1958年4月に録音された音楽

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1958年4月に録音された音楽

1958年4月は、冷戦下の科学技術、核問題、文化交流、放送文化が同時に動いた月でした。4月1日、英国放送協会(British Broadcasting Corporation)のラジオフォニック・ワークショップ(Radiophonic Workshop)が正式に発足し、放送音響と電子音楽制作の拠点となりました。4月4日–7日には、反核戦争直接行動委員会(Direct Action Committee Against Nuclear War)が組織し、核軍縮キャンペーン(Campaign for Nuclear Disarmament)が支援したオルダーマストン行進(Aldermaston March)が行われました。4月9日には、キューバ共和国(Republic of Cuba)で7月26日運動(26th of July Movement)がフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista, 1901–1973)政権打倒を目指すゼネラル・ストライキを呼びかけましたが、失敗しました。4月13日には、ヴァン・クライバーン(Van Cliburn, 1934–2013)がモスクワで第1回チャイコフスキー国際コンクール(First International Tchaikovsky Competition)に優勝し、米ソ文化交流の象徴的な出来事となりました。4月14日には、ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)の人工衛星スプートニク2号(Sputnik 2)が大気圏に再突入しました。4月17日には、ベルギー王国(Kingdom of Belgium)でボードゥアン1世(Baudouin I, 1930–1993)がブリュッセル万国博覧会(World Expo 1958 Brussels)を開幕し、アトミウム(Atomium)が原子時代を象徴する建造物として公開されました。4月28日には、アメリカ合衆国(United States of America)のハードタックI作戦(Operation Hardtack I)が太平洋核実験として始まりました。

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1958年4月の録音に関する情報のまとめ

1958年4月のレコード産業では、ステレオ長時間盤の市場投入、映画会社系レーベルの参入、テレビ放送とレコード販売の連動、ヒット・シングルの急伸が並行して進みました。各社は従来のモノラル盤販売に加え、ステレオ盤、高忠実度録音、テレビ番組との連動販売、映画会社の音楽資産活用を強め、1950年代後半の録音産業が新しい音響技術とメディア横断型の販売体制へ移行していたことを示しています。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1958年4月の業界紙でステレオ長時間盤の発売準備を進める主要企業として報じられました。長時間盤市場で強い地位を持っていた同社は、モノラル長時間盤中心の販売体制に加えて、ステレオ長時間盤を小売市場へ供給する段階に入りました。同月の報道では、ステレオ長時間盤が実験的な音響技術ではなく、一般向けの商品として扱われ始めたことが示されています。

アールシーエー・ビクター

アールシーエー・ビクター(RCA Victor)は、1958年4月にステレオ盤の販売方針とポピュラー歌手の録音計画で動きを見せました。ミュージック・ヴェンダー(Music Vendor)1958年4月28日号では、トニー・パーキンス(Tony Perkins, 1932–1992)がニール・ヘフティ(Neal Hefti, 1922–2008)の伴奏で追加シングルを録音予定であることが報じられました。音響専門誌でも、同社が通常盤とステレオ盤を並行して扱う方針が報じられ、ステレオ盤市場の拡大に向けた動きが見られました。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records)では、ローリー・ロンドン(Laurie London, 1944–2024)の「ヒーズ・ガット・ザ・ホール・ワールド・イン・ヒズ・ハンズ(He’s Got the Whole World in His Hands)」が1958年4月の米国市場で大きく伸びました。同作は英国パーロフォン・レコード(Parlophone Records)録音を米国でキャピトル・レコード(Capitol Records)が扱ったもので、米国と英国の録音流通が結びついた事例です。4月のチャート上昇は、海外録音を米国レーベルが配給する販売網の重要性を示しました。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード(Mercury Records)では、プラターズ(The Platters)の「トワイライト・タイム(Twilight Time)」が1958年4月の米国ポピュラー音楽市場で大きな動きを見せました。同作は既存曲をヴォーカル・グループ向けに再構成した録音で、ドゥーワップ系ポップスと主流ポピュラー市場を結ぶ作品となりました。1958年4月のチャート動向は、マーキュリー・レコード(Mercury Records)がヴォーカル・グループ録音を全国的なヒットへ押し上げる販売力を持っていたことを示しています。

ケイデンス・レコード

ケイデンス・レコード(Cadence Records)では、エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)の「オール・アイ・ハヴ・トゥ・ドゥ・イズ・ドリーム(All I Have to Do Is Dream)」と「クローデット(Claudette)」が1958年4月に発売されました。同録音は、エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)の二声ハーモニーを前面に出し、カントリー、ポップス、ロックンロールの境界を横断するシングルとして広く受け入れられました。1958年4月の発売は、同デュオの国際的な成功を決定づける重要な動きとなりました。

リバティ・レコード

リバティ・レコード(Liberty Records)では、ロス・バグダサリアン・シニア(Ross Bagdasarian Sr., 1919–1972)がデイヴィッド・セヴィル(David Seville)名義で発表した「ウィッチ・ドクター(Witch Doctor)」が1958年4月に急伸しました。同作は、テープ速度操作で高い声を作る録音技術を商業的に利用したノヴェルティ・レコードで、のちのチップマンクス(The Chipmunks)関連録音につながりました。1958年4月のヒット化は、録音加工そのものが楽曲の中心的な魅力として機能した事例です。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(MGM Records)は、1958年4月にテレビ放送と連動したアルバム販売を行いました。ミュージック・ヴェンダー(Music Vendor)1958年4月28日号では、『ハンゼルとグレーテル(Hansel and Gretel)』関連アルバムが、4月27日のテレビ放送に合わせて店頭展開される動きとして報じられました。テレビ番組の放送直後に関連レコードを販売するこの方法は、映像メディアとレコード小売を結びつける販売戦略を示しています。

デッカ・レコード

デッカ・レコード(Decca Records)では、ロバータ・シャーウッド(Roberta Sherwood, 1913–1999)の新シングル「ゼアズ・ア・ゴースト・アット・ユア・ウェディング(There’s a Ghost at Your Wedding)」を中心とする宣伝活動が1958年4月に行われました。同月のミュージック・ヴェンダー(Music Vendor)は、ハリウッドのモカンボ(Mocambo)出演、テレビ番組『ジス・イズ・ユア・ライフ(This Is Your Life)』および『テネシー・アーニー・フォード・ショー(The Tennessee Ernie Ford Show)』出演とあわせて報じました。新盤発売とクラブ出演、テレビ出演を重ねる形で、同社は歌手の露出を販売促進へ結びつけました。

トゥエンティース・フォックス・レコード

トゥエンティース・フォックス・レコード(20th Fox Records)は、1958年4月のビルボード(Billboard)で初期発売の動きが報じられました。映画会社系レーベルの参入が相次いだ時期に、同社は映画音楽や映像作品との連動だけでなく、一般のレコード市場に向けた新興レーベルとして活動を始めました。1958年4月の初期発売は、映画会社が自社の音楽資産と販売網をレコード事業に結びつける動きの一部でした。

ワーナー・ブラザーズ・レコード

ワーナー・ブラザーズ・レコード(Warner Bros. Records)は、1958年3月にワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ(Warner Bros. Pictures)の一部門として設立され、1958年4月には映画会社系レーベル参入の流れの中で注目される存在となりました。同社の設立は、映画会社が俳優、音楽出版、映画・テレビ露出をレコード販売へ接続しようとする動きを示しています。1958年春のレコード市場では、映画会社による新レーベル設立が、既存のレコード会社に対する新しい競争要因となりました。

コロンビア・ピクチャーズ社

コロンビア・ピクチャーズ社(Columbia Pictures Corporation)は、1958年4月にレコード事業への参入を準備していました。ビルボード(Billboard)1958年4月28日号では、新レーベル名が未定の段階として報じられており、この計画は後のコルピックス・レコード(Colpix Records)につながりました。映画会社が自社の映像作品、俳優、音楽出版をレコード事業へ展開する動きとして、1958年4月の同社計画は映画産業と録音産業の接近を示しています。

オーディオ・フィデリティ社

オーディオ・フィデリティ社(Audio Fidelity, Inc.)は、1958年4月時点でステレオ・レコード市場の初期展開を示す企業でした。音響専門誌では、同社のステレオ長時間盤が広告・評論の対象となり、ステレオ・ディスクが市販商品として認知され始めていたことが示されています。同社の動きは、1958年の録音産業におけるステレオ化の進行を示す代表的な事例です。