1953年8月に録音された音楽

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1953年8月に録音された音楽

1953年8月は、朝鮮戦争停戦直後の捕虜返還「ビッグ・スイッチ作戦(Operation Big Switch)」が8月5日に始まり、冷戦の焦点が戦場から外交と核開発へ移っていく月でした。8月12日にはソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)がセミパラチンスク試験場(Semipalatinsk Test Site)で熱核装置実験を行い、同日、ギリシャ王国(Kingdom of Greece)のイオニア諸島では大地震が発生しました。イラン帝国(Imperial State of Iran)では8月19日、モハンマド・モサッデク(Mohammad Mosaddegh, 1882–1967)政権が崩壊し、モハンマド・レザー・パフラヴィー(Mohammad Reza Pahlavi, 1919–1980)の王権が強まりました。セイロン自治領(Dominion of Ceylon)では8月12日にハルタール(Hartal)が起こり、フランス第四共和政(French Fourth Republic)では緊縮政策に対する大規模ストライキが広がりました。インド共和国(Republic of India)ではインド航空会社法(Air Corporations Act, 1953)に基づくインディアン航空公社(Indian Airlines Corporation)とエア・インディア・インターナショナル公社(Air-India International Corporation)の体制が動き出し、アメリカ合衆国(United States of America)ではアルフレッド・チャールズ・キンゼイ(Alfred Charles Kinsey, 1894–1956)らの『人間女性における性行動(Sexual Behavior in the Human Female)』が社会的議論を呼びました。

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1953年8月の録音に関する情報のまとめ

1953年8月の録音産業では、アメリカ合衆国(United States of America)の大手レコード会社における録音部門人事、既存演奏録音の権利処理、テレビ番組と連動したレコード企画、低価格ロング・プレイング・レコード(Long Playing record)のシリーズ化、リズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)系独立レーベルの新譜・契約活動が目立ちました。ジュークボックス市場でも、45回転盤対応機やレコード販売と結びついた宣伝企画が進み、録音物の制作、流通、店頭販売、放送・テレビ番組との連携が一体化していく状況が見られました。

アールシーエー・ヴィクター・レコード部門

アールシーエー・ヴィクター・レコード部門(RCA Victor Record Division)は、ダニー・ケスラー(Danny Kessler, 生没年不明)をリズム・アンド・ブルース・レコードのアーティスト・アンド・レパートリー、販売促進、販売面を横断して扱う職務に採用しました。ケスラーはコロムビア・レコード(Columbia Records)傘下のオーケー・レコード(Okeh Records)から移り、1953年8月17日に着任する予定でした。同社では、デイヴ・カップ(Dave Kapp, 生没年不明)が1953年8月7日付で退任し、低価格のカムデン・レーベル(Camden label)立ち上げ用に6週間で80点のパッケージを準備したことも報じられました。ラルフ・フラナガン・オーケストラ(Ralph Flanagan Orchestra)のエクステンデッド・プレイ・レコード(Extended Play record)2点をロング・プレイング・レコード(Long Playing record)1点にも組み合わせる計画や、ラジオ番組「ナショナル・ファーム・アンド・ホーム・アワー(National Farm and Home Hour)」関連の特別アルバム『フェイヴァリッツ・オブ・ザ・ナショナル・ファーム・アンド・ホーム・アワー(Favorites of the National Farm and Home Hour)』の発売計画も進められました。

コロムビア・レコード/オーケー・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、アールシーエー・ヴィクター・レコード部門(RCA Victor Record Division)との間で、契約アーティストの非スタジオ演奏録音に関する権利合意に達しました。ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909–1986)のコンサート録音、デューク・エリントン(Duke Ellington, 1899–1974)のコンサート・テープ、アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867–1957)によるジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi, 1813–1901)《レクイエム(Requiem)》の放送録音が、権利整理の対象として挙げられました。オーケー・レコード(Okeh Records)では、マーヴィン・ホルツマン(Marvin Holtzman, 生没年不明)がダニー・ケスラー(Danny Kessler, 生没年不明)の後任となり、秋にはエピック・レーベル(Epic label)の録音業務を担う見込みとされました。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records)は、テレビ・ラジオ番組『ドラグネット(Dragnet)』主題曲のレコード競争に関わりました。ウォルター・シューマン(Walter Schumann, 1913–1958)は同曲の著作権をアラモ・ミュージック(Alamo Music)へ譲渡し、アールシーエー・ヴィクター・レコード部門(RCA Victor Record Division)とキャピトル・レコード(Capitol Records)に録音許諾を出していました。キャピトル・レコード(Capitol Records)側では、レイ・アンソニー(Ray Anthony)による「ドラグネット(Dragnet)」が広告でも扱われ、テレビ番組主題曲が1953年8月のレコード販売競争の重要素材になりました。

モダン・レコード

モダン・レコード(Modern Records)は、ジョニー・ムーア(Johnny Moore, 生没年不明)による「ドラグネット・ブルース(Dragnet Blues)」で、テレビ・ラジオ番組『ドラグネット(Dragnet)』主題曲の流行をリズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)市場へ接続しました。同曲をめぐっては、ウォルター・シューマン(Walter Schumann, 1913–1958)がアールシーエー・ヴィクター・レコード部門(RCA Victor Record Division)とキャピトル・レコード(Capitol Records)へ録音許諾を出していたため、モダン・レコード(Modern Records)のリズム・アンド・ブルース盤も同じ楽曲流行の周辺で扱われました。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、テレビ番組『スーパー・サーカス(Super Circus)』出演者による8面の録音を終え、1953年9月1日の発売を予定しました。宣伝計画には、店頭ストリーマー、販売時点掲示、番組内でのレコード実演、景品企画、出演者の個人出演が含まれていました。収録曲として「メナジェリー(Menagerie)」「スーパー・サーカス・バンド(Super Circus Band)」「クラウン・アレイ(Clown Alley)」「スーパー・サーカス・サイド・ショー(Super Circus Side Show)」が挙げられ、テレビ番組とレコード商品を直接結びつける販売手法が展開されました。

ユーラニア・レコード

ユーラニア・レコード(Urania Records)は、1953年8月後半に二つのロング・プレイング・レコード(Long Playing record)シリーズを導入しました。10インチ盤の「リクエスト・シリーズ(Request Series)」は希望小売価格1.95ドルで、既存カタログにある大作から短いクラシック曲や抜粋を収める構成でした。もう一つの「ミュージック・アンダー・ザ・スターズ(Music Under the Stars)」は12インチ盤5.95ドルで、短い通俗的コンサート曲を集めるシリーズとして企画されました。クラシック・レコード市場では、価格帯と収録内容を分けたロング・プレイング・レコード(Long Playing record)の商品化が進みました。

デッカ・レコード・インコーポレイテッド

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)では、録音制作部門の人事が動きました。ジミー・ヒリアード(Jimmy Hilliard, 生没年不明)が同社の録音責任者を離れ、コーラル・レコード(Coral Records)から移ったミルト・ゲイブラー(Milt Gabler, 生没年不明)が後任となりました。さらに、ボビー・シャッド(Bobby Shad, 生没年不明)がマーキュリー・レコード(Mercury Records)からデッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)へ移り、同社の録音制作体制はリズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)市場の人材移動とも結びつきました。

アトランティック・レコード

アトランティック・レコード(Atlantic Records)は、キング・レコード(King Records)に所属していたラヴァーン・ベイカー(LaVern Baker, 1929–1997)との最初のレコードを発売しました。リズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)欄では、カルメン・テイラー(Carmen Taylor, 生没年不明)、ジョー・ターナー(Joe Turner, 1911–1985)、ザ・ダイアモンズ(The Diamonds)の新録音も発売されたと報じられました。アトランティック・レコード(Atlantic Records)は、1953年8月に歌手とヴォーカル・グループの録音を継続的に市場投入する独立系レーベルとして存在感を強めました。

ピーコック・レコード

ピーコック・レコード(Peacock Records)は、新しいヴォーカル・グループであるザ・フォー・デュークス(The Four Dukes)による「クライング・イン・ザ・チャペル(Crying in the Chapel)」を扱いました。同曲は1953年に複数の録音が流通した楽曲で、ピーコック・レコード(Peacock Records)はリズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)系ヴォーカル・グループを通じて同曲の市場に加わりました。ゴスペル、ブルース、リズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)を扱う同社の活動は、大手会社中心の録音市場とは別の流通軸を示しました。

サン・レコード

サン・レコード(Sun Records)は、メンフィスのレーベルとして、リトル・ジュニアズ・ブルー・フレイムズ(Little Junior’s Blue Flames)による最初のレコードを発売しました。収録面として「フィーリン・グッド(Feelin’ Good)」と「ファッシン・アンド・ファイティン(Fussin and Fightin’)」が挙げられ、リトル・ジュニアがヴォーカルを担当しました。サン・レコード(Sun Records)は、1953年8月の時点で地域リズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)録音を全国業界紙に掲載される形で流通させていました。

パロット・レコード

パロット・レコード(Parrot Records)は、アル・ベンソン(Al Benson, 1908–1978)が率いる独立系レーベルとして活動を広げました。1953年8月には、コールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins, 1904–1969)ら4名の契約が報じられ、ベッシー・グリフィン(Bessie Griffin, 1922–1989)の「ザ・ストーリー・オブ・ジョブ(The Story Of Job)」も同レーベルの動きとして取り上げられました。パロット・レコード(Parrot Records)は、リズム・アンド・ブルース(Rhythm and Blues)とゴスペル系録音を扱う独立系レーベルとして、1953年8月の録音市場に加わりました。

ザ・ルドルフ・ワーリッツァー社

ザ・ルドルフ・ワーリッツァー社(The Rudolph Wurlitzer Company)は、ジュークボックスおよび自動演奏蓄音機系の主要企業として、1953年8月のレコード流通環境に関わりました。1953年8月15日号のキャッシュ・ボックス誌(The Cash Box)では、フランキー・レイン(Frankie Laine, 1913–2007)と連動した「フランキー・レイン=ワーリッツァー・ヴォーカリスト奨学金コンテスト(Frankie Laine-Wurlitzer Vocalist Scholarship Contest)」が扱われました。1953年8月22日号では、104選択式のWurlitzer 1500、All-45 Model 1650、Model 1600が広告で示され、45回転盤対応のジュークボックス販売がレコード利用の場を広げていました。