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1960年12月に録音された音楽

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1960年12月に録音された音楽

1960年12月、世界では脱植民地化、冷戦、地域紛争、技術発展が重なって進みました。コンゴ共和国(レオポルドヴィル)(Republic of the Congo (Léopoldville))ではパトリス・ルムンバ(Patrice Lumumba, 1925–1961)の拘束をめぐり、国際連合(United Nations)が関与するコンゴ危機が深まりました。国際連合総会(United Nations General Assembly)は12月14日、植民地独立付与宣言(Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples)を採択しました。ラオス王国(Kingdom of Laos)ではヴィエンチャン(Vientiane)をめぐる戦闘が発生し、東南アジアの冷戦構造がいっそう不安定になりました。ネパール王国(Kingdom of Nepal)ではマヘンドラ国王(Mahendra, 1920–1972)が12月15日に政府を解散し、ビシュウェシュワル・プラサード・コイララ(Bishweshwar Prasad Koirala, 1914–1982)らを拘束しました。ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)は12月1日、コラブリ=スプートニク3号(Korabl-Sputnik 3)を打ち上げましたが、回収に失敗しました。アメリカ合衆国(United States of America)では12月16日に1960年ニューヨーク空中衝突事故(1960 New York mid-air collision)が起こり、航空安全の課題が大きく注目されました。アルジェリア戦争(Algerian War)下のアルジェリアでは12月11日前後に独立支持デモが広がり、南ベトナム民族解放戦線(National Liberation Front for South Vietnam)は12月20日に結成されました。

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1960年12月の録音に関する情報のまとめ

1960年12月の録音・レコード産業では、年末商戦と1961年に向けた新規格・新レーベル・流通再編が同時に進みました。アールシーエー・ビクター(RCA Victor)はコンパクト33(Compact 33)を通じて小型33⅓回転盤の市場投入を進め、コロンビア・レコード(Columbia Records)はホーム・ミュージック・ライブラリー(Home Music Library)によって家庭向け販売の実験を行いました。アム=パー・レコード社(Am-Par Record Corp.)のエービーシー・パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)はジャズ専門レーベルのインパルス・レコード(Impulse Records)を立ち上げ、メトロ=ゴールドウィン=メイヤー社(Metro-Goldwyn-Mayer, Inc.)はヴァーヴ・レコード(Verve Records)の取得によってジャズ・カタログを拡充しました。また、リプリーズ・レコード(Reprise Records)ではフランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)の初期重要録音が行われ、1960年末のレコード産業は、販売規格、流通網、専門レーベル、スター主導レーベルの各面で変化を見せました。

アールシーエー・ビクター

アールシーエー・ビクター(RCA Victor)は、1960年12月19日付『ビルボード(Billboard)』で、1961年に向けたコンパクト33(Compact 33)シングルおよびダブルの導入を大きく打ち出していました。コンパクト33(Compact 33)は7インチ盤で33⅓回転を用いる規格で、45回転シングルと並行して市場へ出される小型レコードとして位置づけられました。同社はドクター・ウェスト(Dr. West)歯ブラシとの販促連動を含め、家庭向け・小売向けに新しいシングル需要を作ろうとしていました。1960年12月26日付『ビルボード(Billboard)』の年末号でも、アールシーエー・ビクター(RCA Victor)はシングル市場の主要会社として扱われていました。

コロンビア・レコード

コロンビア・レコード(Columbia Records)は、1960年12月19日付『ビルボード(Billboard)』で、ホーム・ミュージック・ライブラリー(Home Music Library)を東部5地域で試験していると報じられました。ホーム・ミュージック・ライブラリー(Home Music Library)は、家庭に向けてレコードと再生装置を組み合わせた音楽ライブラリーを販売する実験で、通常の小売店販売とは異なる直接販売型の販路拡大策でした。同じ1960年12月19日付『ビルボード(Billboard)』では、コロンビア・レコード(Columbia Records)がホーム・ミュージック・ライブラリー(Home Music Library)をドア・ツー・ドア販売の実験として扱っていたことが示されています。1960年12月26日付『ビルボード(Billboard)』の年末号でも、コロンビア・レコード(Columbia Records)はアルバム市場の主要会社として位置づけられていました。

アム=パー・レコード社とインパルス・レコード

アム=パー・レコード社(Am-Par Record Corp.)のエービーシー・パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、1960年12月5日付『ビルボード(Billboard)』で、ジャズ専門レーベルのインパルス・レコード(Impulse Records)を開始すると報じられました。同記事は「ABC-Paramount Bows Jazz Label—Impulse」として掲載され、インパルス・レコード(Impulse Records)の発足を1960年12月の業界動向として伝えています。インパルス・レコード(Impulse Records)の責任者としてはクリード・テイラー(Creed Taylor, 1929–2022)が関わり、エービーシー・パラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)はジャズ分野を独立レーベルとして強化しました。この動きは、1960年代前半のジャズ録音市場における新しいレーベル展開の出発点になりました。

メトロ=ゴールドウィン=メイヤー社とヴァーヴ・レコード

メトロ=ゴールドウィン=メイヤー社(Metro-Goldwyn-Mayer, Inc.)は、1960年末時点でノーマン・グランツ(Norman Granz, 1918–2001)が創設したヴァーヴ・レコード(Verve Records)を取得した会社として業界紙に登場していました。1960年11月21日付『ビルボード(Billboard)』はメトロ=ゴールドウィン=メイヤー社(Metro-Goldwyn-Mayer, Inc.)によるヴァーヴ・レコード(Verve Records)取得を報じ、1960年12月3日付『キャッシュ・ボックス(The Cash Box)』にも同件が掲載されました。この取得により、ヴァーヴ・レコード(Verve Records)のジャズ・カタログはメトロ=ゴールドウィン=メイヤー社(Metro-Goldwyn-Mayer, Inc.)系の流通・製造体制に組み込まれました。1960年12月の時点で、同件はジャズ・レーベルの所有と流通をめぐる重要な再編として扱われていました。

リプリーズ・レコード

リプリーズ・レコード(Reprise Records)では、フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)が1960年12月19日–21日にロサンゼルスのユナイテッド・レコーダーズ(United Recorders)で『リング・ア・ディング・ディング!(Ring-a-Ding-Ding!)』関連の録音を行いました。この録音は、フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)が自ら設立したリプリーズ・レコード(Reprise Records)における初期の重要セッションでした。編曲・指揮にはジョニー・マンデル(Johnny Mandel, 1925–2020)が関わり、同作は1961年にリプリーズ・レコード(Reprise Records)から発表されました。1960年12月のリプリーズ・レコード(Reprise Records)は、スター歌手が自らの制作・発売基盤を持つ動きの具体例として位置づけられます。