1955年6月に録音された音楽

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1955年6月に録音された音楽

1955年6月は、冷戦下の国際関係、欧州統合、反植民地主義、科学技術、文化産業が同時に動いた月です。1日–3日、イタリア共和国(Italian Republic)のメッシーナで欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community)加盟6か国の外相会議が開かれ、欧州経済共同体(European Economic Community)と欧州原子力共同体(European Atomic Energy Community)につながる統合再開が協議されました。2日にはソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)とユーゴスラビア連邦人民共和国(Federal People’s Republic of Yugoslavia)がベオグラード宣言(Belgrade Declaration)を発表しました。11日にはフランス共和国(French Republic)のル・マン24時間レース(24 Hours of Le Mans)で大事故が起き、ピエール・ルヴェー(Pierre Levegh, 1905–1955)を含む多数が死亡しました。16日にはアルゼンチン共和国(Argentine Republic)でプラサ・デ・マヨ爆撃(Bombing of Plaza de Mayo)が発生しました。17日にはソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)のジェット旅客機ツポレフTu-104(Tupolev Tu-104)が初飛行しました。22日にはウォルト・ディズニー・プロダクションズ(Walt Disney Productions)の『わんわん物語(Lady and the Tramp)』が公開され、25日–26日には南アフリカ連邦(Union of South Africa)の人民会議(Congress of the People)が自由憲章(Freedom Charter)を採択しました。

この月の確認されている録音:0曲

1955年6月の録音に関する情報のまとめ

1955年6月の録音関連資料では、録音セッションそのものの詳細よりも、レコード会社の販売政策、新レーベル設立、ディスクジョッキー向け宣伝、アルバム規格の転換、映画・放送との連動が目立ちます。ビルボード(Billboard)1955年6月25日号とザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号では、10インチ長時間レコードの値下げ、ポータブル再生機器、バンジョー流行、ロックンロール盤の急伸、録音済みラジオ番組の供給などが同時に扱われており、録音産業が制作、流通、放送、小売、再生機器をまたいで拡張していたことが確認できます。

アールシーエー・ビクター

アールシーエー・ビクター(RCA Victor)は、1955年6月25日号のビルボード(Billboard)で、販売店向けの「パーソナル・ミュージック・サービス(Personal Music Service)」をフレズノなど複数都市で試験展開する会社として報じられています。この制度は、アルバム券を割引で扱い、販売店が長時間レコードの購買を促す仕組みとして説明されています。同号では、同社が電池駆動のポータブル・ラジオ蓄音機を市場投入したことも扱われ、レコード販売と再生機器販売を連動させる動きが確認できます。また、トニー・アラモ(Tony Alamo, 生没年不明)の初盤を対象に、理髪店を使ったディスクジョッキー向け宣伝を設計したことも報じられています。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1955年6月25日号のビルボード(Billboard)で、10インチ長時間レコードの価格を引き下げた会社の一つとして報じられています。同記事は、10インチ盤が長時間レコードの主流規格から退き、12インチ盤へ比重が移る可能性を示すものとしてこの値下げを扱っています。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号の小売アルバム欄では、ミシェル・ルグラン(Michel Legrand, 1932–2019)の『ホリデイ・イン・ローマ(Holiday in Rome)』や『アイ・ライク・ジャズ(I Like Jazz)』など、同社作品の市場露出も確認できます。

マーキュリー・レコード社

マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)は、1955年6月25日号のビルボード(Billboard)で、コロムビア・レコード(Columbia Records)、ロンドン・レコード(London Records)とともに10インチ長時間レコードの価格引き下げに加わった会社として扱われています。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号では、同社系のウィング・レコード(Wing Records)について、ジャック・バーナード(Jack Bernard, 生没年不明)の営業責任者就任が報じられており、同月に販売体制の整備が進んでいたことが確認できます。

ロンドン・レコード

ロンドン・レコード(London Records)は、1955年6月25日号のビルボード(Billboard)で、10インチ長時間レコードの価格を引き下げた会社として報じられています。同記事では、コロムビア・レコード(Columbia Records)、マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)、ロンドン・レコード(London Records)の動きが、10インチ長時間レコード市場の縮小を示すものとして扱われています。1955年6月の資料上で確認できる主な動きは、録音セッションではなく、アルバム規格と価格政策に関する企業活動です。

デッカ・レコード社

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1955年6月の市場でビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツ(Bill Haley and His Comets)の「ロック・アラウンド・ザ・クロック((We’re Gonna) Rock Around the Clock)」を通じて大きな露出を得ています。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号の地域別小売報告では、同盤が複数地域で上位に挙げられており、映画『暴力教室(Blackboard Jungle)』公開後の再浮上を示す販売面の動きとして扱えます。同号には、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)がスペイン音楽のアルバムを発売した記事もあり、同社の活動はシングル市場とアルバム市場の両方で確認できます。

キャピトル・レコード社

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1955年6月25日号のビルボード(Billboard)で、レス・ポール・アンド・メアリー・フォード(Les Paul and Mary Ford)の「ハミングバード(Hummingbird)」を通じて新譜評に登場しています。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号では、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)とアライド・アーティスツ(Allied Artists)が、映画『ウィチタ(Wichita)』の主題歌盤を1955年6月27日にカンザス州ウィチタで宣伝する計画も報じられています。映画公開とレコード販売を連動させる当月の宣伝活動として確認できます。

コーラル・レコード

コーラル・レコード(Coral Records)は、1955年6月25日号のビルボード(Billboard)で、テレサ・ブリュワー(Teresa Brewer, 1931–2007)の「ザ・バンジョーズ・バック・イン・タウン(The Banjo’s Back in Town)」を通じて新譜評に登場しています。同号は、レコード・ヒットをきっかけにバンジョーへの関心が広がったことを扱っており、コーラル・レコード(Coral Records)の同盤はその流行の一部として位置づけられます。1955年6月の資料上では、同社の動きは新譜宣伝とバンジョー流行の文脈で確認できます。

カップ・レコード

カップ・レコード(Kapp Records)は、ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号の表紙で、サニーサイダーズ(The Sunnysiders)の「ヘイ、ミスター・バンジョー(Hey, Mr. Banjo)」を通じて大きく扱われています。同記事では、同盤がカップ・レコード(Kapp Records)にとって初の大ヒットとして説明され、1955年のバンジョー流行を押し広げた録音として扱われています。ポール・ミルズ(Paul Mills, 生没年不明)が選定したマスターがカップ・レコード(Kapp Records)へ売却された経緯も述べられており、当月の資料上で同社の録音商品と市場反応を直接確認できます。

ドット・レコード社

ドット・レコード社(Dot Records, Inc.)は、ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号に広告を掲載し、ヒルトッパーズ(The Hilltoppers)の「ザ・ケンタッキアン・ソング(The Kentuckian Song)」と、パット・ブーン(Pat Boone, 生没年不明)の「エイント・イット・ア・シェイム(Ain’t It a Shame)」を大きく宣伝しています。同号の地域別小売報告でも「エイント・イット・ア・シェイム(Ain’t It a Shame)」は複数地域で挙げられており、リズム・アンド・ブルース系楽曲のポップ市場向けカバーが商業的に広がっていた状況を示します。同社所在地は広告上でテネシー州ギャラティンとされています。

ケイデンス・レコード

ケイデンス・レコード(Cadence Records)は、1955年6月25日号のビルボード(Billboard)で、ディスクジョッキー向け特別EP盤「サンキュー、アーサー・ゴッドフリー(Thank You, Arthur Godfrey)」を送付した会社として報じられています。この盤は、アーサー・ゴッドフリー(Arthur Godfrey, 1903–1983)の番組に関係するマリオン・マーロウ(Marion Marlowe, 1929–2012)、コーデッツ(The Chordettes)、ジュリアス・ラ・ローザ(Julius La Rosa, 1930–2016)の新譜宣伝を目的としていました。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号では、ジョー・デラニー(Joe Delaney, 生没年不明)がレーベルX(Label “X”)からケイデンス・レコード(Cadence Records)へ移り、副社長兼営業責任者に就くことも報じられています。

アメリカン・ブロードキャスティング=パラマウント・シアターズ社

アメリカン・ブロードキャスティング=パラマウント・シアターズ社(American Broadcasting-Paramount Theatres, Inc.)は、1955年6月の業界資料で、新しいレコード事業を進める企業として確認できます。ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号は、サム・クラーク(Sam Clark, 生没年不明)がケイデンス・レコード(Cadence Records)を離れ、新しいエービーシー=パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)の社長に就いたことを報じています。ビルボード(Billboard)1955年6月25日号でも、劇場でレコードを流す販売促進構想を含む新レーベル関連の動きが扱われており、放送・映画興行資本がレコード事業へ入る動きとして位置づけられます。

トゥルー=ブルー・レコード

トゥルー=ブルー・レコード(Tru-Blue Records)は、ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号で、新しく設立されたレコード会社として報じられています。同記事では、レッド・ベンソン(Red Benson, 生没年不明)とボブ・サファー(Bob Saffer, 生没年不明)が同社を設立し、コスナット(Cosnat)が複数地域で流通を扱うことが示されています。大手ではありませんが、1955年6月時点の新規レーベル設立と流通網形成を示す録音産業上の動きとして確認できます。

アールシーエー・シソーラス

アールシーエー・シソーラス(RCA Thesaurus)は、ザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1955年6月25日号で、録音済みラジオ番組シリーズ『ザ・タムルト・アンド・ザ・シャウティング(The Tumult and the Shouting)』を供給する事業として扱われています。同記事では、同番組が1955年6月27日に放送開始予定とされ、歴史的音声・録音済み番組素材をラジオ局へ提供する動きとして説明されています。レコード小売とは異なる形ですが、録音済み音源の制作・供給をめぐる当月の企業活動として確認できます。