1952年7月に録音された音楽

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1952年7月に録音された音楽

1952年7月は、冷戦期の国際秩序、戦後復興、脱植民地化、社会運動が同時に動いた月です。アメリカ合衆国(United States of America)では共和党全国大会(Republican National Convention)が7月7日–11日に開かれ、ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower, 1890–1969)が大統領候補に指名され、民主党全国大会(Democratic National Convention)では7月26日にアドレー・ユーイング・スティーブンソン2世(Adlai Ewing Stevenson II, 1900–1965)が指名されました。7月19日、フィンランド共和国(Republic of Finland)のヘルシンキで第15回オリンピック競技大会(Games of the XV Olympiad)が開幕しました。7月23日にはエジプト王国(Kingdom of Egypt)で自由将校団(Free Officers Movement)による政変が起こり、ファールーク1世(Farouk I, 1920–1965)は7月26日に退位しました。同じ7月23日、欧州石炭鉄鋼共同体を設立する条約(Treaty establishing the European Coal and Steel Community)が発効し、欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community)が制度上始動しました。7月24日にはアメリカ合衆国の鉄鋼ストライキが主要争点で妥結し、戦時生産をめぐる労使対立が一段落しました。7月25日にはプエルトリコ自治連邦区(Commonwealth of Puerto Rico)が成立し、同憲法が発効しました。7月26日、アルゼンチン共和国(Argentine Republic)ではエバ・ペロン(Eva Perón, 1919–1952)が死去し、フアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Perón, 1895–1974)政権下の社会動員を象徴する出来事となりました。

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1952年7月の録音に関する情報のまとめ

1952年7月の録音関連資料では、アメリカ合衆国(United States of America)のレコード産業が、長時間レコード、45回転盤、夏季販売促進、独立レーベル向け受託製造、ジャズ長時間レコード、オリジナル・キャスト・アルバム、旧録音の再発売を同時に進めていたことが確認できます。『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号は、業界団体による消費者向けレコード購買促進計画を報じ、同じ号の各記事・広告は、主要会社が当月に販売・制作・契約・流通の面で積極的に動いていたことを示しています。

アメリカ・レコード産業協会

アメリカ・レコード産業協会(Record Industry Association of America)は、『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号で、同年秋から全国的なレコード購買促進キャンペーンを開始する計画を報じられました。同計画は、個別レーベルではなく録音音楽全体への関心を高める制度的な広告・広報活動として位置づけられ、会員各社の任意拠出で運営される予定でした。同紙は、当時のアメリカ合衆国でレコード・プレーヤーを所有する家庭が全家庭の40%未満であることにも触れており、レコード市場拡大が業界共通の課題として認識されていたことが分かります。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター・ディヴィジョン・ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA Victor Division, Radio Corporation of America)は、『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号で、ブロードウェイ・ミュージカル『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア(Wish You Were Here)』のオリジナル・キャスト・アルバムを近日発売予定として広告しました。同広告は、エディ・フィッシャー(Eddie Fisher, 1928–2010)による表題曲の録音を、アルバムに先行する聴取対象として紹介しています。同じ号には、同社のカスタム・レコード・セールス部門が、独立レーベル向けに録音、処理、プレス、出荷・取扱までを行う一貫サービスを提供している広告も掲載されており、同社が自社レーベルだけでなく受託製造面でも活動していたことが確認できます。さらに、ヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)の新速度盤をアメリカ合衆国内でプレスし、同社流通網で扱う計画も報じられました。

コロムビア・レコード/オーケー・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1952年7月から8月にかけての夏季販売促進策として、「ワン・フォー・グッド・メジャー(One for Good Measure)」を開始する予定であることが『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号で報じられました。この施策は、指定された標準盤の78回転盤または45回転盤を2枚購入した消費者に、追加で1枚を無料提供する形式で、ポピュラー、カントリー・アンド・ウェスタン、クラシックの標準盤を対象にしていました。さらに同号では、コロムビア・レコード(Columbia Records)系列のオーケー・レコード(Okeh Records)が、1920年代から1930年代に制作されたジャズ録音を再発売する計画も報じられています。対象には、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)、ベッシー・スミス(Bessie Smith, 1894–1937)、ジミー・ランスフォード(Jimmie Lunceford, 1902–1947)、カウント・ベイシー(Count Basie, 1904–1984)、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway, 1907–1994)の旧録音が含まれていました。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records, Inc.)は、『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号で、ジャッキー・グリーソン(Jackie Gleason, 1916–1987)と3年間の契約を結び、アルバム録音の指揮者として起用したことを報じられました。同記事では、すでに2回の録音セッションが行われ、最初のアルバムは同年秋に発売予定とされています。契約はミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ(Music Corporation of America)を通じて成立したとされ、のちに『ミュージック・フォー・ラヴァーズ・オンリー(Music for Lovers Only)』として知られるムード音楽アルバム路線につながる動きでした。同じ号では、スタン・フリーバーグ(Stan Freberg, 1926–2015)の「エイブ・スネーク・フォー・プレジデント(Abe Snake for President)」を販促するキャンペーン素材の配布も報じられており、同社が録音制作と販売促進を並行して進めていたことが分かります。

デッカ・レコード

デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)は、『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号で、ニューヨーク・スタジアム・コンサーツ(New York Stadium Concerts)で演奏するスタジアム・シンフォニー・オーケストラ(Stadium Symphony Orchestra)と録音契約を結んだことが報じられました。同記事では、初回の録音セッションが近日中に行われる予定とされています。スタジアム・シンフォニー・オーケストラ(Stadium Symphony Orchestra)は、ニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)の楽員を中心に構成される団体として説明されており、同時期のクラシック録音市場における同社の動きとして重要です。同号には、デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)の中西部部門が1952年6月27日にシカゴで年次会議を開き、販売担当者を集めたことも掲載されています。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)では、ノーマン・グランツ(Norman Granz, 1918–2001)が、より実演に近いジャズ長時間レコードの制作方針を進めていたことが『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号に掲載されています。同記事では、演奏者に片面全体を使って1曲を即興展開させる形式が説明され、最初の例としてオスカー・ピーターソン・カルテット(Oscar Peterson Quartet)の盤が挙げられています。さらに、バーニー・ケッセル(Barney Kessel, 1923–2004)、ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges, 1907–1970)、チャーリー・パーカー(Charlie Parker, 1920–1955)、ベニー・カーター(Benny Carter, 1907–2003)、フリップ・フィリップス(Flip Phillips, 1915–2001)、ベン・ウェブスター(Ben Webster, 1909–1973)、チャーリー・シェイヴァース(Charlie Shavers, 1920–1971)、オスカー・ピーターソン(Oscar Peterson, 1925–2007)、レイ・ブラウン(Ray Brown, 1926–2002)、J・C・ハード(J. C. Heard, 1917–1988)らを含むオールスター編成の10インチ長時間レコード制作にも触れられています。

キング・レコード

キング・レコード(King Records)は、『ザ・ビルボード(The Billboard)』1952年7月5日号で、ポップ分野の拡張計画に沿って新規契約を進めている会社として報じられました。同記事では、ホット・リップス・ペイジ(Hot Lips Page, 1908–1954)が契約者として挙げられ、契約には歌唱とトランペット演奏の両方が含まれると説明されています。ほかにロイ・グッドリッチ(Roye Goodrich, 生没年不明)、ビリー・キース(Billy Keith, 生没年不明)、ベイカー・ブラザーズ(Baker Brothers)も契約者として挙げられていますが、当該紙面では各録音の具体的な録音日や発売番号までは示されていません。1952年7月時点の確認事項としては、同社がポップ市場への拡張を進める契約活動を行っていたことです。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(MGM Records)は、1952年7月の販売・流通動向として、ハンク・ウィリアムズ・ウィズ・ヒズ・ドリフティング・カウボーイズ(Hank Williams with His Drifting Cowboys)による「ジャンバラヤ(オン・ザ・バイユー)(Jambalaya (On the Bayou))」と「ウィンドウ・ショッピング(Window Shopping)」を収めたMGM 11283で確認できます。この録音は1952年6月13日の録音とされるため、1952年7月の当月録音ではなく、7月の発売・流通上の重要盤として扱うのが適切です。同じ7月の『ザ・ビルボード(The Billboard)』紙面には、エムジーエム・レコード(MGM Records)がフラン・ウォーレン(Fran Warren, 1926–2013)による「ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア(Wish You Were Here)」などを広告していたことも確認できます。

ロンドン・レコード

ロンドン・レコード(London Records)は、1952年7月のアメリカ合衆国のポピュラー音楽市場で、ヴェラ・リン(Vera Lynn, 1917–2020)による「アウフ・ヴィーダーゼーン・スウィートハート(Auf Wiederseh’n Sweetheart)」の大きな販売実績によって確認できます。同録音は、1952年7月12日付の『ザ・ビルボード(The Billboard)』の「ベスト・セラーズ・イン・ストアーズ(Best Sellers in Stores)」で1位に達したとされ、イギリスの歌手による録音がアメリカ合衆国の主要チャートで大きな成功を収めた例として重要です。これは当月録音ではなく、1952年7月の発売後の販売・チャート動向として扱うべき項目です。