1959年2月に録音された音楽

この記事は約12分で読めます。
スポンサーリンク

1959年2月に録音された音楽

1959年2月は、冷戦下の政治再編、航空・宇宙技術、大衆文化の転換が重なった月です。2月1日、スイス連邦(Swiss Confederation)では連邦レベルの女性参政権が国民投票で否決される一方、ヴォー州(Canton of Vaud)では州レベルで承認されました。2月3日、アメリカ合衆国(United States of America)アイオワ州で、バディ・ホリー(Buddy Holly, 1936–1959)、リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens, 1941–1959)、ザ・ビッグ・ボッパー(The Big Bopper)名義のジャイルズ・ペリー・リチャードソン・ジュニア(Jiles Perry Richardson Jr., 1930–1959)らが航空機事故で死亡しました。2月16日にはフィデル・カストロ(Fidel Castro, 1926–2016)がキューバ共和国(Republic of Cuba)首相に就任しました。2月17日、アメリカ航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration)はヴァンガード2号(Vanguard 2)を打ち上げ、気象衛星利用の初期段階を示しました。2月18日にはネパール王国(Kingdom of Nepal)で初の総選挙が始まりました。2月19日にはロンドン・チューリッヒ協定(London and Zurich Agreements)がキプロス(Cyprus)の独立に向けた枠組みを具体化し、2月20日にはカナダ政府(Government of Canada)がアブロ・カナダ CF-105 アロー(Avro Canada CF-105 Arrow)計画を中止しました。北部ウラル山脈ではディアトロフ峠事件(Dyatlov Pass incident)で登山隊9人が死亡しました。

この月の確認されている録音:0曲

1959年2月の録音に関する情報のまとめ

1959年2月のレコード産業では、ステレオ盤の拡大、テレビ番組・映画・舞台作品のアルバム化、クラシック長時間盤の販売体制、海外レパートリー流通、録音契約と販売網整備が同時に進んでいました。キャッシュ・ボックス(The Cash Box)2月各号では、アメリカ合衆国(United States of America)を中心に、ステレオ・シングル、オリジナル・キャスト盤、テレビ音楽アルバム、映画サウンドトラック盤、クラシック長時間盤、国際配給契約、録音機器の新製品に関する記事が並んでいます。録音市場は、単独のヒット・シングルだけでなく、番組、映画、舞台、クラシック・レパートリー、販売店向け販促を組み合わせた長時間盤中心の展開を強めていました。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1959年2月上旬にステレオ・シングルの発売を進めていました。2月14日号では、ジャズ・トランペット奏者ジョー・ワイルダー(Joe Wilder, 1922–2014)との契約と、ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini, 1924–1994)が音楽を手がけたテレビ番組『ピーター・ガン(Peter Gunn)』関連アルバムの同社での初録音が報じられています。同社は、ステレオ商品化とテレビ音楽関連録音を並行して進め、1959年初頭のステレオ市場拡大に対応していました。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター・レコード部門(RCA Victor Record Division)は、1959年2月に複数の録音・販売関連活動を展開していました。2月14日号では、アールシーエー・メヒカーナ(RCA Mexicana)のラテン・アメリカ商品をアメリカ合衆国(United States of America)の配給業者が直接注文できる体制が即時有効になったと報じられています。同号では、ジャネット・マクドナルド(Jeanette MacDonald, 1903–1965)とネルソン・エディ(Nelson Eddy, 1901–1967)が、過去の出演映画楽曲を新録した長時間盤『フェイヴァリッツ・イン・ハイファイ(Favorites in Hi-Fi)』も紹介されています。2月21日号では、ミュージカル作品『レッドヘッド(Redhead)』のオリジナル・キャスト長時間盤が販売店へ向かい、録音から4日後にニューヨークのディスクジョッキーへ届けられたこと、店頭素材、広告版下、録音済みラジオスポットを含む販促が進められたことが示されています。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1959年2月にクラシック・レパートリー部門の再編を進めていました。2月14日号では、同部門の本拠を同年3月1日付でハリウッドのキャピトル・タワーからニューヨーク事務所へ移す方針が示されています。エンジェル・レコード(Angel Records)関連レパートリーと、ヨーロッパから輸入されるキャピトル・イーエムアイ(Capitol-EMI)系列のクラシック録音管理は、ニューヨーク側へ移されました。あわせて、同社は2月9日付でアーティスト契約と楽曲出版社交渉を扱う担当職を置き、録音制作と権利・レパートリー管理の体制を整えていました。

エンジェル・レコード

エンジェル・レコード(Angel Records)は、1959年2月にクラシック長時間盤9点を発売しました。2月14日号では、声楽、管弦楽、器楽の各分野から3点ずつが発売され、工場封入パッケージと標準パッケージの両方で供給されることが報じられています。発売内容には、フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899–1963)のオペラ作品『ダイアローグ・デ・カルメリット(Dialogues des Carmélites)』、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906–1975)の交響曲第11番などが含まれていました。クラシック長時間盤は、1959年2月の録音市場で独立した重要分野として扱われていました。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(MGM Records)は、1959年2月にテレビ番組『ピーター・ガン(Peter Gunn)』関連の長時間盤を重点商品として扱っていました。2月14日号では、ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini, 1924–1994)が作曲した同番組音楽を、アーロン・ベル(Aaron Bell, 1921–2003)のオーケストラ演奏で収録したアルバムを、低価格系列のライオン・レコード(Lion Records)から配給会社へ出荷し始めたことが報じられています。2月21日号では、エディ・ヘラー(Eddie Heller, 生没年不明)の同社参加後の最初の企画として同アルバムが扱われ、録音完了後、2月16日発売へ向けた販売促進キャンペーンが組まれていました。

ワーナー・ブラザーズ・レコード

ワーナー・ブラザーズ・レコード社(Warner Bros. Records, Inc.)は、1959年2月に10点の長時間盤を発売する方針を示し、全タイトルをステレオとモノラルの両方で録音・発売する方針を継続していました。2月14日号では、拡大するステレオ市場に向けて「A Wider Choice of Tomorrow’s Sound Today」という販売文句を用いた販促を行い、販売店向けにステレオ盤100枚購入に対して25枚を追加提供し、ブラウザー什器を原価で提供する「ステレオ・センター」施策を続けていました。同号では、ギタリストのビリー・バード(Billy Byrd, 1920–2001)との期間録音契約も報じられており、同社はステレオ長時間盤の販売拡大とアーティスト契約を並行して進めていました。

ウェストミンスター・レコード

ウェストミンスター・レコード(Westminster Records)は、1959年2月にニューヨーク・シティ・センター・オペラ(New York City Center Opera)の音楽監督ジュリアス・ルーデル(Julius Rudel, 1921–2014)と録音契約を結びました。2月14日号では、最初の発売予定として、同年夏にウィーン(Vienna)で録音し、秋に発売する5枚の長時間盤が挙げられています。クラシックおよびオペラ分野の長時間盤企画が、契約段階からレコード業界誌で扱われていたことを示す動きです。

ユナイテッド・アーティスツ・レコード

ユナイテッド・アーティスツ・レコード(United Artists Records)は、1959年2月に映画作品『ザ・ビッグ・カントリー(The Big Country)』のサウンドトラック長時間盤を扱っていました。2月14日号では、同映画の音楽がアカデミー賞(Academy Awards)の作曲賞候補になったことに関連して、ジェローム・モロス(Jerome Moross, 1913–1983)が作曲・指揮した完全スコアを収めた長時間盤が同社から発売されていたことが報じられています。映画音楽の長時間盤化は、1959年2月のレコード市場で重要な商品展開のひとつでした。

ルーレット・レコード

ルーレット・レコード(Roulette Records)は、1959年2月にバディ・ジョンソン(Buddy Johnson, 1915–1977)と同オーケストラ、さらに歌手のエラ・ジョンソン(Ella Johnson, 1919–2004)と専属録音契約を結びました。2月14日号では、最初の発売として『テイク・ナンバー・ワン(Take No. 1)』と『ドント・フェイル・ミー・ベイビー(Don’t Fail Me Baby)』が挙げられています。リズム・アンド・ブルース、ジャズ、ポピュラー音楽を横断する録音契約が、同月のレコード会社活動として表れています。

ジョイ・レコード

ジョイ・レコード(Joy Records)は、1959年2月に腹話術師セニョール・ウェンセス(Señor Wences, 1896–1999)との録音契約を結びました。2月14日号では、最初のシングルが2月16日ごろに発売予定であり、アル・ホフマン(Al Hoffman, 1902–1960)とディック・マニング(Dick Manning, 1912–1991)が楽曲を書いたことも示されています。コメディ、ヴォードヴィル、テレビ出演者の録音商品化も、1959年2月のレコード市場に含まれていました。

リバティ・レコード

リバティ・レコード(Liberty Records)は、1959年2月に『チップマンク・ソング(The Chipmunk Song)』をめぐる権利保護と新作レコードの展開を進めていました。2月14日号では、ロス・バグダサリアン(Ross Bagdasarian, 1919–1972)、モナーク・ミュージック(Monarch Music)、リバティ・レコード(Liberty Records)が、『ドクター・アンド・ザ・モンクス(The Doctor And The Monks)』をめぐり、ティップ・トップ・レコード社(Tip Top Record Co., Inc.)、ティップス・ミュージック・パブリッシャーズ社(Tips Music Publishers, Inc.)、オーヴァーブルック・パブリッシング社(Overbrook Publishing Co., Inc.)などを相手に一時差止命令を得たことが報じられています。同時に、デヴィッド・セヴィル(David Seville)名義のロス・バグダサリアン(Ross Bagdasarian, 1919–1972)による新作『アルヴィンズ・ハーモニカ(Alvin’s Harmonica)』も告知されていました。

トゥエンティース・フォックス・レコード

トゥエンティース・フォックス・レコード(20th-Fox Records)は、1959年2月に販売活動を統括する役職の新設・任命を行いました。2月21日号では、同レーベルの販売方針の策定と実行を担う調整役を置いたことが説明されています。録音作品を市場へ展開するための販売組織整備は、映画会社系レコード・レーベルの活動として同月の業界誌に記録されています。

ジュビリー・レコード

ジュビリー・レコード(Jubilee Records)は、1959年2月にフランスのバークレー・ディスク(Barclay Disques)と長期契約を結び、長時間盤とシングル盤の全カタログをフランスおよび関係地域で配給する体制を取りました。2月21日号では、この契約により、同社の録音レパートリーがヨーロッパ市場へ流通することが報じられています。国際配給契約は、アメリカ合衆国(United States of America)のレコード会社にとって、既存録音の市場拡大策のひとつでした。

ウラニア・レコード

ウラニア・レコード(Urania Records)は、1959年2月にアルバム商品の視覚面と販促面の整備を進めていました。2月14日号では、同社の広告、販売促進、アルバム・ジャケット制作に関わるアート・ディレクターの起用が報じられています。長時間盤市場では、録音内容だけでなく、ジャケット、広告、店頭訴求を含む商品設計が販売活動の一部になっていました。

スティールマン=ローランド

スティールマン=ローランド(Steelman-Roland)は、1959年2月にトランジスター式テープ録音機『トランジテープ(Transitape)』を発表しました。2月21日号では、同社がヘロルド・ラジオ・アンド・エレクトロニクス(Herold Radio & Electronics)の子会社であること、製品が標準水銀ペンライト電池で動作し、重量が約6.5ポンド、価格が200ドルとされていたことが示されています。小型録音機器の展開は、1950年代末の録音技術と民生用録音市場の広がりを示しています。