1953年7月に録音された音楽
1953年7月は、冷戦下の国際秩序と大衆文化の双方で転換点が重なった月です。1日、パリで欧州原子核研究機構設立条約(Convention for the Establishment of a European Organization for Nuclear Research)が署名され、同機構の正式発足へ向かう制度的基盤が作られました。3日にはヘルマン・ブール(Hermann Buhl, 1924–1957)がナンガ・パルバット(Nanga Parbat)の初登頂を達成しました。映画ではハワード・ホークス(Howard Hawks, 1896–1977)監督の『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen Prefer Blondes)が1日にアトランティックシティで世界初公開され、15日にニューヨークで封切られました。26日、フィデル・カストロ(Fidel Castro, 1926–2016)らはキューバ共和国(Republic of Cuba)のモンカダ兵営(Moncada Barracks)を攻撃しましたが失敗しました。27日には板門店(Panmunjom)で朝鮮戦争休戦協定(Korean Armistice Agreement)が署名され、朝鮮戦争の大規模戦闘は停止しました。都市生活では25日、ニューヨーク市(New York City)の地下鉄運賃が15セントとなり、トークン使用が始まりました。
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1953年7月の録音に関する情報のまとめ
1953年7月の米国録音・レコード業界では、45回転盤・78回転盤・イーピー盤・ジュークボックスが併存し、主要レーベルと独立系レーベルの双方が活発に動いていました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号は、全米音楽商業者協会(National Association of Music Merchants)の展示会でレコード会社の扱いが小さくなっているとして、レコード産業協会(Record Industry Association of America)を軸に独立したレコード業界展示会を設けるべきだと論じています。同じ号では、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)、コロムビア・レコード(Columbia Records)、キャピトル・レコード(Capitol Records)などの大手のヒット露出に加え、アトランティック・レコード(Atlantic Records)、チェス・レコード社(Chess Record Corp.)、インペリアル・レコード社(Imperial Records Co.)、サヴォイ・レコード(Savoy Records)、ヴィージェイ・レコード(Vee-Jay Records)などの独立系レーベルの動きも確認できます。また、ザ・ルドルフ・ワーリッツァー社(The Rudolph Wurlitzer Company)、ジェイ・ピー・シーバーグ社(J. P. Seeburg Corporation)、エーエムアイ(AMI)などのジュークボックス関連企業も、録音物の流通・消費環境を支える企業として同月の業界紙上に現れています。
アールシーエー・ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1953年7月のポピュラー市場で強い存在感を示しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号の広告では、エディ・フィッシャー(Eddie Fisher, 1928–2010)の「I’m Walking Behind You」20-5293、ペリー・コモ(Perry Como, 1912–2001)の「No Other Love」20-5317、アーサ・キット(Eartha Kitt, 1927–2008)の「C’est Si Bon」20-5358、ジューン・ヴァリ(June Valli, 1928–1993)の「Crying In The Chapel」20-5368などが並べられています。同号の記事では、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)が数年来で最大の7月週を記録したとされ、ダイナ・ショア(Dinah Shore, 1916–1994)の「Blue Canary」、ジューン・ヴァリ(June Valli, 1928–1993)の「Crying In The Chapel」、マリオ・ランツァ(Mario Lanza, 1921–1959)の「If You Were Mine」などが販売好調例として挙げられました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/50s/1953/CB-1953-07-25.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/50s/1953/CB-1953-07-11.pdf
コロムビア・レコード
コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1953年7月のディスクジョッキー集計と小売集計で上位曲を持っていました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、パーシー・フェイス(Percy Faith, 1908–1976)の「Song From Moulin Rouge」が複数都市のディスクジョッキー一覧に登場し、同月の主要ポピュラー録音として扱われています。また、カントリー分野ではカール・スミス(Carl Smith, 1927–2010)の「Trademark」Columbia 21119、「Orchids Mean Goodbye」Columbia 21087も同号のフォーク・アンド・ウェスタン欄に現れており、同社がポピュラーとカントリーの双方で市場露出を持っていたことが確認できます。同号にはコロムビア・レコード(Columbia Records)財務部門の人事昇進記事もあり、同月の会社運営上の動きも見えます。
キャピトル・レコード
キャピトル・レコード(Capitol Records)は、1953年7月にレス・ポール(Les Paul, 1915–2009)とメアリー・フォード(Mary Ford, 1924–1977)の「Vaya Con Dios」Capitol 2486で強い露出を得ていました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、同曲がポピュラー欄やディスクジョッキー一覧に現れ、同社の代表的ヒットとして扱われています。同号では、レス・バクスター(Les Baxter, 1922–1996)の「April In Portugal」も複数都市の一覧に登場し、フォーク・アンド・ウェスタン欄ではハンク・トンプソン(Hank Thompson, 1925–2007)の「Rub-A-Dub-Dub」Capitol 2445が上位に示されました。キャピトル・レコード(Capitol Records)はこの月、ポピュラー器楽、歌唱、カントリーをまたいでジュークボックスと放送の双方に届く録音を持っていました。
デッカ・レコード
デッカ・レコード(Decca Records)は、1953年7月にポピュラーとカントリーの双方で確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、「Crying In The Chapel」の録音例としてレックス・アレン(Rex Allen, 1920–1999)のDecca 28758とエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)のDecca 28762が掲載されました。カントリー欄ではウェッブ・ピアス(Webb Pierce, 1921–1991)の「It’s Been So Long」Decca 28725が上位に入り、デッカ・レコード(Decca Records)のカントリー部門の強さも見えます。同号の業界欄では、ミルト・ゲイブラー(Milt Gabler, 1911–2001)がキティ・カレン(Kitty Kallen, 1921–2016)をデッカ・レコード(Decca Records)契約に加えたことも報じられています。
マーキュリー・レコード
マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、1953年7月に人事とジャンル運営の面で動きがありました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号は、ディー・キルパトリック(Dee Kilpatrick, 生没年不明)が同社のリズム・アンド・ブルース部門を引き継ぐ予定であり、退任したボビー・シャッド(Bobby Shad, 1920–1985)がデッカ・レコード(Decca Records)へ移ると報じています。ディー・キルパトリック(Dee Kilpatrick, 生没年不明)はフォーク・アンド・ウェスタン分野も担当しており、同記事はマーキュリー・レコード(Mercury Records)がナッシュヴィルを軸にリズム・アンド・ブルースとカントリーの両分野を扱う体制を整えていたことを示しています。同号のフォーク・アンド・ウェスタン欄には、ジム・ロウ(Jim Lowe, 1923–2016)の「Gambler’s Guitar」Mercury 70163も掲載されています。
エムジーエム・レコード
エムジーエム・レコード(MGM Records)は、1953年7月にポピュラー、映画音楽、カントリーの領域で確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、ビリー・エクスタイン(Billy Eckstine, 1914–1993)がエムジーエム・レコード(MGM Records)の歌手としてニューヨークのバードランド(Birdland)に出演し、当時の同社盤「I Laughed To Keep From Crying」が紹介されています。同号の業界欄では、エムジーエム・レコード(MGM Records)が映画『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen Prefer Blondes)のアルバムから「Diamonds Are A Girl’s Best Friend」と「Bye Bye Baby」をジュークボックス運営者向けに提供する動きも記されています。カントリー欄では、ハンク・ウィリアムズ(Hank Williams, 1923–1953)の「Take These Chains From My Heart」MGM 11479が上位に示されています。
アトランティック・レコード
アトランティック・レコード(Atlantic Records)は、1953年7月のリズム・アンド・ブルース市場で強い露出を持っていました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号のリズム・アンド・ブルース欄では、ルース・ブラウン(Ruth Brown, 1928–2006)の「Wild, Wild Young Men」Atlantic 993と、ザ・クローヴァーズ(The Clovers)の「Good Lovin’」Atlantic 1000が複数地域の一覧に登場しています。同号の広告・欄外記事にもアトランティック・レコード(Atlantic Records)の関係者名が見え、同社の録音がラジオ、ジュークボックス、地域別チャートの中で流通していたことがわかります。
インペリアル・レコード
インペリアル・レコード社(Imperial Records Co.)は、1953年7月にイーピー盤市場とリズム・アンド・ブルース市場の双方で動きを示しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月11日号は、同社が14組のセットでイーピー盤市場へ参入し、チャーリー・ヴェンチュラ(Charlie Ventura, 1916–1992)やエロール・ガーナー(Erroll Garner, 1921–1977)などを含む内容を出すと報じています。同月25日号では、ファッツ・ドミノ(Fats Domino, 1928–2017)の「Please Don’t Leave Me」Imperial 5240と「Goin’ To The River」Imperial 5231がリズム・アンド・ブルース欄に現れ、ニューオーリンズ系リズム・アンド・ブルース録音の商業的な広がりを示しています。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/50s/1953/CB-1953-07-11.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/50s/1953/CB-1953-07-25.pdf
チェス・レコード
チェス・レコード社(Chess Record Corp.)は、1953年7月の『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)でリズム・アンド・ブルース系の広告とチャート露出を持っていました。1953年7月25日号の広告では、ウォッシュボード・サム(Washboard Sam, 1910–1966)の「Diggin My Potatoes」/「Bright Eyes」Chess 1545、ビッグ・ビル・ブルーンジー(Big Bill Broonzy, 1893–1958)の「Lonesome」/「Little City Women」Chess 1546が掲載されています。同号の地域別リズム・アンド・ブルース欄では、エディ・ボイド(Eddie Boyd, 1914–1994)の「Third Degree」Chess 1541、ウィリー・メイボン(Willie Mabon, 1925–1985)の「I’m Mad」Chess 1538も確認でき、同社がシカゴのブルース録音を全国流通へ押し出していたことがわかります。
サヴォイ・レコード
サヴォイ・レコード(Savoy Records)は、1953年7月にレーベル権利取得とリズム・アンド・ブルース盤の販売活動で確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号は、ハーマン・ルビンスキー(Herman Lubinsky, 1896–1974)がディー・ジェイ・レーベル(Dee Jay label)の世界販売権を取得し、レーベル名を保ったまま再活性化し、イーピー盤と未発売マスターを市場に出す予定だと報じています。同号には、ヴァレッタ・ディラード(Varetta Dillard, 1933–1993)の「Mercy, Mr. Percy」Savoy 897の広告とチャート露出もあり、サヴォイ・レコード(Savoy Records)がリズム・アンド・ブルース分野で積極的に販売を進めていたことが確認できます。
ヴィージェイ・レコード
ヴィージェイ・レコード(Vee-Jay Records)は、1953年7月に新興レーベルとして業界紙上に登場しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号のシカゴ欄では、ゲイリー発の新レーベルとしてヴィージェイ・レコード(Vee-Jay Records)が紹介され、ザ・スパニエルズ(The Spaniels)の「Baby It’s You」が最初のリリースでヒットの可能性を持つと伝えられています。ヴィージェイ・レコード(Vee-Jay Records)はヴィヴィアン・カーター(Vivian Carter, 1921–1989)とジミー・ブラッケン(Jimmy Bracken, 1919–1972)によるレーベルで、同時期にジミー・リード(Jimmy Reed, 1925–1976)の初期盤も扱いました。1953年7月時点では小規模ながら、同社はシカゴ周辺のリズム・アンド・ブルースとドゥーワップ市場に入り始めていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/50s/1953/CB-1953-07-25.pdf
- https://www.friktech.com/labels/VJStory.pdf
- https://campber.people.clemson.edu/veejay.html
サン・レコードとメンフィス・レコーディング・サービス
サン・レコード(Sun Record Company)とメンフィス・レコーディング・サービス(Memphis Recording Service)に関しては、1953年7月18日のエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)の自費録音が重要です。サン・レコード(Sun Record Company)の年表は、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)が同日にメンフィス・レコーディング・サービス(Memphis Recording Service)で「My Happiness」と「That’s When Your Heartaches Begin」を録音したとしています。この録音は商業発売用のレコード制作ではありませんが、後のサン・レコード(Sun Record Company)によるエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)録音へつながる最初期の接点として、1953年7月の録音史上の特筆事項です。
ジュビリー・レコード
ジュビリー・レコード社(Jubilee Record Co., Inc.)は、1953年7月にザ・オリオールズ(The Orioles)の「Crying In The Chapel」Jubilee 5122を強く押し出していました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、同曲が同社最大級のヒットとして扱われ、広告でもJubilee 5122と45回転盤番号45×5122が明示されています。同号は「Crying In The Chapel」を複数社の競作として扱っていますが、ザ・オリオールズ(The Orioles)のジュビリー・レコード社(Jubilee Record Co., Inc.)盤はリズム・アンド・ブルース側からポピュラー市場へ伸びる録音として重要です。
デューク・レコードとピーコック・レコード
デューク・レコード(Duke Records)とピーコック・レコード(Peacock Records)は、1953年7月のリズム・アンド・ブルース、ゴスペル、ジャズ関連の独立系活動として確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、ジョニー・エイス(Johnny Ace, 1929–1954)の「The Clock」Duke 112がリズム・アンド・ブルース欄で複数回掲載され、同じ号の広告にはサンセット・トラヴェラーズ(Sunset Travelers)のDuke 201も示されています。また、記事欄ではドン・ロビー(Don Robey, 1903–1975)の新しいピーコック・プログレッシヴ・レーベル(Peacock Progressive label)の初回リリースとして、フィニアス・ニューボーン・ジュニア(Phineas Newborn Jr., 1931–1989)の「How High The Moon」と「’Round About Midnight」が紹介されています。
ナッシュボロ・レコードとエクセロ・レコード
ナッシュボロ・レコード社(Nashboro Record Co.)は、1953年7月の『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)でゴスペルとリズム・アンド・ブルース系の広告を出していました。1953年7月25日号には、ヤング・ゴスペル・シンガーズ(Young Gospel Singers)の「Glory To His Name」/「I Can Tell Jesus Anytime」Excello 2012、リトル・マクシー(Little Maxie, 生没年不明)の「Drive Soldiers Drive」/「My Baby’s Blues」Excello 2016、キッド・キングズ・コンボ(Kid King’s Combo)の「Banana Split」/「Skips Boogie」Excello 2009、ザ・スカイラークス(The Skylarks)のNashboro 540が掲載されています。45回転盤と78回転盤の両方を明示しており、ナッシュヴィルの独立系会社が黒人ゴスペルとリズム・アンド・ブルースを併行して流通させていたことが見えます。
プレスティッジ・レコード
プレスティッジ・レコード社(Prestige Record Co.)は、1953年7月にホット・ジャズ系の在庫広告で確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号の広告では、キング・プレジャー(King Pleasure, 1922–1981)の「Red Top」Prestige 821、エディ・ジェファーソン(Eddie Jefferson, 1918–1979)のPrestige 858、ビリー・テイラー(Billy Taylor, 1921–2010)の「I Love To Mambo」Prestige 869、アニー・ロス(Annie Ross, 1930–2020)の「Farmer’s Market」Prestige 839などが「Hot Jazz Sellers」として掲げられています。1953年7月時点のプレスティッジ・レコード社(Prestige Record Co.)は、ビバップ以後のジャズ録音を専門市場に向けて販売していたことがわかります。
ラーマ・レコード
ラーマ・レコード(Rama Records)は、1953年7月に新しいリズム・アンド・ブルース・レーベルとして広告に登場しました。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、ザ・クロウズ(The Crows)の「I Love You So」/「Gee」Rama RR5が「新しいリズム・アンド・ブルース・レーベル」のリリースとして掲載されています。同じ号の記事欄では、ラーマ・レコード(Rama Records)がロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson, 1899–1970)と契約したことも伝えられています。1953年7月時点の同社は小規模ながら、ドゥーワップとリズム・アンド・ブルースの新しい流通経路として動き始めていました。
パロット・レコード
パロット・レコード社(Parrot Record Co.)は、1953年7月にシカゴの新興レーベルとして確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号のシカゴ欄では、同社の最初期リリースとして、メイベル・スコット(Mabel Scott, 1915–2000)の「Mr. Fine」/「Mabel’s Blues」と、ザ・チョコレイティアーズ(The Chocolateers)の「Bartender’s Ball」/「Peckin’」が紹介されています。同号にはパロット・レコード社(Parrot Record Co.)の広告もあり、ヴァレッタ・ディラード(Varetta Dillard, 1933–1993)のSavoy 897を押す文脈で同社名が見えます。1953年7月時点の同社は、シカゴのリズム・アンド・ブルース系独立レーベルとして始動段階にありました。
アボット・レコード
アボット・レコード社(Abbott Record Co.)は、1953年7月のフォーク・アンド・ウェスタン市場でジム・リーヴス(Jim Reeves, 1923–1964)の「Mexican Joe」Abbott 116を中心に確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、同曲がフォーク・アンド・ウェスタンのジュークボックス欄とディスクジョッキー欄で上位に掲載され、同号にはアボット・レコード社(Abbott Record Co.)の広告もあります。ジム・リーヴス(Jim Reeves, 1923–1964)の初期ヒットは、1953年7月のカントリー市場で独立系レーベルが全国的な露出を得ていた例として重要です。
バレー・レコード
バレー・レコード(Valley Records)は、1953年7月にダレル・グレン(Darrell Glenn, 1935–1990)の「Crying In The Chapel」Valley 101で確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、同曲がポピュラー欄とフォーク・アンド・ウェスタン欄にまたがって掲載され、複数のディスクジョッキー一覧にも登場しています。「Crying In The Chapel」は1953年7月時点で複数社が録音を出していましたが、ダレル・グレン(Darrell Glenn, 1935–1990)のバレー・レコード(Valley Records)盤は競作の中心的な一つとして扱われています。
ザ・ルドルフ・ワーリッツァー社
ザ・ルドルフ・ワーリッツァー社(The Rudolph Wurlitzer Company)は、1953年7月に45回転盤と78回転盤対応ジュークボックスの広告と著作権法案反対運動で確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月11日号の広告では、48選択式の45回転専用モデル1650と、45回転盤または78回転盤を再生するモデル1600が示されています。1953年7月25日号では、同社がコイン作動式音楽機械の主要メーカーとして扱われ、ジュークボックス業界に影響を及ぼす著作権関連法案に反対する立場で、販売代理店に働きかけていたことが報じられています。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/50s/1953/CB-1953-07-11.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/50s/1953/CB-1953-07-25.pdf
ジェイ・ピー・シーバーグ社
ジェイ・ピー・シーバーグ社(J. P. Seeburg Corporation)は、1953年7月のジュークボックス市場で継続的に確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号には、同社の「Dependable Music Systems Since 1902」を掲げる広告が掲載され、設置場所のどこからでも音楽を利用できるシステムを訴求しています。同号の価格表にも、M100C、Select-O-Matic “100” phonograph、Wall-O-Matic “100”などの機種・周辺機器が掲載されました。同月の資料から新録音との直接関係は読み取れませんが、録音物をジュークボックスで流通・消費させる機器会社としての活動は確認できます。
エーエムアイ
エーエムアイ(AMI)は、1953年7月に新しいモデルEジュークボックスの販売活動で確認できます。『ザ・キャッシュ・ボックス』(The Cash Box)1953年7月25日号では、リーバーマン・ミュージック社(Lieberman Music Company)が1953年7月12日–13日にアイオワ州デモインのフォート・デモイン・ホテルでエーエムアイ(AMI)のモデルEを展示したと報じられています。同号の広告でも、エーエムアイ(AMI)の新しいモデルEが、ジュークボックスを使わない潜在利用者を引きつける機種として訴求されています。これは1953年7月時点で、録音物の選曲・再生環境が機器側からも更新されていたことを示しています。
