場を理解するうえで重要です。同曲は、女性ソロ歌手によるカントリー・ヒットとして後年まで重視され、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)のカントリー分野での存在感を示す資料になります。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)は、1952年8月の資料でダイナ・ワシントン(Dinah Washington, 1924–1963)とパティ・ペイジ(Patti Page, 1927–2013)の両面から確認できます。1952年8月30日付のビルボード(The Billboard)では、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington, 1924–1963)のマーキュリー8294『My Song』と『Half as Much』がレビューされ、同社がリズム・アンド・ブルースとポピュラー市場の接点を意識していたことが分かります。また、パティ・ペイジ(Patti Page, 1927–2013)の『I Went to Your Wedding』は1952年8月に録音されたとされ、1952年8月末のキャッシュ・ボックス(The Cash Box)でも一部都市のリストに現れています。

ピーコック・レコードとデューク・レコード

1952年8月2日付のキャッシュ・ボックス(The Cash Box)には、ドン・ロビー(Don Robey, 1903–1975)のピーコック・レコード(Peacock Records)が、メンフィス拠点のデューク・レコード(Duke Records)を取得した動きが報じられています。この再編は、ジョニー・エース(Johnny Ace, 1929–1954)の『My Song』を軸にしたデューク・レコード(Duke Records)の成功と結びついていました。さらに1952年8月13日には、ビッグ・ママ・ソーントン(Big Mama Thornton, 1926–1984)がロサンゼルスのラジオ・レコーダーズ・アネックス(Radio Recorders Annex)で『Hound Dog』を録音しました。この録音は、ジェリー・リーバー(Jerry Leiber, 1933–2011)とマイク・ストーラー(Mike Stoller)の初期作品としても重要で、ピーコック・レコード(Peacock Records)のリズム・アンド・ブルース部門を代表する録音になりました。

キング・レコードとフェデラル・レコード

キング・レコード社(King Records, Inc.)傘下のフェデラル・レコード(Federal Records)では、リトル・ウィリー・リトルフィールド(Little Willie Littlefield, 1931–2013)による『K. C. Loving』が1952年8月中旬にロサンゼルスで録音されたとされています。この曲は、後に『Kansas City』として広く知られる作品の初期録音で、ジェリー・リーバー(Jerry Leiber, 1933–2011)とマイク・ストーラー(Mike Stoller)のソングライティングがリズム・アンド・ブルース市場に入っていく時期を示します。

チェス・レコードとチェッカー・レコード

1952年8月末時点のキャッシュ・ボックス(The Cash Box)では、チェス・レコード(Chess Records)系のチェッカー・レコード(Checker Records)から出たリトル・ウォルター(Little Walter, 1930–1968)の『Juke』が、複数都市のリズム・アンド・ブルース系リストで確認できます。『Juke』の録音自体は1952年5月ですが、1952年8月にはジュークボックスや地域別ランキングを通じて広く動いていたことが分かります。これは、シカゴ・ブルース系録音が独立系レーベルとジュークボックス網を通じて全国的に広がっていく過程を示す重要な動きです。

ロンドン・レコード

ロンドン・レコード(London Records)は、ヴェラ・リン(Vera Lynn, 1917–2020)の『Auf Wiederseh’n Sweetheart』によって、1952年8月のアメリカ市場で大きな存在感を示しました。キャッシュ・ボックス(The Cash Box)の1952年8月末・9月初頭のリストでは、同曲が各地の上位に継続して掲載されています。録音日を1952年8月とする資料ではありませんが、1952年8月の販売・演奏状況としては、ロンドン・レコード(London Records)がアメリカのポピュラー音楽市場で目立つ成果を上げていたことを示しています。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(MGM Records)では、ジョニ・ジェームズ(Joni James, 1930–2022)の『You Belong to Me』が1952年8月に全国流通盤として再展開されたことが確認できます。同曲は当初シャープ・レコード(Sharp Records)から出た録音でしたが、ジョニ・ジェームズ(Joni James, 1930–2022)がエムジーエム・レコード(MGM Records)と契約した後、1952年8月5日に同レーベルから再発売されたとされています。1952年8月30日付のキャッシュ・ボックス(The Cash Box)にも、同曲のエムジーエム・レコード(MGM Records)版への言及が見られ、同月の『You Belong to Me』競作状況を示す要素になります。

ルドルフ・ワーリッツァー社

1952年8月の業界資料では、レコード会社だけでなく、ジュークボックスと再生機器の問題も重要でした。キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1952年8月30日号では、ルドルフ・ワーリッツァー社(The Rudolph Wurlitzer Company)の104選択ジュークボックスModel 1500が、45回転盤と78回転盤を扱える機械として言及されています。ビルボード(The Billboard)1952年8月2日号でも、レコード速度の移行と小売・運用上の課題が扱われており、1952年8月の録音産業は、録音内容だけでなく、媒体形式と再生インフラの変化にも直面していました。