1952年5月に録音された音楽
1952年5月は、航空、議会政治、西欧安全保障、計算機技術、映画文化が大きく動いた月でした。5月2日、ブリティッシュ・オーバーシーズ・エアウェイズ・コーポレーション(British Overseas Airways Corporation)は、デ・ハビランド・コメットI(de Havilland Comet I)を用いた世界初の商業ジェット旅客機定期運航を開始しました。5月13日、インドではローク・サバー(Lok Sabha)が初会合を開き、ラージヤ・サバー(Rajya Sabha)も最初の会議を行いました。5月21日、インターナショナル・ビジネス・マシーンズ(International Business Machines Corporation)は701電子データ処理機(701 Electronic Data Processing Machine)を発表しました。5月26日には、ドイツ連邦共和国と三国との関係に関する条約(Convention on Relations between the Three Powers and the Federal Republic of Germany)を含む契約協定がボンで署名され、翌27日には欧州防衛共同体設立条約(Treaty establishing the European Defence Community)がパリで署名されました。4月23日–5月10日に開催されたカンヌ国際映画祭(Festival de Cannes)では、オーソン・ウェルズ(Orson Welles, 1915–1985)の『オセロ(The Tragedy of Othello: The Moor of Venice)』とレナート・カステラーニ(Renato Castellani, 1913–1985)の『2ペンスの希望(Due soldi di speranza)』がグランプリを分け合いました。
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1952年5月の録音に関する情報のまとめ
1952年5月の録音業界では、ブロードウェイ作品のキャスト盤展開、既存ヒットの増産、新規アーティスト契約、長時間盤と45回転盤の販売促進、海外生産網の拡張、独立系レーベルの新規参入が同時に進みました。キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)とコロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)は舞台音楽とヒット盤の販売を強化し、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は教育・文化性の高い長時間盤商品を一般市場へ広げました。アールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division of Radio Corporation of America)は海外生産、既存未発売音源の投入、盤種普及策を並行して進め、マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corp.)、エムジーエム・レコード(M-G-M Records)、オーケー・レコード(Okeh Records)なども、契約、販促、発売準備で明確な動きを示しました。
キャピトル・レコード社
キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、ブロードウェイ作品『ケイシー・ジョーンズ(Casey Jones)』のオリジナル・キャスト・アルバム権を早期に確保したと報じられました。同月の業界紙は、同社が1951–1952年シーズンに『パル・ジョーイ(Pal Joey)』『トップ・バナナ(Top Banana)』『スリー・ウィッシズ・フォー・ジェイミー(Three Wishes for Jamie)』を展開し、『オブ・ジー・アイ・シング(Of Thee I Sing)』の発売準備を進めていたと整理しています。さらに『オブ・ジー・アイ・シング(Of Thee I Sing)』は、5月25日に録音されたと報じられました。
コロムビア・レコード社
コロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)では、トニー・ベネット(Tony Bennett, 1926–2023)の『ヒア・イン・マイ・ハート(Here in My Heart)』が好調で、初回8万枚から14万枚へプレス数を増やしたと報じられました。また、同社は過去のヒット・ミュージカルを題材とするアルバム制作を継続しており、業界紙はゴダード・リーバーソン(Goddard Lieberson, 1911–1977)が推進した舞台音楽商品の成功例として『パル・ジョーイ(Pal Joey)』『ザ・バンド・ワゴン(The Band Wagon)』『エニシング・ゴーズ(Anything Goes)』に触れています。1952年5月時点で、同社はポピュラー盤と舞台音楽アルバムの双方で販売拡大を図っていました。
デッカ・レコード社
デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、エンサイクロペディア・ブリタニカ(Encyclopaedia Britannica)の6枚組シリーズ『ヒストリカル・アメリカ・イン・ソング(Historical America in Song)』を一般店頭販売向けに発売すると報じられました。同シリーズは、バール・アイヴズ(Burl Ives, 1909–1995)が前年に録音したもので、それまで学校・大学向けの限定市場で扱われていました。さらに同月の業界紙は、ザ・ウィーヴァーズ(The Weavers)が今後のデッカ向けセッションで新曲を録音する予定であることも伝えています。
アールシーエー・ヴィクター部門
アールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division of Radio Corporation of America)は、ローマのレコード・プレス工場計画、スペインでの新工場構想、英国ヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)プレス盤の米国市場活用を進める方針が報じられました。商品面では、デューク・エリントン(Duke Ellington, 1899–1974)が1944年のカーネギー・ホール(Carnegie Hall)公演で発表した『パフューム・スイート(Perfume Suite)』4面を発売予定とし、長時間盤を棚で識別しやすくする新型スリーブも公表しました。さらに45回転盤の普及策として、ニューヨークの放送局ダブリューエヌイーダブリュー(WNEW)の機材転換に合わせた大規模な宣伝計画を進めていました。
マーキュリー・レコード社
マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corp.)は、ボビー・ウェイン(Bobby Wayne, 生没年不明)の新曲を競合盤への対抗として急きょ発売し、既発売盤の片面構成を組み替えることで流通を早めたと報じられました。また、ラルフ・マーテリー(Ralph Marterie, 1914–1978)のオーケストラ東部初公演に合わせ、所属アーティストを連動させる販促策を進めました。1952年5月の同社は、新曲の迅速な商品化と、公演・放送露出を結びつける宣伝手法を同時に展開していました。
エムジーエム・レコード
エムジーエム・レコード(M-G-M Records)は、スキップ・マーティン(Skip Martin, 1916–1976)の新オーケストラと長期契約を結び、ダンス・バンド分野を強化したと報じられました。さらに、ペギー・キング(Peggy King)との長期契約、およびルディ・ヴァリー(Rudy Vallée, 1901–1986)の飲酒歌を中心とする録音契約も伝えられました。記事では、ペギー・キングが西海岸で初回録音を終えたこと、ルディ・ヴァリーの最初の盤が6月発売予定であることが示されています。
オーケー・レコード
コロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)のオーケー・レコード(Okeh Records)は、レッド・ロドニー・セクステット(Red Rodney Sextet)と契約し、初回盤を6月下旬に発売予定と報じられました。1952年5月時点で、オーケー・レコードは系列レーベルとして新たな録音契約を進め、ジャズ系アーティストの陣容拡充に動いていました。
コーラル・レコード
デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)のコーラル・レコード(Coral Records)は、売れ筋スタンダード20曲を対象とする特別販売促進を数か月展開する計画を示しました。さらに、教育向けシリーズ『レコーズ・オブ・ナレッジ(Records of Knowledge)』の流通を引き受けると報じられ、他社系の非競合商品も扱う配給機能の拡張を進めていました。1952年5月の資料上では、同レーベルが単なる新譜販売だけでなく、カタログ活用と流通網拡大を同時に進めていたことが確認できます。
キーストーン・レコード
キーストーン・レコード(Keystone Records)は、ザ・チャリオティアーズ(The Charioteers)と2年契約を結び、同グループの初回盤を発売したと報じられました。ザ・チャリオティアーズ(The Charioteers)は、それまで11年以上コロムビア・レコード社(Columbia Records, Inc.)に所属していたため、この移籍はフィラデルフィアの独立系レーベルにとって目立つ契約でした。業界紙は、キーストーン・レコードの新譜が同地域の独立系レーベル活況を示す一例として扱っています。
