1953年12月に録音された音楽

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1953年12月に録音された音楽

1953年12月は、冷戦下の核管理、司法、通信技術、戦後処理が同時に動いた月でした。12月4日–8日にはバミューダ会談(Bermuda Conference)が開かれ、ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower, 1890–1969)、ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル(Winston Leonard Spencer Churchill, 1874–1965)、ジョゼフ・ラニエル(Joseph Laniel, 1889–1975)が西側協調を協議しました。7日–9日にはブラウン対トピカ教育委員会事件(Brown v. Board of Education of Topeka)が合衆国最高裁判所(Supreme Court of the United States)で再弁論され、8日には国際連合総会(United Nations General Assembly)で「平和のための原子力演説(Atoms for Peace Speech)」が行われました。10日にはジョージ・キャトレット・マーシャル(George Catlett Marshall, 1880–1959)がノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受け、チャーチルにはノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)が授与されました。12日にはチャールズ・エルウッド・イェーガー(Charles Elwood Yeager, 1923–2020)がベルX-1A(Bell X-1A)でマッハ2.44を記録し、17日には連邦通信委員会(Federal Communications Commission)が全米テレビジョン方式委員会(National Television System Committee)のカラー・テレビジョン標準を承認しました。23日にはアメリカ合衆国原子力委員会(United States Atomic Energy Commission)がジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer, 1904–1967)に保安許可停止を通知し、同日、ラヴレンチー・パヴロヴィチ・ベリヤ(Lavrentiy Pavlovich Beria, 1899–1953)が処刑されました。24日夜にはニュージーランドでタンギワイ鉄道事故(Tangiwai railway disaster)が起き、25日には奄美群島の日本復帰が実現しました。

この月の確認されている録音:0曲

1953年12月の録音に関する情報のまとめ

1953年12月の録音関連業界では、年末商戦と翌年計画を背景に、クラシック長時間盤、カントリー・アンド・ウェスタン、朗読盤、コメディ録音、ジャズ・コンサート録音、独立系レーベル配給が並行して動いていました。主要レーベルでは、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)とマーキュリー・レコード(Mercury Records)がシカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)をめぐってクラシック録音契約を展開し、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は販売会議と地域ヒットの全国展開を進めました。独立系では、アボット・レコード(Abbott Records)の国外配給、ジーン・ノーマン・プレゼンツ(Gene Norman Presents)のジャズ・コンサート録音レーベル化、フォックス・アソシエーツ(Fox Associates)の制作・配給支援が確認できます。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1953年12月18日にシカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)と録音契約を結ぶ予定で、フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888–1963)の指揮によるクラシック録音を制作する流れに入りました。アールシーエー・ヴィクター・カスタム・レコード部門(RCA Victor Custom Record Division)では、ピーター・デルハイム(Peter Dellheim, 生没年不明)がカムデン・レーベル(Camden label)とシソーラス(Thesaurus)のアーティスト・アンド・レパートリー業務を補佐するために加入しました。ベン・セルヴィン(Ben Selvin, 1898–1980)は、シソーラス向けにウェイン・キング(Wayne King, 1901–1985)の録音を行い、同月にはカリフォルニア州でシソーラスの録音セッションとタレント契約を進める予定でした。同社では、ノーマン・ヴィンセント・ピール(Norman Vincent Peale, 1898–1993)の著書『The Power of Positive Thinking』を本人朗読による12インチ長時間盤として扱う動きもあり、クラシック、ライブラリー録音、朗読盤が並行して展開されていました。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、シカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)との既存契約を約1年残していました。同楽団の常任指揮者にアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)所属のフリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888–1963)が就いたため、楽団契約と指揮者契約が別会社に分かれる状況となりました。マーキュリー・レコード(Mercury Records)のシカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)契約は、ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelík, 1914–1996)時代から続くもので、同社はアンタル・ドラティ(Antal Doráti, 1906–1988)をミネアポリスから招き、契約最終年の録音セッションを指揮させる方向で動いていました。

キャピトル・レコード社

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1953年12月14日から1週間、ハリウッドで地区販売責任者と東部幹部を集め、1954年第1四半期の販売計画を協議する会議を開きました。同社は同月、コロニアル・レーベル(Colonial label)でディーコン・アンディ・グリフィス(Deacon Andy Griffith)名義により録音されたコメディ録音『What It Was, Was Football』のマスターを取得し、5,000ドルの前払いを行いました。アンディ・サミュエル・グリフィス(Andy Samuel Griffith, 1926–2012)はノースカロライナ州チャペルヒルの芸能人で元教師と紹介され、同録音はカロライナ地域で強い反応を得た後、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)によって全国展開されました。ディーン・マーティン(Dean Martin, 1917–1995)の『That’s Amore』も同月時点で大きく伸び、12月7日と11日の注文だけで計72,000枚に達しました。

コーラル・レコード

コーラル・レコード(Coral Records)は、ジミー・ウェイクリー(Jimmy Wakely, 1914–1982)と3年契約を結びました。ジミー・ウェイクリー(Jimmy Wakely, 1914–1982)はキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)との7年間の関係を終えた後、自社レーベル構想を経て、コーラル・レコード(Coral Records)へ移りました。同社は『Red Deck of Cards』と『I’ve Had My Share of Sorrow』のマスターを取得し、最初のジミー・ウェイクリー(Jimmy Wakely, 1914–1982)発売盤として急行発売する方針を示しました。この契約は、コーラル・レコード(Coral Records)のカントリー・アンド・ウェスタン分野拡張の一部でした。

アンジェル・レコード

アンジェル・レコード(Angel Records)は、クラシック長時間盤の包装と価格設定で販売店の反応を見ていました。工場密封版への反応が優勢で、解説と美術要素を省いた4.95ドルの節約版との価格差は1ドルでした。年末の贈答需要を背景に、工場密封版はクリスマス商戦向け商品として扱いやすい形となり、初回52組のうち約40組が市場へ配給済み、残りも同月後半に出荷予定となっていました。アンジェル・レコード(Angel Records)の同月活動は、クラシック録音商品の包装、価格設定、流通政策をめぐる動きとして位置づけられます。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)では、ミッチ・ミラー(Mitch Miller, 1911–2010)がローズマリー・クルーニー(Rosemary Clooney, 1928–2002)とホセ・フェラー(José Ferrer, 1912–1992)を組み合わせ、ノヴェルティ曲『Woman』を発売する動きがありました。ジョー・ブロデリック(Joe Broderick, 生没年不明)は、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)ボストン支店の管理職を経て、1953年12月15日にコロムビア・レコード(Columbia Records)のボストン地区管理職に就く予定でした。12月下旬には、同社がオハイオ州でレコード・クラブ方式の販売実験を始めており、制作、地域販売体制、販売方法の実験が並行して進められていました。

アボット・レコードとロンドン・レコード

アボット・レコード(Abbott Records)は、ロンドン・レコード(London Records)との交渉をまとめ、同社のカントリー・アンド・ウェスタン録音を国際配給する取り決めに進みました。アボット・レコード(Abbott Records)は、それ以前にカナダでクオリティ・レコード(Quality Records)と同様の配給関係を持っていました。1953年のカントリー・アンド・ウェスタン年間小売売上では、ジム・リーヴス(Jim Reeves, 1923–1964)の『Mexican Joe』がアボット・レコード(Abbott Records)作品として上位に入り、同社の国外展開は、地域ヒットを持つ独立系レーベルが配給網を広げる動きと重なっていました。

ジーン・ノーマン・プレゼンツ

ジーン・ノーマン(Gene Norman, 生没年不明)は、ジャズ・コンサート録音を主力とする新レーベル、ジーン・ノーマン・プレゼンツ(Gene Norman Presents)を始動しました。同レーベルは、1946年から続くジーン・ノーマン(Gene Norman, 生没年不明)のジャズ・コンサートで録音されたテイクを中心に扱う構想でした。出演後に他社と契約したアーティストも含まれるため、権利処理が進められ、米国音楽家連盟(American Federation of Musicians)によるレーベル名確認の後に制作へ入る計画でした。全国配給も予定されており、ジャズ・コンサート録音を独立系レーベル商品として再編する動きが明確になりました。

フォックス・アソシエーツ

フォックス・アソシエーツ(Fox Associates)は、ハリー・フォックス(Harry Fox, 生没年不明)のもとで、独立系レコード・レーベルの西海岸サービス・ビューローとして活動しました。業務内容には、販売、宣伝、広報に加え、アーティストと素材の選定、配給、加工、プレスの補助が含まれていました。ハリー・フォックス(Harry Fox, 生没年不明)は、以前にミュージクラフト(Musicraft)を含む独立系レーベルの配給に関わっており、フォックス・アソシエーツ(Fox Associates)は独立系レーベルの制作・配給支援体制を西海岸で整える役割を担いました。

ベニダ・レコード

ベニダ・レコード(Benida Records)では、副社長デューイ・バーグマン(Dewey Bergman, 生没年不明)が、マーク・スチュアート(Mark Stuart, 生没年不明)とメアリー・メイヨ(Mary Mayo, 生没年不明)の契約を延長しました。同社は1953年12月時点で所属歌手との契約維持を行い、小規模ながら録音商品を継続的に展開する体制を保っていました。

タキシード・レコード

タキシード・レコード(Tuxedo Records)では、ザ・チャリオティアーズ(The Charioteers)の新盤『Thanks for Yesterday』に合わせ、アメリカ合衆国中西部とカナダのナイトクラブ日程が組まれました。タキシード・レコード(Tuxedo Records)は、ヴォーカル・グループ録音の宣伝と出演活動を結びつけ、地域をまたぐ実演活動によって録音商品の露出を高めていました。

ヴォックス・レコード

ヴォックス・レコード(Vox Records)関連では、同社に録音しているウィーン・アカデミー合唱団(Vienna Academy Chorus)が、1953年12月13日にニューヨークのタウン・ホール(Town Hall)で初のアメリカ合衆国ツアーを終える予定でした。同号の包装録音レビューでは、ヴォックス・コンサート・バンド(Vox Concert Band)の『Listen to the Band』も紹介されています。ヴォックス・レコード(Vox Records)は、クラシック系録音商品と演奏団体の実演活動を通じて、米国市場での存在感を示していました。