1959年7月に録音された音楽

この記事は約19分で読めます。
スポンサーリンク

1959年7月に録音された音楽

1959年7月は、冷戦下の国際対立、脱植民地化後の国家再編、科学技術、労働運動、音楽文化の拡大が並行して進んだ月です。7月5日、インドネシア共和国(Republic of Indonesia)ではスカルノ(Sukarno, 1901–1970)がインドネシア共和国大統領令1959年第150号(Decree of the President of the Republic of Indonesia Number 150 of 1959 on the Return to the Constitution of 1945)を出し、1945年憲法(Constitution of 1945)への復帰と制憲議会の解散を進めました。7月8日、ベトナム共和国(Republic of Vietnam)のビエンホアではアメリカ合衆国軍事援助顧問団(Military Assistance Advisory Group)施設が攻撃され、アメリカ合衆国軍人2人が死亡しました。7月15日にはアメリカ合衆国で全米鉄鋼労働者組合(United Steelworkers of America)による大規模ストライキが始まりました。7月17日、メアリー・リーキー(Mary Leakey, 1913–1996)はタンガニーカのオルドヴァイ峡谷で、後にパラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)とされる頭骨化石を発見しました。キューバ共和国(Republic of Cuba)ではフィデル・カストロ(Fidel Castro, 1926–2016)とマヌエル・ウルティア・リェオ(Manuel Urrutia Lleó, 1901–1981)の対立を経て、オスバルド・ドルティコス・トラード(Osvaldo Dorticós Torrado, 1919–1983)が大統領となりました。7月21日にはエヌエス・サヴァンナ(N.S. Savannah)が進水し、7月24日にはモスクワ・アメリカ合衆国博覧会(American National Exhibition in Moscow)でリチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913–1994)とニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ(Nikita Sergeyevich Khrushchev, 1894–1971)が「台所論争」を行いました。文化面では7月11日–12日に第1回ニューポート・フォーク・フェスティバル(Newport Folk Festival)が開かれ、アメリカ合衆国のフォーク・リヴァイヴァルの拡大を示しました。

この月の確認されている録音:0曲

1959年7月の録音に関する情報のまとめ

1959年7月の録音・レコード産業では、秋商戦に向けた全国配給会議、ステレオ盤とモノーラル盤の併売、7インチ・ステレオ盤、4トラック・ステレオ・テープ、低価格盤、新系列レーベルの投入が目立ちました。主要会社と独立系レーベルは、1959年8月以降の商品展開を前に、配給業者、販売員、販売店に向けて新商品と販売制度を一斉に提示しました。録音商品の規格と販売方法は、長時間盤中心の市場から、ステレオ化、低価格化、録音済みテープ化を含む複線的な展開へ移りつつありました。

アールシーエー・ヴィクター・レコード

アールシーエー・ヴィクター・レコード(RCA Victor Records)は、1959年7月13日–15日に8地域の配給業者会議を開き、1959年の「ニュー・ゴールデン・エイジ・オブ・サウンド(New Golden Age of Sound)」および「ベスト・バイ(Best Buy)」計画を導入しました。この計画は24点の新アルバムを中心にし、12点のレッド・シール(Red Seal)作品と12点のポピュラー作品を含みました。多くの商品はステレオ盤とモノーラル盤の双方で提供され、ステレオ盤には静電気防止素材「ミラクル・サーフェス(Miracle Surface)」が導入されました。シングル商品では、ジョニー・レスティヴォ(Johnny Restivo)の「The Shape I’m In」を中心に、ファン・クラブ活動と特別郵送を組み合わせた宣伝も展開されました。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコード(Columbia Records)は、1959年7月16日–20日にフロリダ州マイアミビーチで1959年販売会議を開き、秋冬商品の販売計画を提示しました。同社は「プロフィット・パック(Profit Pack)」と呼ばれる販売資料一式を用意し、マスターワークス(Masterworks)、ポピュラー(Popular)、アドヴェンチャーズ・イン・サウンド(Adventures in Sound)、ハーモニー・エルピー(Harmony LPs)向けの在庫提案、10%交換引当、1959年8月–9月発売商品の補充計画を説明しました。同会議では、7インチ・33⅓回転ステレオ盤「ステレオ・セヴン(Stereo Seven)」も発表されました。コロムビア・レコード(Columbia Records)は、45回転シングルと同じ曲目を、選択されたタイトルに限って小型ステレオ盤として出す方針を示しました。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records)は、1959年7月に秋商品と販売促進策を販売部隊へ周知する説明計画を進めました。同社は地区販売責任者をハリウッドへ集め、1959年8月–9月の新商品、販売店補充計画、ステレオ提示を含む商品説明を行い、各地の販売員会議へ展開しました。キャピトル・レコード・ディストリビューティング・コーポレーション(Capitol Records Distributing Corporation)の幹部もこの販売活動に加わりました。キャピトル・レコード・オブ・カナダ(Capitol Records of Canada)は、パテ(Pathé)、パーロフォン(Parlophone)、オデオン(Odeon)のカナダ配給を引き受け、カナダのフランス語圏市場を意識した欧州系商品の流通を強化しました。

デッカ・レコード、コーラル・レコード、ブランズウィック・レコード

デッカ・レコード(Decca Records)は、1959年7月16日にロサンゼルス、7月17日にセントルイス、7月19日にクリーヴランド、7月20日にニューヨークで部門別会議を行い、コーラル・レコード(Coral Records)を含む秋計画を発表しました。ニューヨーク会議には、デッカ・レコード(Decca Records)とコーラル・レコード(Coral Records)の東部部門、カナダ代表、全国幹部が出席しました。同社は、デッカ・レコード(Decca Records)、コーラル・レコード(Coral Records)、ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)の販売店を対象に、過去6か月のアルバム純購入額に基づく10%返品特典制度を設定しました。コーラル・レコード(Coral Records)は、「エクスプローラー22(Explorer 22)」企画を掲げ、アルバム販売を組織的に進めました。

エービーシー・パラマウント・レコード

エービーシー・パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、1959年7月18日にニューヨークのハンプシャー・ハウスで全国配給会議を開始し、秋向け新アルバム16点を紹介しました。同社は7月25日にシカゴ、8月1日にアトランタとロサンゼルスで配給業者会議を予定し、各地域の販売網に向けて新商品を提示しました。販売店向けには、200枚超のアルバムを収容し、追加で200枚分の保管スペースを持つ展示什器「ブラウザー・ボックス(Browser Boxes)」も用意されました。新しい秋アルバム群は、モノーラル盤とステレオ盤の双方で提供される計画でした。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(M-G-M Records)は、1959年7月30日–31日にバハマのナッソーで1959年配給業者会議を予定しました。同会議は、同社がアメリカ合衆国外で開く初の配給業者会議とされ、配給業者は7月29日に到着する日程でした。1959年7月に国外で会議を設定したことは、エムジーエム・レコード(M-G-M Records)が秋商戦を前に販売網との関係を強化しようとしていた動きとして位置づけられます。

エピック・レコード

エピック・レコード(Epic Records)は、1959年7月10日–11日にネバダ州ラスベガスで配給業者会議を開きました。同会議は、1959年7月に集中した配給業者会議の早い時期の例です。個別商品名は確認できませんが、コロムビア系レーベルであるエピック・レコード(Epic Records)が、秋商品の配給業者向け説明を独立した会議として行っていたことを示しています。

リバティ・レコード

リバティ・レコード(Liberty Records)は、1959年7月中旬にロサンゼルスで配給業者会議を開きました。大手会社だけでなく、独立系レーベルも秋商戦を前に商品説明と販売網調整を進めていました。リバティ・レコード(Liberty Records)の会議は、独立系レーベルが配給業者との連携を強め、1959年後半の商品展開を準備していた動きとして扱えます。

サマセット=ステレオ・フィデリティ

サマセット=ステレオ・フィデリティ(Somerset-Stereo-Fidelity)は、1959年7月にロサンゼルス、ニューヨーク、シカゴで配給業者会議を開きました。同社は低価格ステレオ・アルバム市場と結びついたレーベルで、1959年7月には「Tデイ(T Day)」販促も展開しました。この販促では、ステレオ・フィデリティ(Stereo-Fidelity)アルバム10枚の購入に対して、ウェブコー(Webcor)のステレオ・ポータブル蓄音機を提供する内容が示されました。低価格ステレオ盤と再生機器を結びつけた販売策は、ステレオ普及期の店頭販売を象徴する動きでした。

ルーレット・レコード

ルーレット・レコード(Roulette Records)は、1959年7月18日–19日に東部配給業者向け会議を開始し、その後、同月中にシカゴとロサンゼルスでも配給業者会議を開く予定でした。同社は地域別会議を通じて、秋商戦に向けた商品説明と販売網調整を進めました。販売現場では「ルーレット・ディーラーズ・レコード・クラブ(Roulette Dealers Record Club)」も展開され、販売店との継続的な関係づくりが進められていました。

ワーナー・ブラザース・レコード

ワーナー・ブラザース・レコード(Warner Bros. Records)は、1959年7月20日–21日にニューヨークで東部配給業者向け会議を予定しました。同社は1959年7月に集中したレコード会社の配給会議の一角を占め、秋商戦を前に東部市場で販売体制を整えました。同月には、エド・バーンズ(Edd Byrnes, 1932–2020)などのシングル商品も宣伝され、テレビ番組関連の録音商品を販売面で強く押し出していました。

カップ・レコード

カップ・レコード(Kapp Records)は、1959年7月に西海岸で配給業者会議を行いました。同社の会議は、デッカ・レコード(Decca Records)などと並ぶ西海岸での秋商戦準備として位置づけられます。販売現場では、ジェリー・ケラー(Jerry Keller)、ジェーン・モーガン(Jane Morgan)、ジョージア・ギブス(Georgia Gibbs, 1919–2006)の同レーベル商品が注目されていました。

ディズニーランド・レコード

ディズニーランド・レコード(Disneyland Records)は、1959年7月31日–8月3日にカリフォルニア州アナハイムのディズニーランド・ホテル(Disneyland Hotel)で配給業者会議を予定しました。会議は7月末から始まる日程で、同社が夏から秋にかけての販売計画を配給業者へ提示する場でした。児童・家庭向け商品を持つディズニーランド・レコード(Disneyland Records)も、1959年後半のレコード販売網整備に加わっていました。

オーディオ・フィデリティ、ユナイテッド・ステレオ・テープス、アンペックス・オーディオ

オーディオ・フィデリティ(Audio Fidelity)は、1959年7月にユナイテッド・ステレオ・テープス(United Stereo Tapes)の取扱レーベルへ加わりました。ユナイテッド・ステレオ・テープス(United Stereo Tapes)はアンペックス・オーディオ(Ampex Audio, Inc.)の子会社で、7½インチ毎秒・4トラック・ステレオ・テープ形式の商品を扱っていました。同契約は非独占全国流通契約で、初回のオーディオ・フィデリティ(Audio Fidelity)テープ発売は1959年8月15日に予定されました。同社商品の一部は2トラック・ステレオから4トラック形式へ変換され、製造、全国配給、宣伝をユナイテッド・ステレオ・テープス(United Stereo Tapes)が担いました。

ユナイテッド・ステレオ・テープス

ユナイテッド・ステレオ・テープス(United Stereo Tapes)は、1959年7月時点で、複数レーベルの商品を7½インチ毎秒・4トラック・ステレオ・テープとして販売店へ出荷する準備を進めていました。初回発売日は1959年8月1日に設定され、当初予定の1959年7月20日から変更されました。この動きは、レコード盤だけでなく録音済みステレオ・テープが、独立した流通商品として整えられていたことを示しています。

ラム・レコード、アントラー・レーベル、アーメル・ディストリビューターズ

バック・ラム(Buck Ram, 1907–1991)は1959年7月、アントラー・レーベル(Antler label)を従来のマーキュリー・レコード(Mercury Records)の流通経路から離し、新たにラム・レコード(Ram Records)を加え、両者を新しい全国流通組織アーメル・ディストリビューターズ(Armel Distributors)へ割り当てました。同体制のもとで、ラム・レコード(Ram Records)の初回2点はアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)のカスタム・プレス部門を通じて製造される予定でした。この事例は、小規模レーベルがアーティスト・アンド・レパートリー機能に集中し、流通を専門組織へ委ねる動きとして位置づけられます。

ウラニア・レコード、アヴォン・レコード

ウラニア・レコード(Urania Records)は、1959年7月に新しい子会社レーベルとしてアヴォン・レコード(Avon Records)を設立しました。アヴォン・レコード(Avon Records)は、低価格のステレオ盤、モノーラル盤、シングル盤を制作する方針でした。最初のアルバムとして、全員イギリス人キャストによる『マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)』が予定されました。ウラニア・レコード(Urania Records)は、デルア・シスターズ(Delia Sisters)のマスターも購入し、新系列のための音源確保を進めました。

エコンディスク・レコード

エコンディスク・レコード(Econdisk Records)は、1959年7月にイリノイ州モートン・グローヴから新しい45回転シングル系列「エコン45(Econ-45)」を始めました。同系列は75セントの定価で、配給業者と販売店には通常の利幅を提供し、低価格であるため無料提供を行わない方針でした。初回発売にはケン・ウィラート(Ken Willert)の録音が含まれました。エコンディスク・レコード(Econdisk Records)の参入は、1959年7月のシングル盤価格競争と新規レーベル参入の一例です。

ブルズアイ・レコード

ブルズアイ・レコード(Bullseye Records)は、1959年7月に新形式の45回転盤「マルチ・プレイ(Multi-Play)」を出す予定でした。この盤は片面に2曲ずつ、合計4曲を収録し、各曲は1分30秒未満、片面合計は3分未満、定価は98セントとされました。初回盤にはシルヴァー・ストリングス・オーケストラ(Silver Strings Ork)の4曲が予定されていました。ブルズアイ・レコード(Bullseye Records)のマルチ・プレイ(Multi-Play)は、エクステンデッド・プレイ盤とは異なる低価格・多曲収録型のシングル商品として位置づけられます。

ハイファイ・レコード

ハイファイ・レコード(HiFi Records)は、1959年7月にアーティスト・アンド・レパートリー担当のデイヴ・アクセルロッド(Dave Axelrod, 1931–2017)を通じて、ディック・カルマン(Dick Kallman, 1933–1980)と専属契約を結びました。ディック・カルマン(Dick Kallman, 1933–1980)は、ユニヴァーサル・インターナショナル(Universal-International)の映画『ボーン・トゥ・ビー・ラヴド(Born to Be Loved)』に出演した後で、初回録音は同映画のタイトル曲になる予定でした。映画主題歌とレコード制作を結びつけた録音計画として扱えます。

コルピックス・レコード

コルピックス・レコード(Colpix Records)は、1959年7月にニーナ・シモン(Nina Simone, 1933–2003)の新しい録音活動と結びついていました。ニーナ・シモン(Nina Simone, 1933–2003)は7月14日にニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガード(Village Vanguard)へ出演し、ベツレヘム・レコード(Bethlehem Records)のアルバムで注目された後、新しい所属レーベルであるコルピックス・レコード(Colpix Records)でアルバムを録音中でした。同月には、同社の営業担当者がコロムビア・スタジオ(Columbia Studios)でレーベル責任者と会合していました。