1957年8月に録音された音楽

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1957年8月に録音された音楽

1957年8月は、冷戦、脱植民地化、科学技術、公衆衛生、若者文化が同時に動いた月でした。中東では、シリア政府がアメリカ合衆国の外交官を国外退去処分とし、シリア危機(Syrian Crisis of 1957)が表面化しました。8月21日にはソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)のR-7セミョールカ(R-7 Semyorka)が長距離飛行試験に成功し、宇宙開発競争直前の軍事・宇宙技術を示しました。日本では日本原子力研究所(Japan Atomic Energy Research Institute)のJRR-1(Japan Research Reactor No. 1)が8月27日に日本初の臨界に達しました。アメリカ合衆国では1957年公民権法(Civil Rights Act of 1957)が8月29日にアメリカ合衆国上院(United States Senate)で承認され、署名・発効は9月に持ち越されました。8月31日にはマラヤ連邦(Federation of Malaya)が独立しました。1957–1958年インフルエンザ・パンデミック(1957–1958 influenza pandemic)は夏のアメリカ合衆国で地域流行とワクチン対応を広げ、アメリカン・バンドスタンド(American Bandstand)の全国放送化は、テレビ番組とレコード販売を結びつける若者文化の拡大を示しました。

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1957年8月の録音に関する情報のまとめ

1957年8月の録音関連史では、録音スタジオ整備、アルバム発売、シングル流通、テレビ番組を通じたヒット形成が並行して進みました。アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)はナッシュヴィル録音拠点の整備を進め、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は決算上の拡大を業界誌上で示しました。コロムビア・レコード(Columbia Records)、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)、アトランティック・レコーディング社(Atlantic Recording Corporation)、ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)、コーラル・レコード(Coral Records)、カデンス・レコード(Cadence Records)、スペシャルティ・レコード(Specialty Records)、インペリアル・レコード(Imperial Records)、エービーシー=パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、ロックンロール、ポップ・ヴォーカル、映画音楽、ジャズの市場拡大を支える録音・発売・流通活動を展開しました。

アールシーエー・ヴィクター

1957年8月5日付のビルボード誌(Billboard)は、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)がナッシュヴィルに新しい録音スタジオを設ける計画を報じました。後年アールシーエー・スタジオB(RCA Studio B)として知られる同拠点は、1957年に同社が長期賃借した建物を録音施設として整備したもので、ナッシュヴィル録音産業の拡大を示す重要な動きでした。8月19日付のビルボード誌(Billboard)には、同社の販売促進企画「ベスト・バイ’57(Best Buy ’57)」も掲載され、録音施設整備と新譜販売促進が同じ月の業界誌上に並びました。

キャピトル

1957年8月5日付のビルボード誌(Billboard)は、キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)の1957年6月30日終了年度の売上が35,108,401ドルに達したと報じました。1957年8月のテレビジョン・ダイジェスト(Television Digest)にも、同社の売上・利益に関する同時代記事が掲載されました。1957年8月時点のキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、録音物販売・流通事業を前年を大きく上回る規模へ伸ばしていました。

コロムビア

コロムビア・レコード(Columbia Records)では、ジョニー・マティス(Johnny Mathis)の『チャンセズ・アー(Chances Are)』/『ザ・トゥエルフス・オブ・ネヴァー(The Twelfth of Never)』が1957年8月のポップ・ヴォーカル市場で重要な新譜として流通しました。『チャンセズ・アー(Chances Are)』は、ミッチ・ミラー(Mitch Miller, 1911–2010)の制作方針のもと、レイ・コニフ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ray Conniff and His Orchestra)と録音されたシングルでした。アメリカ議会図書館(Library of Congress)の全米録音登録簿(National Recording Registry)関連解説でも、同曲はジョニー・マティス(Johnny Mathis)の代表的録音として位置づけられています。

デッカ

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、映画『成功の甘き香り(Sweet Smell of Success)』関連の録音商品を1957年夏の市場に展開しました。1957年8月のビルボード誌(Billboard)では、エルマー・バーンスタイン(Elmer Bernstein, 1922–2004)の映画音楽盤と、チコ・ハミルトン・クインテット(Chico Hamilton Quintet)関連のジャズ盤が新作アルバムとして扱われています。映画音楽とジャズを並行してレコード商品化した同作は、1957年夏のデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)における映画連動型アルバム展開の一例でした。

アトランティック

アトランティック・レコーディング社(Atlantic Recording Corporation)は、レイ・チャールズ(Ray Charles, 1930–2004)のアルバム『ザ・グレイト・レイ・チャールズ(The Great Ray Charles)』をAtlantic 1259として1957年8月に発売しました。同作は、レイ・チャールズ(Ray Charles, 1930–2004)のインストゥルメンタル・ジャズ色を前面に出したアルバムでした。リズム・アンド・ブルースのヒット歌手として知られていたレイ・チャールズ(Ray Charles, 1930–2004)を、ジャズ・アルバム市場にも位置づける商品展開でした。

ブランズウィック

ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)では、ザ・クリケッツ(The Crickets)の『ザットル・ビー・ザ・デイ(That’ll Be the Day)』が1957年夏に大きく拡大し、同グループは1957年8月に最初の主要コンサート・ツアーを開始しました。同じブランズウィック・レコード(Brunswick Records)では、ジャッキー・ウィルソン(Jackie Wilson, 1934–1984)の『リート・プティート(Reet Petite)』も1957年8月発売のシングルとして市場に出ました。ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)の1957年8月は、ロックンロールとリズム・アンド・ブルース系ポップの双方でシングル市場への浸透を進めた時期でした。

コーラル

コーラル・レコード(Coral Records)では、デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds, 1932–2016)の『タミー(Tammy)』がCoral 61851として1957年夏の大ヒットになりました。同曲は映画『タミーと独身者(Tammy and the Bachelor)』に由来する映画音楽シングルで、1957年7月にアメリカ合衆国のチャートへ入り、8月には全米上位で推移しました。コーラル・レコード(Coral Records)の『タミー(Tammy)』は、映画主題歌がポップ・シングル市場で長期的なヒットへ発展した1957年夏の代表例でした。

カデンス

カデンス・レコード(Cadence Records)では、ザ・エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)の『ウェイク・アップ・リトル・スージー(Wake Up Little Susie)』が1957年8月中旬にナッシュヴィルのアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)系スタジオで録音されました。同作の発売は9月でしたが、録音活動は1957年8月に直接属します。『ウェイク・アップ・リトル・スージー(Wake Up Little Susie)』は発売後、ポップ、カントリー、リズム・アンド・ブルースの各市場へ広がり、1957年後半のザ・エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)の成功を決定づける録音になりました。

スペシャルティ

スペシャルティ・レコード(Specialty Records)では、リトル・リチャード(Little Richard, 1932–2020)の『キープ・ア・ノッキン(Keep A-Knockin’)』が1957年8月にSpecialty 611として発売されました。同曲は、リトル・リチャード(Little Richard, 1932–2020)の強いヴォーカル、ピアノ、バンド演奏を前面に出したロックンロール・シングルでした。スペシャルティ・レコード(Specialty Records)の1950年代中期録音群は、1957年夏にもロックンロールのレコード市場を拡大し続けていました。

インペリアル

インペリアル・レコード(Imperial Records)では、リッキー・ネルソン(Ricky Nelson, 1940–1985)が1957年8月16日にマスター・レコーダーズ(Master Recorders)で『ビー・バップ・ベイビー(Be-Bop Baby)』、『ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー・ザット・アイ・ラヴ・ユー(Have I Told You Lately That I Love You)』、『イフ・ユー・キャント・ロック・ミー(If You Can’t Rock Me)』を録音しました。『ビー・バップ・ベイビー(Be-Bop Baby)』はImperial 5463として発売されました。テレビ出演で知名度を得た若年歌手の録音が、1957年後半のシングル市場へ直結した事例でした。

エービーシー=パラマウント

エービーシー=パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、ポール・アンカ(Paul Anka)の『ダイアナ(Diana)』を1957年夏に大きく展開しました。ポール・アンカ(Paul Anka)は1957年8月7日にアメリカン・バンドスタンド(American Bandstand)へ出演し、アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(American Broadcasting Company)の全国放送網を通じて同曲の認知を広げました。『ダイアナ(Diana)』は、テレビ番組とレコード販売が結びついた1957年夏の新興ポップ・シングルの代表例でした。