1957年2月に録音された音楽

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1957年2月に録音された音楽

1957年2月は、冷戦下の国際政治、脱植民地化、公民権運動、科学技術、映画文化がそれぞれ重要な節目を迎えた月でした。2月2日、国際連合総会(United Nations General Assembly)は国際連合総会決議第1124号(第11会期)(United Nations General Assembly Resolution 1124 (XI))を採択し、スエズ危機後に残るイスラエル国(State of Israel)軍の撤退問題を扱いました。2月7日にはガーナ独立法1957(Ghana Independence Act 1957)が裁可され、ゴールド・コースト(Gold Coast)は3月6日の独立へ進みました。2月13日–14日、ニューオーリンズのニュー・ザイオン・バプティスト教会(New Zion Baptist Church)で開かれた会合から、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr., 1929–1968)を中心とする南部指導者会議(Southern Leadership Conference)が組織化され、のちの南部キリスト教指導者会議(Southern Christian Leadership Conference)へつながりました。2月27日には毛沢東(1893–1976)が「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」を講話しました。科学技術では2月1日、フェリクス・ヴァンケル(Felix Wankel, 1902–1988)が関与したエヌエスウー・モトーレンヴェルケ(NSU Motorenwerke AG)のDKM 54ロータリー・ピストン・エンジンが試験台で始動しました。文化面では2月16日、イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman, 1918–2007)監督の映画『第七の封印(Det sjunde inseglet)』がスウェーデンで公開されました。

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1957年2月の録音に関する情報のまとめ

1957年2月の録音関連情報では、ロング・プレイング盤の価格政策、クラシック新譜の投入、ロックンロールとジャズの録音・発売、録音再生機器を含む宣伝活動が並行して進みました。アメリカ合衆国のレコード市場では、マーキュリー・レコード(Mercury Records)、デッカ・レコード(Decca Records)、エピック・レコード(Epic Records)、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)が販売店向け施策や新譜展開を進め、サン・レコード(Sun Records)、ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)、エービーシー=パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)では、1957年のポピュラー音楽史に残る録音やアルバム展開が生まれました。

マーキュリー・レコード

ビルボード(Billboard)1957年2月2日号は、マーキュリー・レコード(Mercury Records)が2月に販売店向け10パーセント値引き施策を設定したことを報じました。1957年初頭のアメリカ合衆国レコード市場では、ロング・プレイング盤、エクステンデッド・プレイ盤、シングル盤の販売競争が重なっており、同施策は販売店を巻き込む月次キャンペーンの一例となりました。

デッカ・レコード

ビルボード(Billboard)1957年2月9日号は、デッカ・レコード(Decca Records)が2月向けにゴールド・レーベルのクラシック新譜14パッケージを投入する動きを報じました。デッカ・レコード(Decca Records)は、ポピュラー音楽だけでなくクラシックのロング・プレイング盤市場でも、まとまった新譜群を販売店へ提示していました。1957年2月には、パッツィー・クライン(Patsy Cline, 1932–1963)の「ウォーキン・アフター・ミッドナイト(Walkin’ After Midnight)」もデッカ・レコード(Decca Records)から発売され、カントリーとポップの双方にまたがる市場展開へ進みました。

レミントン・レコード

ビルボード(Billboard)1957年2月16日号は、レミントン・レコード(Remington Records)が低価格ロング・プレイング盤を大規模宣伝とともに打ち出したことを報じました。同社の動きは、1950年代半ば以降に拡大したロング・プレイング盤市場において、価格訴求と広告展開を組み合わせる販売方式を示しています。レミントン・レコード(Remington Records)は、1957年2月時点で、録音内容だけでなく低価格帯アルバムの流通方法を前面に出していました。

アールシーエー・ヴィクター

キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1957年2月23日号では、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)がニュー・オーソフォニック・ハイ・フィデリティ録音(New Orthophonic High Fidelity recordings)とビクトローラ蓄音機(Victrola Phonograph)を結びつけて宣伝していました。ビルボード(Billboard)1957年2月23日号では、同社のエクステンデッド・プレイ盤展開も扱われました。エルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aaron Presley, 1935–1977)の映画『さまよう青春(Loving You)』関連録音は、1957年1月12日–2月24日にハリウッドで行われたセッションを含み、2月23日と2月24日の録音が同作関連の当月録音として残っています。

エピック・レコード

ビルボード(Billboard)1957年2月23日号は、エピック・レコード(Epic Records)がハイ・フィデリティ盤の「バイ・オブ・ザ・マンス」アルバムに$2.98の特別価格を設定したことを報じました。キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1957年2月23日号では、フランシス・ジェイ・ベリー(Francis J. Berry, 生没年不明)がシングル盤販売責任者に、リチャード・ラガ(Richard Laga, 生没年不明)が中西部販売責任者に任命されたことも報じられています。1957年2月のエピック・レコード(Epic Records)は、価格施策と販売体制の整備を同時に進めていました。

エービーシー=パラマウント・レコード

ビルボード(Billboard)1957年2月23日号では、エービーシー=パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)のジャズ・アルバムとして、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones, 1933–2024)の『ディス・イズ・ハウ・アイ・フィール・アバウト・ジャズ(This Is How I Feel About Jazz)』が紹介されました。同作はクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones, 1933–2024)の初期リーダー作で、1957年2月のアルバム市場における同社のジャズ展開を示しました。エービーシー=パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、この時期にポピュラー音楽とジャズの双方でロング・プレイング盤の存在感を高めていました。

ブランズウィック・レコード

1957年2月25日、バディ・ホリー(Buddy Holly, 1936–1959)を含むザ・クリケッツ(The Crickets)は、ニュー・メキシコ州クローヴィスのノーマン・ペティ・レコーディング・スタジオ(Norman Petty Recording Studios)で「ザットル・ビー・ザ・デイ(That’ll Be the Day)」を録音しました。ノーマン・ペティ(Norman Petty, 1927–1984)が関与したこの録音は、のちにブランズウィック・レコード(Brunswick Records)からBrunswick 55009として発売され、1957年のロックンロールを代表する録音のひとつとなりました。同録音は、デッカ・レコード(Decca Records)傘下のブランズウィック・レコード(Brunswick Records)とコーラル・レコード(Coral Records)をめぐるバディ・ホリー(Buddy Holly, 1936–1959)の契約関係とも結びついています。

サン・レコード

1957年2月、ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis, 1935–2022)は、テネシー州メンフィスのサン・スタジオ(Sun Studio)で「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン(Whole Lotta Shakin’ Goin’ On)」を録音しました。録音にはローランド・ジェインズ(Roland Janes, 1933–2013)、ジェイ・エム・ヴァン・イートン(J. M. Van Eaton, 1937–2024)らが参加し、ジャック・クレメント(Jack Clement, 1931–2013)が録音を監督しました。同作は同年にサン・レコード(Sun Records)から発売され、ロックンロールとロカビリーの商業的拡大を示す重要な録音となりました。

スペシャルティ・レコード

1957年2月、スペシャルティ・レコード(Specialty Records)は、リトル・リチャード(Little Richard, 1932–2020)の「ルシール(Lucille)」を発売しました。同曲は1956年7月30日にニューオーリンズのジェイ・アンド・エム・レコーディング・スタジオ(J&M Recording Studio)で録音され、1957年のリズム・アンド・ブルースとロックンロール市場で大きく広がりました。リトル・リチャード(Little Richard, 1932–2020)の強いヴォーカルと推進力のあるリズムは、スペシャルティ・レコード(Specialty Records)のロックンロール路線を象徴する要素になりました。

インペリアル・レコード

1957年2月、インペリアル・レコード(Imperial Records)は、アントワーヌ・ドミニク・ドミノ・ジュニア(Antoine Dominique Domino Jr., 1928–2017。芸名:ファッツ・ドミノ)の「アイム・ウォーキン(I’m Walkin’)」を発売しました。同曲は1957年1月3日に録音され、ニューオーリンズ・リズム・アンド・ブルースを基盤とするファッツ・ドミノ(Fats Domino)の録音として、ポップ市場とリズム・アンド・ブルース市場をつなぐ商業展開を示しました。インペリアル・レコード(Imperial Records)は、1950年代後半のロックンロール普及期において、ニューオーリンズ系録音の全国流通を支える重要なレーベルでした。

サレム・レコード

キャッシュ・ボックス(The Cash Box)1957年2月9日号では、サレム・レコード(Salem Records)がジョニー・ペイト(Johnnie Pate, 1923–2022)を音楽監督に迎えたことが報じられています。1957年2月には、ジョニー・ペイト(Johnnie Pate, 1923–2022)のロング・プレイング盤『ジョニー・ペイト・アット・ザ・ブルー・ノート(Johnnie Pate at the Blue Note)』の発売も伝えられました。サレム・レコード(Salem Records)は、シカゴ周辺のジャズ録音をロング・プレイング盤として市場に出すレーベル活動を進めていました。