1952年10月に録音された音楽
1952年10月は、冷戦、脱植民地化、戦後社会の再編、科学技術と大衆文化の展開が重なった月です。10月1日、日本では第25回衆議院議員総選挙が行われ、占領終了後初の総選挙として、吉田茂(1878–1967)の自由党が多数を得ました。10月3日、英国はハリケーン作戦(Operation Hurricane)で初の核実験を実施し、核保有国となりました。10月6日、アガサ・クリスティー(Agatha Christie, 1890–1976)の『ねずみとり(The Mousetrap)』がノッティンガムで初演されました。10月7日には、ノーマン・ジョセフ・ウッドランド(Norman Joseph Woodland, 1921–2012)とバーナード・シルバー(Bernard Silver, 1924–1963)によるアメリカ合衆国特許第2,612,994号『分類装置および方法(Classifying Apparatus and Method)』が成立し、後のバーコード技術につながる方式が公示されました。10月8日、英国でハロウ・アンド・ウィールドストーン鉄道事故(Harrow and Wealdstone rail crash)が発生し、112人が死亡しました。10月14日、国際連合総会(United Nations General Assembly)第7会期が新しい国際連合本部(United Nations Headquarters)で開会しました。同日、朝鮮戦争(Korean War)ではトライアングル・ヒルの戦い(Battle of Triangle Hill / Operation Showdown / Shangganling Campaign)が始まりました。10月20日、ケニアではケニア非常事態(Kenya Emergency)が宣言され、植民地支配をめぐる対立が国際的な関心を集めました。
この月の確認されている録音:0曲
1952年10月の録音に関する情報のまとめ
1952年10月の録音産業では、レコード会社の新譜広告、契約、映画音楽商品の販促、リズム・アンド・ブルース市場の展開、外国原盤をめぐる権利問題が同時に確認できます。『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号では、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)、コーラル・レコード(Coral Records)、キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)、マーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)、アトランティック・レコーディング・コーポレーション(Atlantic Recording Corporation)、インペリアル・レコード(Imperial Records)、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)、エムジーエム・レコード(M-G-M Records)、オーケー・レコード(Okeh Records)、キング・レコード(King Records)、レインボー・レコード(Rainbow Records)などの動きが確認できます。同月の情報は、個別録音日そのものよりも、発売、広告、契約、批評、販売促進、権利処理を通じて、レコード市場がジャンル別・レーベル別に広がっていたことを示しています。
アールシーエー・ヴィクター
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号には、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)による広告が掲載され、ゴギ・グラント(Gogi Grant, 1924–2016)の同部門でのデビュー盤として「Forget Me Not」と「Where There’s Smoke There’s Fire」が告知されています。広告は、録音スタジオで確認された新しい声を新歌手として紹介する体裁を取り、カムデンのアールシーエー・ヴィクター部門名を明示しています。1952年10月時点で、同部門が新人歌手の投入を広告上の主要材料として扱っていたことが確認できます。
- https://archive.org/stream/bub_gb_NSAEAAAAMBAJ/bub_gb_NSAEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/50s/1952/billboard%201952-10-11.pdf
コーラル・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号のニューヨーク発記事は、コーラル・レコード(Coral Records)がバンド録音を強化する動きの中で、キング・ガイオン(King Guyon, 生没年不明)の楽団と期限付き契約を結んだと報じています。同じ記事では、ミルト・ゲイブラー(Milt Gabler, 1911–2001)がハーブ・フィールズ(Herbie Fields, 1919–1958)とキャシー・カー(Cathy Carr, 1936–1988)を期限付き契約にしたことも確認できます。これらの契約記事から、コーラル・レコード(Coral Records)が1952年10月時点でバンド、器楽演奏者、歌手の補強を進めていたことが分かります。
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キャピトル・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号は、テレフンケン(Telefunken)関連の34件のマトリックスをめぐる訴訟で、キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)がアメリカ合衆国内で当該マトリックス由来のレコードを製造・頒布する権利を有するとの判断が出たと報じています。この記事は、外国原盤や外国マトリックスの利用権が、米国市場での発売・製造・販売に直結する重要問題であったことを示しています。1952年10月時点のキャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)については、録音そのものではなく、外国マスターの権利処理と製造頒布権をめぐる活動が確認できます。
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マーキュリー・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号は、マーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)がテレフンケン(Telefunken)マトリックス判決に対する控訴を検討していたことを報じています。同記事では、同社が輸入盤重視からアメリカ合衆国内制作のクラシック音楽録音へ重点を移していたことも伝えられています。さらに同号の広告では、リズム・アンド・ブルース領域の商品として「My Song」「Half as Much」「Pillow Blues」「Double Dealin’ Daddy」「Mumbles Blues」「Nona」などが品番付きで掲載されています。マーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)は、クラシック音楽録音の国内制作方針と、リズム・アンド・ブルース商品の販売促進を同時期に進めていたことが確認できます。
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アトランティック・レコーディング・コーポレーション
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号には、アトランティック・レコーディング・コーポレーション(Atlantic Recording Corporation)の広告が掲載され、リズム・アンド・ブルース系の商品として「Hey, Miss Fannie」「Three Letters」「Roll With My Baby」「Estrellita」「Daddy, Daddy」「Ting-a-Ling」「One Mint Julep」が品番付きで示されています。同広告は、同社が1952年10月時点で複数のリズム・アンド・ブルース商品を同時に販売促進していたことを直接示しています。アトランティック・レコーディング・コーポレーション(Atlantic Recording Corporation)は、この時期のリズム・アンド・ブルース市場において、単発商品ではなく複数タイトルを束ねた広告展開を行っていました。
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インペリアル・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号のリズム・アンド・ブルース欄には、インペリアル・レコード(Imperial Records)の広告が掲載され、「Rockin’ and Rollin’」「Journey Back」「Blues Is a Woman」「Street Walking Woman」が品番付きで掲出されています。広告にはハリウッドの社所在地も記されており、同社が1952年10月時点でブルース系商品を積極的に販売促進していたことが確認できます。インペリアル・レコード(Imperial Records)の同月広告は、ニューオーリンズ系やブルース系の録音を含む同社のリズム・アンド・ブルース市場向け展開を示す材料となります。
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デッカ・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号のカントリー音楽欄では、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)のDecca 28424として「Settin’ the Woods on Fire」と「Our Love Isn’t Legal」が批評されています。同じ号のハートフォード・レコード・フェスティヴァル(Hartford Record Festival)記事では、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)所属の出演者が参加したことも確認できます。これらの記事から、同社が1952年10月時点でカントリー音楽商品の批評対象となり、同時に業界催事にも関わっていたことが分かります。
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エムジーエム・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号では、エムジーエム・レコード(M-G-M Records)が映画『メリー・ウィドウ(The Merry Widow)』関連アルバムの最初のコピーをディスクジョッキー向けに配布したことが確認できます。この動きは、映画音楽・ミュージカル関連商品をラジオ露出やディスクジョッキー向け配布と結びつける販促活動として位置づけられます。エムジーエム・レコード(M-G-M Records)は、映画会社系レーベルとして、映画作品とレコード商品の連動を1952年10月時点で明確に進めていました。
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オーケー・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号では、ネリー・ラッチャー(Nellie Lutcher, 1912–2007)が翌週にオーケー・レコード(Okeh Records)で初録音を行う予定だったことが報じられています。記事時点では予定情報ですが、オーケー・レコード(Okeh Records)がネリー・ラッチャー(Nellie Lutcher, 1912–2007)を新たな録音活動へ組み込もうとしていたことが確認できます。1952年10月の同レーベルについては、録音済み商品の広告だけでなく、新規録音予定という形での動きも見えます。
- https://archive.org/stream/bub_gb_NSAEAAAAMBAJ/bub_gb_NSAEAAAAMBAJ_djvu.txt
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キング・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号では、ルビー・ライト(Ruby Wright, 生没年不明)がキング・レコード(King Records)でデューイ・バーグマン(Dewey Bergman, 生没年不明)との録音日程のためニューヨークに来ていたことが確認できます。この記述から、キング・レコード(King Records)が1952年10月時点で同人物に関わる録音活動を進めていたことが分かります。曲名や発売番号は同記事だけでは確認できませんが、録音日程を伴う当月の活動として位置づけられます。
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レインボー・レコード
『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号では、エディ・ヘラー(Eddie Heller, 生没年不明)がセドローン・シスターズ(Cedrone Sisters)をレインボー・レコード(Rainbow Records)と契約させたことが確認できます。これは1952年10月時点の小レーベルにおける新規契約活動として確認できる情報です。レインボー・レコード(Rainbow Records)は、大手レーベルの広告や権利係争と並行して、アーティスト契約を通じた商品化準備を進めていました。
- https://archive.org/stream/bub_gb_NSAEAAAAMBAJ/bub_gb_NSAEAAAAMBAJ_djvu.txt
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レコーディング・インダストリー・アソシエーション・オブ・アメリカ
1952年10月3日、コネチカット州ハートフォードで、レコーディング・インダストリー・アソシエーション・オブ・アメリカ(Recording Industry Association of America)主催のハートフォード・レコード・フェスティヴァル(Hartford Record Festival)ポピュラー・コンサートが開かれ、満員の3,300人を集めたと『ビルボード(The Billboard)』1952年10月11日号が報じています。記事では、エムジーエム・レコード(M-G-M Records)、コロムビア・レコード(Columbia Records)、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)など、複数レーベル所属の出演者が参加したことが確認できます。この催事は、個別レーベルの新譜宣伝を超え、レコード販売そのものを業界横断で促進する活動として位置づけられます。
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- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/50s/1952/billboard%201952-10-11.pdf
