1957年9月に録音された音楽

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1957年9月に録音された音楽

1957年9月は、冷戦下の政治、核技術、公民権、舞台文化が同時に動いた月でした。アメリカ合衆国(United States of America)では、ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower, 1890–1969)が1957年公民権法(Civil Rights Act of 1957)に署名し、大統領令第10730号(Executive Order 10730)によってリトルロック・セントラル高等学校(Little Rock Central High School)への連邦介入を命じました。ドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)では連邦議会選挙でキリスト教民主同盟(Christian Democratic Union)とバイエルン・キリスト教社会同盟(Christian Social Union in Bavaria)が多数を確保し、タイ王国(Kingdom of Thailand)ではサリット・タナラット(Sarit Thanarat, 1908–1963)がプラーク・ピブーンソンクラーム(Plaek Phibunsongkhram, 1897–1964)政権を倒しました。科学技術ではレーニア実験(Rainier event)とキシュテム事故(Kyshtym disaster)が起こり、文化面では『ウエスト・サイド・ストーリー(West Side Story)』がブロードウェイ(Broadway)で開幕しました。

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1957年9月の録音に関する情報のまとめ

1957年9月の録音産業では、ロングプレイ盤を中心にした秋季販売施策、テレビ番組や消費財と連動したレコード販促、旧78回転盤在庫の整理、ブロードウェイ作品のオリジナル・キャスト録音、小規模ジャズ・レーベルや新興レーベルの月次展開が重なりました。録音物は単独商品としてだけでなく、家庭用品、ラジオ番組、舞台作品、販売店向けの信用条件と結びつけられ、1950年代後半のレコード市場がロングプレイ盤中心へ移行していたことを示しています。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1957年9月向けに秋季計画の後半を開始し、「ゼアズ・マジック・イン・ミュージック(There’s Magic in Music)」を掲げて新アルバム28点を投入しました。内訳はポピュラー15点、「キャピトル・オブ・ザ・ワールド(Capitol of the World)」8点、クラシック5点で、ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団(Los Angeles Philharmonic Orchestra)などの同レーベルでのロングプレイ盤初登場も含まれていました。1957年9月28日までの割引、支払い猶予、交換条件を組み合わせた販売施策は、秋季市場でのロングプレイ盤拡販を狙うものでした。

アールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、キンバリー・クラーク社(Kimberly-Clark Corporation)のクレネックス・ティッシュ(Kleenex Tissue)と連動する40日間のレコード景品施策を1957年9月23日–11月1日に設定しました。中心商品はペリー・コモ(Perry Como, 1912–2001)のロングプレイ盤6点から抜粋した特別拡張再生盤で、ディスクジョッキー3,800人を対象にした関連コンテストも1957年9月9日に開始されました。テレビ番組、家庭用品、ラジオ露出を組み合わせた販促は、同社の録音物を家庭消費の導線に組み込む施策でした。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1957年9月の販売会議で、アメリカ合衆国の作曲家の作品をまとめる「ツイン・シーエル・シリーズ(Twin CL series)」を業界向けに提示しました。ミッチ・ミラー(Mitch Miller, 1911–2010)は、ネイビー=マリーン・コープス・メモリアル・スタジアム(Navy–Marine Corps Memorial Stadium)募金向けに「錨を上げて(Anchors Aweigh)」と「海兵隊賛歌(Marine Hymn)」を組み合わせた特別盤を無償録音しました。1957年9月29日には、ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー(West Side Story)』の1957年オリジナル・ブロードウェイ・キャスト録音がコロムビア30丁目スタジオ(Columbia 30th Street Studio)で行われ、制作はゴダード・リーバーソン(Goddard Lieberson, 1911–1977)、録音技師はフレッド・プラウト(Fred Plaut, 1907–1985)とエドワード・T・グラハム(Edward T. Graham, 生没年不明)が担当しました。1957年9月30日付の業界紙では、同社の流通体制を大きく転換する動きも報じられています。

コロムビア・フォノグラフ

コロムビア・フォノグラフ(Columbia Phonographs)は、1957年9月の広告で1958年向けの再生機ラインを告知し、卓上型、携帯型、高級機を含む製品群を示しました。広告では、ディレクテッド・エレクトロモーティヴ・パワー(Directed Electromotive Power)を特徴として掲げ、家庭用再生機の音量、操作性、室内配置を販売訴求の中心に置いています。レコード各社がロングプレイ盤の販売を強化するなか、同社の広告は再生機側から録音物市場を支える動きでした。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、ブロードウェイ新作ミュージカル『カッパー・アンド・ブラス(Copper and Brass)』のオリジナル・キャスト盤権利を取得しました。同作はニューヘイブン(New Haven)で試演に入り、1957年9月24日からフィラデルフィア(Philadelphia)で上演される予定とされ、ニューヨークでの開幕後にアルバムを発売する計画でした。ブロードウェイ作品の録音権獲得は、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が舞台音楽アルバムを重要な商品領域として扱っていたことを示しています。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)は、「ファイヴ・フォー・ワン、テイク・エム・オール(Five for One, Take ’M All)」と題したロングプレイ盤販促を1957年9月15日まで延長しました。販売店は各社の旧78回転盤を、マーキュリー・レコード社(Mercury Record Corporation)のロングプレイ盤購入額に対する一定条件の信用として差し出すことができました。旧規格在庫の整理と新規格商品の拡販を結びつけたこの施策は、同社がロングプレイ盤市場への移行を販売制度面から進めていたことを示しています。

ロンドン・レコード

ロンドン・レコード(London Records)は、1957年9月にイギリス系オーケストラのアルバムを対象にした特別販売施策を実施しました。販売店向けには、対象盤を5枚仕入れる際に4枚分の価格で購入できる条件と、1957年11月1日、12月1日、1958年1月1日の分割支払い条件が示されました。キャンペーン名は「エンジョイアブル・ミュージック・アット・ア・ドリーム・プライス(Enjoyable Music at a Dream Price)」で、ロンドン・レコード(London Records)はクラシック寄りの既存カタログを価格訴求によって動かそうとしていました。

アトランティック・レコーディング

アトランティック・レコーディング社(Atlantic Recording Corporation)は、1957年9月の業界紙で秋季アルバム販売施策と広告展開を打ち出しました。同社はリズム・アンド・ブルースやジャズを含む録音カタログを、シングル中心の市場からロングプレイ盤市場へ広げる方向に置いていました。1957年9月の動きは、独立系レーベルがアルバム単位の販促に力を入れ始めた例として位置づけられます。

ルーレット・レコード

ルーレット・レコード(Roulette Records)は、1957年9月の業界紙で、エメット・ケリー(Emmett Kelly, 1898–1979)を軸にした児童向けレコード・ラインの準備が報じられています。1957年に設立された新興レーベルとして、ポピュラー・シングルだけでなく、家庭向け・児童向けの録音物にも展開を広げようとしていました。児童向けレコードの企画は、同社が短期間で商品領域を広げていたことを示しています。

ドット・レコード

ドット・レコード社(Dot Records, Inc.)は、1957年9月初旬の同時代紙面で、セシル・アルトマン・ブーン(Cecil Altman Boone, 1935–2023)との録音契約が報じられています。同記事段階ではニック・ブーン名義で扱われており、後続盤で用いられる芸名ニック・トッド(Nick Todd)とは表記が異なります。最初の面が録音され、即時発売に回されたことから、ドット・レコード社(Dot Records, Inc.)が新人歌手を迅速に市場投入する体制を取っていたことがわかります。

モード・レコード

モード・レコード(Mode Records)は、編成間もないジャズ系レーベルとして、ニューヨークで切られたジョージ・ウォーリントン(George Wallington, 1924–1993)のセッションを1957年9月発売用の最初の完成録音として報じられています。同社は毎月10点のロングプレイ盤を出す計画を掲げ、ワーン・マーシュ(Warne Marsh, 1927–1987)、ヴィクター・フェルドマン(Victor Feldman, 1934–1987)らのセッションも予定していました。1957年9月は、モード・レコード(Mode Records)がジャズ・ロングプレイ盤レーベルとして市場に出る初期段階でした。