1958年7月に録音された音楽
1958年7月は、中東情勢、アメリカ合衆国の州制度、宇宙開発、災害、連合王国の議会制度が大きく動いた月です。7月7日、ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower, 1890–1969)はアラスカ州昇格法(Alaska Statehood Act)に署名し、アラスカ準州(Territory of Alaska)が1959年1月にアメリカ合衆国49番目の州となる道を開きました。7月9日には、アラスカ準州(Territory of Alaska)のリツヤ湾(Lituya Bay)で地震と巨大津波が発生しました。7月14日、イラク王国(Kingdom of Iraq)で軍事クーデターが起こり、ファイサル2世(Faisal II, 1935–1958)の王政が倒れ、アブドゥルカリーム・カーシム(Abd al-Karim Qasim, 1914–1963)を中心とする新体制が成立しました。7月15日には、1958年レバノン危機(1958 Lebanon crisis)への対応として、アメリカ合衆国海兵隊(United States Marine Corps)がベイルートへ上陸しました。7月24日には、連合王国議会(Parliament of the United Kingdom)で一代貴族法(Life Peerages Act 1958)に基づく最初の一代貴族14名が発表されました。7月26日には、アメリカ合衆国の人工衛星エクスプローラー4号(Explorer 4)が打ち上げられ、7月29日には国家航空宇宙法(National Aeronautics and Space Act of 1958)への署名により、アメリカ航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration)の設立が定められました。
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1958年7月の録音に関する情報のまとめ
1958年7月の録音産業では、ステレオ長時間レコードの本格投入、販売店向けキャンペーン、ディストリビューター会議、アーティスト契約、国外配給が並行して進みました。ドット・レコード社(Dot Records, Inc.)、リバティ・レコード(Liberty Records)、エピック・レコード(Epic Records)はステレオ商品を前面に出し、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)とエービーシー・パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は販売制度と流通網を強化しました。シングル市場では、ポップ、リズム・アンド・ブルース、ロックンロールの新盤が活発に投入され、録音済み音楽の販売競争はステレオ化とヒット・シングルの双方で進みました。
アールシーエー・ヴィクター
ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1958年7月末時点で、販売店店頭で対象アルバムを1ドル引きにする選定盤制度を実施していました。対象には、レッド・シール(Red Seal)系の選定盤としてフリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888–1963)指揮、シカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)による『イベリア(Iberia)』が挙げられ、ポピュラー部門ではエイムズ・ブラザーズ(The Ames Brothers)の『ザ・ベスト・オブ・ジ・エイムズ(The Best of The Ames)』が扱われました。同時期には、スティーヴ・ショールズ(Steve Sholes, 1911–1968)がザ・クルー・カッツ(The Crew-Cuts)との契約を発表し、同グループはシングルとアルバムの双方でアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)に録音する予定とされました。
ドット・レコード
ドット・レコード社(Dot Records, Inc.)は、1958年8月初旬発売予定の同社初のステレオ・アルバム12点を準備していました。ランディ・ウッド(Randy Wood, 1917–2011)による発表では、同じパッケージは1958年10月下旬にステレオ・テープでも発売される予定でした。トム・マック(Tom Mack, 生没年不明)は、過去の売れ筋モノラル盤のステレオ化と、新作のモノラル盤・ステレオ盤同時発売を組み合わせる方針を説明しました。ドット・レコード社(Dot Records, Inc.)は、ステレオ市場参入に備え、約1年半にわたりステレオ録音ライブラリーを蓄積していました。
リバティ・レコード
リバティ・レコード(Liberty Records)は、1958年7月末時点で、1958年9月発売予定のステレオ・アルバム10点を最終準備中でした。対象には、ジュリー・ロンドン(Julie London, 1926–2000)の『アバウト・ザ・ブルース(About The Blues)』、マーティン・デニー(Martin Denny, 1911–2005)の『エキゾティカ 第2集(Exotica, Vol. II)』、ハワード・ラムゼイ・アンド・ヒズ・ライトハウス・オール・スターズ(Howard Rumsey and His Lighthouse All Stars)の『ダブル・オア・ナッシング(Double Or Nothing)』などが含まれていました。録音と制作はサイ・ワロンカー(Si Waronker, 1915–2005)が統括し、販売促進はアル・ベネット(Al Bennett, 生没年不明)が担当するとされました。
エピック・レコード
エピック・レコード(Epic Records)は、1958年7月25日–27日にニューヨーク州ロングアイランドのモントーク・マナー・ホテル(Montauk Manor Hotel)で全国販売会議を開きました。ウィリアム・S・ニールセン(William S. Nielsen, 生没年不明)は、1958年前半のポピュラー・シングル事業が前年同期比で約40%増、アルバム販売が21%増であったと説明しました。同社は、クラシック・カタログの特別価格販売、ポピュラー・アルバムのボーナス制度、25%交換制度を示したうえで、ステレオ再生機器ステレオラマ(Stereorama)を紹介しました。最初のステレオ・リリースはクラシック3枚、ポピュラー6枚とされ、ポピュラー側にはレスター・ラニン(Lester Lanin, 1907–2004)、ニール・ヘフティ(Neal Hefti, 1922–2008)、ジミー・マクパートランド(Jimmy McPartland, 1907–1991)関連のタイトルが含まれていました。
エービーシー・パラマウント・レコード
アメリカン・ブロードキャスティング=パラマウント・シアターズ社(American Broadcasting-Paramount Theatres, Inc.)のエービーシー・パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、1958年7月、ニューヨーク州キアメシャ・レイク(Kiamesha Lake, New York)のコンコード(The Concord)でディストリビューター会議を開きました。会議にはホノルルからの参加者も含まれ、秋季注文の総額は531,365ドルに達しました。同月の業界欄では、ドン・コスタ(Don Costa, 1925–1983)の「ラヴ・ソング・フロム・ハウスボート(Love Song From Houseboat)」、イーディ・ゴーメ(Eydie Gormé, 1928–2013)の「ガッタ・ハヴ・レイン(Gotta Have Rain)」、ロイヤル・ティーンズ(The Royal Teens)の「ハーヴィーズ・ガット・ア・ガール・フレンド(Harvey’s Got A Girl Friend)」などが取り上げられ、同社は秋季販売に向けて流通網と新盤展開を同時に強化しました。
コロムビア・レコード
コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1958年7月末、レス・ポール(Les Paul, 1915–2009)とメアリー・フォード(Mary Ford, 1924–1977)を自社所属アーティストに迎えました。発表は、同社のポピュラー・アーティスト・アンド・レパートリー部門責任者ミッチ・ミラー(Mitch Miller, 1911–2010)によるものとされました。レス・ポール(Les Paul, 1915–2009)は多重録音技術の先駆者として紹介され、コロムビア・レコード(Columbia Records)は録音技術上の革新性を持つアーティストを自社カタログへ加えました。
キャピトル・レコード
キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1958年7月時点でマイアミ会議を終え、秋季商品の販売準備を進めていました。ニューヨーク支店のヴィト・サメラ(Vito Samela, 生没年不明)は、同社在籍10年で最大の秋になるとの見通しを述べました。同欄では、ディーン・マーティン(Dean Martin, 1917–1995)の「ヴォラーレ(Nel Blu Dipinto Di Blu)」が急速に反応を得ていること、ジョー・ブシュキン(Joe Bushkin, 1916–2004)による「トゥルーディ(Trudy)」が同社側の注目盤として扱われていたことも示されました。
デッカ・レコード、ロンドン・レコード、フェルステッド・レコード
デッカ・レコード(Decca Records)とキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1958年7月末、イギリスで注目された「トゥルーディ(Trudy)」のアメリカ版をそれぞれ準備していました。デッカ・レコード(Decca Records)側ではオーウェン・ブラッドリー(Owen Bradley, 1915–1998)が担当したとされます。同じ業界欄では、ロンドン・レコード(London Records)とフェルステッド・レコード(Felsted Records)の全国宣伝責任者マイク・コリアー(Mike Collier, 生没年不明)が、全米音楽商協会(National Association of Music Merchants)見本市対応のためニューヨークに残っていました。フェルステッド・レコード(Felsted Records)では、ロニー・カミンズ(Ronn Cummins, 生没年不明)の「シンデレラ、ニース・ア・ビーチ・アンブレラ(Cinderella, ’Neath A Beach Umbrella)」も業界欄で言及されました。
ケイデンス・レコード
ケイデンス・レコード(Cadence Records)は、1958年7月末、エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)の新盤「バード・ドッグ(Bird Dog)」と「デヴォーテッド・トゥ・ユー(Devoted To You)」を宣伝していました。ケイデンス・レコード(Cadence Records)のマーヴィン・ディーン(Marvin Deane, 生没年不明)が同盤を売り込んでいるとされました。エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)は、1958年時点でポップ市場とロックンロール市場を横断する重要アーティストであり、同盤は同年後半のヒットにつながる新作となりました。
アライド・レコード・セールス
アライド・レコード・セールス(Allied Record Sales)は、1958年7月末、ジャガー・レコード(Jaguar Records)およびドミノ・レコード(Domino Records)とのプレス・配給契約を結びました。ジャガー・レコード(Jaguar Records)側については、ジャガー(Jaguar)、アーリントン(Arlington)および系列レーベルをアライド・レコード・セールス(Allied Record Sales)経由で発売する契約とされ、ドミノ・レコード(Domino Records)側についても同様の扱いが示されました。独立系レーベルのプレスと配給をめぐる動きとして、1958年7月の流通面で重要な展開でした。
ラヴ・レコード
ラヴ・レコード(Love Records)は、1958年7月末、コージー・コール(Cozy Cole, 1909–1981)による「トプシー(Topsy)」を、ベルギーとオランダ地域でプレス・配給するため、ベルギーのムーングロウ(Moonglow)へ販売しました。同盤はボストンおよびニューイングランド地域で反応を得ていました。アメリカ合衆国内のシングル反応が、ヨーロッパ地域での現地プレス・配給へつながった例でした。
ドン・ロビー関連レーベル
ドン・ロビー(Don Robey, 1903–1975)は、1958年7月末、プログレッシブ・ジャズ系レーベルを再活性化しました。ボ・ランボ(Bo Rambo, 生没年不明)のグループによる「ビウィッチド(Bewitched)」と「サウスサイド(Southside)」が挙げられ、さらにジョー・ヒントン(Joe Hinton, 1929–1968)、アンディ・ウィルソン(Andy Wilson, 生没年不明)、ボビー・ブルー・ブランド(Bobby “Blue” Bland, 1930–2013)、リトル・ジュニア・パーカー(Little Junior Parker, 1932–1971)の作品にも言及されました。同じ掲載面にはデューク・レコード(Duke Records)の広告もあり、ドン・ロビー(Don Robey, 1903–1975)周辺の録音・販売活動が展開していました。
