1956年1月に録音された音楽

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1956年1月に録音された音楽

1956年1月は、第二次世界大戦後の独立・冷戦・大衆文化の変化が同時に表面化した月です。1月1日、スーダン共和国(Republic of the Sudan)がエジプト共和国(Republic of Egypt)とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)による共同統治を終え、独立しました。1月2日にはフランス共和国(French Republic)で国民議会選挙が行われ、アルジェリア戦争(Algerian War)を背景に第四共和政(French Fourth Republic)の政局が揺れました。エジプト共和国では、ガマール・アブドゥル・ナーセル(Gamal Abdel Nasser, 1918–1970)政権下で新憲法案が示され、共和国体制の制度化が進みました。1月24日、ルック誌(Look)はエメット・ルイス・ティル(Emmett Louis Till, 1941–1955)殺害事件で無罪評決を受けていたジョン・ウィリアム・ミラム(John William Milam, 1919–1980)とロイ・ブライアント(Roy Bryant, 1931–1994)の告白記事を掲載し、アメリカ合衆国(United States of America)の人種差別問題を改めて可視化しました。1月26日にはイタリア共和国(Italian Republic)のコルティナ・ダンペッツォで第7回オリンピック冬季競技大会(VII Olympic Winter Games)が開幕しました。1月30日にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr., 1929–1968)の自宅が爆破され、モンゴメリー・バス・ボイコットをめぐる緊張が高まりました。1月31日にはアラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne, 1882–1956)が死去し、児童文学の一時代が区切りを迎えました。

この月の確認されている録音:0曲

1956年1月の録音に関する情報のまとめ

1956年1月の録音関連では、ロックンロール、リズム・アンド・ブルース、ドゥーワップ、ジャズ・ヴォーカル、クラシカル長時間盤の販売政策が同時に動きました。アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)によるエルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aaron Presley, 1935–1977)の全国展開、サン・レコード(Sun Records)とチェス・レコード(Chess Records)のロックンロール系シングル、ジー・レコード(Gee Records)の若年ヴォーカル・グループ、ヴァーヴ・レコード社(Verve Records, Inc.)の新規録音、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)のバディ・ホリー(Buddy Holly, 1936–1959)録音、アトランティック・レコード(Atlantic Records)とインペリアル・レコード(Imperial Records)のリズム・アンド・ブルース系シングル、さらにキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)とマーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)のクラシカル長時間盤価格政策が確認できます。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)では、1956年1月10日にエルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aaron Presley, 1935–1977)がナッシュヴィルで「ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel)」を録音しました。同曲は同社移籍後最初の重要シングルとして、1月27日に「アイ・ワズ・ザ・ワン(I Was the One)」との組み合わせで発売されました。1月28日には全国テレビ番組ザ・ステージ・ショー(Stage Show)への出演も続き、同社の配給力とテレビ露出が結びついて、プレスリーの全国的な市場拡大が始まりました。

サン・レコード

サン・レコード(Sun Records)では、カール・リー・パーキンス(Carl Lee Perkins, 1932–1998)が1955年12月19日に録音した「ブルー・スエード・シューズ(Blue Suede Shoes)」が、1956年1月にSun 234として市場に出ました。同盤の裏面は「ハニー・ドント(Honey Don’t)」で、サン・レコード(Sun Records)にとって最初期の大規模ヒットとなりました。録音自体は1955年12月ですが、1956年1月の販売展開は、同社がエルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aaron Presley, 1935–1977)移籍後もロックンロール市場で強い存在感を保っていたことを示します。

ジー・レコード

ジー・レコード(Gee Records)では、フランキー・ライモン・アンド・ザ・ティーンエイジャーズ(Frankie Lymon and the Teenagers)による「ホワイ・ドゥ・フールズ・フォール・イン・ラヴ(Why Do Fools Fall in Love)」が、1956年1月10日にGee 1002として発売されました。録音は1955年11月とされますが、1956年1月の発売により、少年ヴォーカルを前面に出したドゥーワップとロックンロールの交差点が商業的に可視化されました。裏面は「プリーズ・ビー・マイン(Please Be Mine)」でした。

チェス・レコード

チェス・レコード(Chess Records)では、チャック・ベリー・アンド・ヒズ・コンボ(Chuck Berry and His Combo)のChess 1615「ノー・マネー・ダウン(No Money Down)」と「ザ・ダウンバウンド・トレイン(The Downbound Train)」が1956年1月末までに店頭に出ていました。同録音は1955年12月にシカゴで行われ、2月4日付のザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)でレビューされました。1月の市場投入は、「メイベリーン(Maybellene)」以後のチャック・ベリー(Chuck Berry, 1926–2017)路線を同社が継続した動きとして位置づけられます。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、1956年1月26日にバディ・アンド・ザ・トゥー・トーンズ(Buddy and the Two Tones)がナッシュヴィルのオーウェン・ブラッドリー(Owen Bradley, 1915–1998)のスタジオで初期録音を行いました。バディ・ホリー(Buddy Holly, 1936–1959)にとって同社での最初期セッションにあたり、「ミッドナイト・シフト(Midnight Shift)」や「ドント・カム・バック・ノッキン(Don’t Come Back Knockin’)」などが録音されました。この時点では後年のクリケッツ(The Crickets)名義以前の録音活動であり、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が若いロックンロール系アーティストを試みた事例です。

エービーシー・パラマウント・レコード

アム=パー・レコード社(Am-Par Record Corporation)が運営したエービーシー・パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、1956年1月に新興レーベルとして市場に現れました。1956年1月28日付のザ・キャッシュ・ボックス(The Cash Box)には、バート・パークス(Bert Parks, 1914–1992)の「アブドゥル・アブルブル・アミール(Abdul Abulbul Amir)」、カタログ番号9661のレビューが掲載されています。同社はこの時期、放送・映画興行系企業グループの背景を持つ新しいレコード事業として、ポピュラー音楽市場に参入しました。

ヴァーヴ・レコード

ヴァーヴ・レコード社(Verve Records, Inc.)では、1956年1月25日にエラ・ジェーン・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald, 1917–1996)がロサンゼルスで同社向けの録音を行いました。バディ・ブレグマン(Buddy Bregman, 1930–2017)の編曲・指揮によるセッションで、「ステイ・ゼア(Stay There)」「ザ・サン・フォーガット・トゥ・シャイン・ディス・モーニング(The Sun Forgot to Shine This Morning)」「トゥー・ヤング・フォー・ザ・ブルース(Too Young for the Blues)」などが記録されています。これはノーマン・グランツ(Norman Granz, 1918–2001)がエラ・ジェーン・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald, 1917–1996)を中心に同レーベルを展開していく初期段階の録音です。

アトランティック・レコード

アトランティック・レコード(Atlantic Records)では、レイ・チャールズ(Ray Charles, 1930–2004)によるAtlantic 1085「メアリー・アン(Mary Ann)」と「ドロウン・イン・マイ・オウン・ティアーズ(Drown in My Own Tears)」が1956年1月に発売されました。録音は1955年11月30日にニューヨークで行われ、同盤は1956年のリズム・アンド・ブルース市場で大きく展開していく基礎になりました。アトランティック・レコード(Atlantic Records)は、ゴスペル感覚を含むレイ・チャールズ(Ray Charles, 1930–2004)のヴォーカル表現を通じて、リズム・アンド・ブルースと後のソウルの接点を広げました。

インペリアル・レコード

インペリアル・レコード(Imperial Records)では、ファッツ・ドミノ(Fats Domino, 1928–2017)のImperial 5375「ボー・ウィーヴィル(Bo Weevil)」と「ドント・ブレイム・イット・オン・ミー(Don’t Blame It on Me)」が1956年1月に発売されました。録音は1955年10月15日に行われたもので、同盤はニューオーリンズ系リズム・アンド・ブルースがポップ市場へ拡大する流れを示します。ファッツ・ドミノ(Fats Domino, 1928–2017)は1955年の「エイント・ザット・ア・シェイム(Ain’t That a Shame)」以後、1956年も同社の主要アーティストとして継続的に市場を牽引しました。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1956年1月14日付のビルボード(Billboard)で、12インチ・クラシカル長時間盤の価格引き下げを行った企業として報じられました。同月のポピュラー市場では、テネシー・アーニー・フォード(Tennessee Ernie Ford, 1919–1991)の「シックスティーン・トンズ(Sixteen Tons)」が1月初旬まで強いチャート動向を示し、ディーン・マーティン(Dean Martin, 1917–1995)の「メモリーズ・アー・メイド・オブ・ディス(Memories Are Made of This)」も上位に立ちました。録音制作そのものに加え、既発録音の販売政策とヒット盤の流通が同社の当月活動として確認できます。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード・コーポレーション(Mercury Record Corporation)は、1956年1月14日付のビルボード(Billboard)で、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)と並んで12インチ・クラシカル長時間盤の価格改定を行った企業として扱われました。この動きは、クラシカル長時間盤を高価格の専門商品からより広い購買層へ近づける販売政策として位置づけられます。1956年1月の同社については、録音日が直接確認できる新規セッションよりも、長時間盤市場での価格政策が当月の企業活動として明確です。