1955年4月に録音された音楽

この記事は約14分で読めます。
スポンサーリンク

1955年4月に録音された音楽

1955年4月は、冷戦期の国際政治、医療、消費社会、科学文化が同時に動いた月でした。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)では、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill, 1874–1965)が首相職を退き、アンソニー・イーデン(Anthony Eden, 1897–1977)が政権を継承しました。4月12日には、トーマス・フランシス・ジュニア(Thomas Francis Jr., 1900–1969)がジョナス・ソーク(Jonas Salk, 1914–1995)の不活化ポリオワクチンの臨床試験結果を発表し、公衆衛生史の転換点となりました。4月15日には、レイ・クロック(Ray Kroc, 1902–1984)がイリノイ州デスプレーンズでマクドナルド・システム社(McDonald’s System, Inc.)の店舗を開業しました。4月18日にはアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)がプリンストンで死去しました。同じ4月18日–24日には、インドネシア共和国(Republic of Indonesia)のバンドンでアジア・アフリカ会議(Asian-African Conference)が開かれ、29か国が脱植民地化、平和共存、国際秩序をめぐって協議しました。4月15日にはソビエト連邦(Union of Soviet Socialist Republics)とオーストリア共和国(Republic of Austria)の交渉で、オーストリアの主権回復と中立化の道筋が示され、翌月の独立かつ民主的なオーストリア再建のための国家条約(State Treaty for the Re-establishment of an Independent and Democratic Austria)へつながりました。

この月の確認されている録音:0曲

1955年4月の録音に関する情報のまとめ

1955年4月の録音産業では、リズム・アンド・ブルース、ロックンロール初期作品、ジャズ長時間レコード、ポピュラー・ヴォーカル、ジュークボックス向け販促、小売流通の動きが並行して進みました。アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)はジュークボックス業界との連携を強め、グルーヴ・レコード(Groove Records)、アトランティック・レコード(Atlantic Records)、チェス・レコード(Chess Records)系列、インペリアル・レコード(Imperial Records)、ヴィージェイ・レコード(Vee-Jay Records)などの独立系・系列レーベルは、ヴォーカル・グループ、ブルース、リズム・アンド・ブルースを中心に市場を広げました。長時間レコードでは、キャピトル・レコード(Capitol Records)、ベツレヘム・レコード(Bethlehem Records)、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)がアルバム市場で存在感を示しました。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1955年4月にミュージック・オペレーターズ・オブ・アメリカ(Music Operators of America)と連動した販促企画を展開しました。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年4月2日号では、ミス・ジューク・ボックス1955(Miss Juke Box of 1955)の優勝者にアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)の録音契約が与えられると告知され、ジュークボックス業界とレコード会社の結びつきが前面に出ています。

グルーヴ・レコード

アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)傘下のグルーヴ・レコード(Groove Records)は、1955年4月にリズム・アンド・ブルース分野でヴォーカル・グループ作品を展開しました。ザ・ビルボード(The Billboard)1955年4月16日号は、デュ・ドロッパーズ(The Du Droppers)が新しいリード歌手を得て、延期されていた録音を前週に行ったと報じています。同号のレコード評では、Groove 0104の「Talk That Talk」/「Give Me Some Consideration」も取り上げられました。

アトランティック・レコード

アトランティック・レコード(Atlantic Records)では、1955年4月23日にフロリダ州マイアミでレイ・チャールズ(Ray Charles, 1930–2004)の録音セッションが行われました。この日に「A Fool for You」「This Little Girl of Mine」「Hard Times」「A Bit of Soul」が録音され、同社におけるレイ・チャールズ(Ray Charles, 1930–2004)のゴスペル感覚を帯びたリズム・アンド・ブルース路線がさらに進みました。

チェス・レコード/チェッカー・レコード

チェス・レコード(Chess Records)系列のチェッカー・レコード(Checker Records)は、1955年4月にボ・ディドリー(Bo Diddley, 1928–2008)のデビュー盤で大きな動きを見せました。Checker 814の「Bo Diddley」/「I’m a Man」は、1955年3月2日にシカゴのチェス・レコード(Chess Records)スタジオで録音され、1955年4月に新譜として市場に出ました。同じ系列では、リトル・ウォルター(Little Walter, 1930–1968)のChecker 811「My Babe」もリズム・アンド・ブルース市場で強い存在感を示しました。

インペリアル・レコード

インペリアル・レコード(Imperial Records)は、1955年4月にファッツ・ドミノ(Fats Domino, 1928–2017)の「Ain’t It a Shame」/「La-La」を発売し、ニューオーリンズ系リズム・アンド・ブルースを全国市場へ押し出しました。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年4月30日号では、同作がファッツ・ドミノ(Fats Domino, 1928–2017)の新しいヒット候補として扱われています。

サン・レコード

サン・レコード(Sun Records)は、1955年4月10日にエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)、スコティ・ムーア(Scotty Moore, 1931–2016)、ビル・ブラック(Bill Black, 1926–1965)によるSun 217「Baby Let’s Play House」/「I’m Left, You’re Right, She’s Gone」を発売しました。同盤は、サン・レコード(Sun Records)時代のエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)がカントリー、ブルース、リズム・アンド・ブルースを結びつけていた時期の重要なシングルです。

ヴィージェイ・レコード

ヴィージェイ・レコード(Vee-Jay Records)は、1955年4月にシカゴの独立レーベルとしてリズム・アンド・ブルース市場で新譜を展開しました。フロイド・ジョーンズ(Floyd Jones, 1917–1989)のVJ-126「Any Old Lonesome Day」/「Floyd’s Blue」、エル・ドラドス(The El Dorados)のVJ-127「One More Chance」/「Little Miss Love」は、1955年4月初旬の新譜動向の中で位置づけられます。スパニエルズ(The Spaniels)やジミー・リード(Jimmy Reed, 1925–1976)の作品も、同月のヴィージェイ・レコード(Vee-Jay Records)の販売活動を支えました。

エクセロ・レコード

エクセロ・レコード(Excello Records)は、1955年4月にヴォーカル・グループ系リズム・アンド・ブルースの新譜を市場に出しました。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年4月23日号では、マリーゴールズ(The Marigolds)のExcello 2057「Rollin’ Stone」/「Why Don’t You」がレビューされ、同グループのデビュー盤として紹介されています。エクセロ・レコード(Excello Records)は、ナッシュボロ・レコード(Nashboro Records)系列のリズム・アンド・ブルース・レーベルとして、南部系録音市場の一角を担いました。

キング・レコード/デラックス・レコード

キング・レコード(King Records)と同系列のデラックス・レコード(DeLuxe Records)は、1955年4月にリズム・アンド・ブルース市場で複数の新譜を扱いました。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年4月23日号では、タイニー・ブラッドショー(Tiny Bradshaw, 1907–1958)のKing 4787、チャームズ(The Charms)のDeLuxe 2087がレビューされています。キング・レコード(King Records)系列は、ブルース、ジャンプ・ブルース、ヴォーカル・グループ作品をまたぐ幅広いカタログで、1955年春のリズム・アンド・ブルース市場に関わりました。

スペシャルティ・レコード

スペシャルティ・レコード(Specialty Records)は、1955年4月にゴスペル分野のレコードを流通させていました。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年4月23日号の宗教レコード欄では、プロフェッサー・アレックス・ブラッドフォード(Professor Alex Bradford, 1927–1978)のSpecialty 879が取り上げられています。スペシャルティ・レコード(Specialty Records)は、リズム・アンド・ブルースだけでなく、ゴスペル録音でも1950年代中期の黒人音楽市場に関与しました。

ベツレヘム・レコード

ベツレヘム・レコード(Bethlehem Records)は、1955年4月にジャズ・ヴォーカルとモダン・ジャズの長時間レコード市場で存在感を示しました。ザ・ビルボード(The Billboard)1955年4月23日号では、クリス・コナー(Chris Connor, 1927–2009)のベツレヘム・レコード(Bethlehem Records)作品がジャズ・アルバム市場で上位に置かれています。また、ミルト・ヒントン(Milt Hinton, 1910–2000)の『East Coast Jazz 5』も、1955年4月の同社カタログを特徴づける作品でした。

デッカ・レコード・インコーポレイテッド

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、1955年4月にサミー・デイヴィス・ジュニア(Sammy Davis Jr., 1925–1990)の長時間レコードを目立つ形で扱いました。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年4月23日号では、Decca DL 8118『Starring Sammy Davis Jr.』がアルバム欄で取り上げられています。同作は、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)がポピュラー・ヴォーカルの長時間レコード市場を広げていたことを示す作品です。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records)は、1955年4月にフランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)の『In the Wee Small Hours』を発売しました。同作は、ネルソン・リドル(Nelson Riddle, 1921–1985)の編曲を中心に構成された長時間レコードで、キャピトル・レコード(Capitol Records)におけるアルバム制作の成熟を示す作品となりました。1950年代中期の長時間レコード市場において、同作はポピュラー・ヴォーカル・アルバムの重要作に位置づけられます。

ジェー・シー・ペニー社

ジェー・シー・ペニー社(J. C. Penney Company)は、1955年4月に録音物の小売流通をめぐる動きで注目されました。ザ・ビルボード(The Billboard)1955年4月30日号は、同社が店舗内にレコード売場を加える可能性を検討していると報じています。大規模小売チェーンがレコード販売を事業対象として検討したことは、1950年代中期のレコード市場が専門店やジュークボックス関連流通を越えて拡大していたことを示しています。