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1960年5月に録音された音楽

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1960年5月に録音された音楽

1960年5月は、冷戦、科学技術、社会制度、文化、災害が大きく動いた月でした。5月1日、フランシス・ゲーリー・パワーズ(Francis Gary Powers, 1929–1977)が操縦するロッキード・ユーツー偵察機(Lockheed U-2 reconnaissance aircraft)がソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)上空で撃墜され、5月16日に開かれた1960年パリ首脳会談(1960 Paris Summit)は対立の場となりました。5月9日、アメリカ合衆国食品医薬品局(United States Food and Drug Administration)はジー・ディー・サール社(G. D. Searle Company)のエノヴィッド(Enovid)を経口避妊薬として承認しました。5月11日にはアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann, 1906–1962)がアルゼンチン共和国(Argentine Republic)で拘束され、5月16日にはテオドール・ハロルド・メイマン(Theodore Harold Maiman, 1927–2007)がヒューズ・エアクラフト社(Hughes Aircraft Company)のヒューズ・リサーチ・ラボラトリーズ(Hughes Research Laboratories)でレーザー発振に成功しました。5月20日、カンヌ国際映画祭(Festival de Cannes)ではフェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920–1993)の『甘い生活(La Dolce Vita)』がパルム・ドール(Palme d’Or)を受賞しました。5月22日にはチリ共和国(Republic of Chile)で1960年チリ地震(1960 Chilean earthquake)と津波が発生し、5月27日にはトルコ共和国(Republic of Turkey)で軍事クーデターが起こり、アドナン・メンデレス(Adnan Menderes, 1899–1961)政権が倒れました。

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1960年5月の録音に関する情報のまとめ

1960年5月の録音関連業界では、新譜発売、販売促進、レコード会社の人事、ジュークボックス市場、ステレオ盤規格への対応が並行して進みました。アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)、キャピトル・レコード(Capitol Records, Inc.)、デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)、マーキュリー・レコード(Mercury Records)、コロンビア・レコード(Columbia Records)、アトランティック・レコード(Atlantic Records)などは、シングル盤、エルピー盤、ステレオ盤、販売網の各領域で動きを見せました。特に7インチ33⅓回転ステレオ・シングルをめぐる議論は、45回転シングル中心の市場に、ステレオ化とジュークボックス向け新規格の問題が加わっていたことを示しています。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1960年5月にシングル盤、アルバム、海外市場、ステレオ・シングル対応をめぐって複数の動きを見せました。ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939–)の「Stairway to Heaven」および「Forty Winks Away」はRCA Victor 47-7719として宣伝され、同人の東洋ツアーと日本でのスタジオ訪問も業界誌で扱われました。エイムズ・ブラザーズ(The Ames Brothers)の「Carnival」および「A Happy Pair」はRCA Victor 47-7742として広告され、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)の『Elvis Is Back!』は同人初のステレオ・アルバムとして宣伝されました。アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)のレコード・クラブは、リーダーズ・ダイジェスト・インターナショナル(Reader’s Digest International)を通じてメキシコ合衆国(United Mexican States)で海外郵送販売を試験的に進め、7インチ33⅓回転ステレオ・シングルについても需要に応じた供給姿勢を示しました。

キャデンス・レコード

キャデンス・レコード(Cadence Records)は、1960年5月にエヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)の「When Will I Be Loved」を主要新譜として宣伝しました。同広告では、ニューヨーク市(City of New York)西57丁目119番地の同社所在地も示され、キャデンス・レコード(Cadence Records)がエヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)の販売促進を継続していたことがうかがえます。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records, Inc.)は、1960年5月にポピュラー、ヴォーカル、カントリー、ステレオ盤の各領域で動きを見せました。フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)の「River, Stay ’Way From My Door」はCapitol 4376として注目され、キングストン・トリオ(The Kingston Trio)の『Sold Out』、テネシー・アーニー・フォード(Tennessee Ernie Ford, 1919–1991)の『Sing a Hymn with Me』、フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)の旧譜もエルピー盤市場で上位に入っていました。7インチ33⅓回転ステレオ・シングルをめぐっては、キャピトル・レコード(Capitol Records, Inc.)がすでに製造に関与している会社として紹介され、ジュークボックス市場を含むステレオ盤需要への対応が進んでいました。

デッカ・レコード

デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)は、1960年5月にブレンダ・リー(Brenda Lee, 1944–)の「I’m Sorry」および「That’s All You Gotta Do」をDecca 31093として展開しました。ハリー・ルービン(Harry Lubin, 1906–1977)の『The Music of Harry Lubin』も、デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)のステレオ・アルバムとして注目されました。ジュークボックス市場に向けた7インチ33⅓回転ステレオ・シングルでは、シーバーグ・マニュファクチャリング社(Seeburg Manufacturing Company)の要請に応じる会社としてデッカ・レコード(Decca Records, Inc.)が登場し、再生機器側の規格変化に合わせた盤種供給が進められていました。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、1960年5月にブルック・ベントン(Brook Benton, 1931–1988)とダイナ・ワシントン(Dinah Washington, 1924–1963)の「A Rockin’ Good Way」および「I Believe」をMercury 71629として、ラスティ・ドレイパー(Rusty Draper, 1923–2003)の「Please Help Me, I’m Falling」をMercury 71634として展開しました。同月には、副社長アート・タルマッジ(Art Talmadge, 1913–1972)が方針の相違を理由に辞任し、経営面でも動きがありました。7インチ33⅓回転ステレオ・シングルについては、マーキュリー・レコード(Mercury Records)が製造開始前ながら検討中の会社として扱われ、ステレオ化への対応を探る段階にありました。

コロンビア・レコード

コロンビア・レコード(Columbia Records)は、1960年5月にカントリー、フォーク、組織人事の各面で動きを見せました。レイ・プライス(Ray Price, 1926–2013)の「One More Time」、ジョニー・ホートン(Johnny Horton, 1925–1960)の「Sink the Bismarck」、ストーンウォール・ジャクソン(Stonewall Jackson, 1932–2021)の「Why I’m Walkin’」、マーティ・ロビンス(Marty Robbins, 1925–1982)の「Big Iron」など、コロンビア・レコード(Columbia Records)関連盤はカントリー市場で上位に入りました。フォー・ブラザーズ(The Brothers Four)の「Greenfields」に続く新譜宣伝も行われ、フォーク系ヴォーカル・グループの展開が続きました。社内では、ゴダード・リーバーソン(Goddard Lieberson, 1911–1977)社長のもとで、ウィリアム・エス・バックマン(William S. Bachman, 生没年不明)、ウィリアム・ピー・ギャラガー(William P. Gallagher, 生没年不明)、ケネス・ディー・グランシー(Kenneth D. Glancy, 生没年不明)、デボラ・アイシュロン(Deborah Ishlon, 生没年不明)が副社長職に就きました。

アトランティック・レコード

アトランティック・レコード(Atlantic Records)は、1960年5月に「1セント・ステレオ」キャンペーンを展開しました。通常価格5.98ドルのステレオ・エルピー盤1枚を購入すると、追加のアトランティック・レコード(Atlantic Records)のステレオ・エルピー盤を1セントで購入できる企画で、月初第1週だけでステレオ・エルピー盤の販売が15万枚を超えたと報じられました。同月には、ドリフターズ(The Drifters)の「Lonely Winds」もアトランティック・レコード(Atlantic Records)の新規チャート入り作品として扱われ、同社はリズム・アンド・ブルース系統のシングル盤とステレオ・アルバム市場の双方で存在感を示しました。

コーラル・レコード

コーラル・レコード(Coral Records)は、1960年5月にアイヴィー・リーグ・トリオ(The Ivy League Trio)との契約と、初シングル「Sailors’ Women」および「Watcha」の発売を進めました。同作はCoral 62204として新譜欄に掲載されました。デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)系列のレーベルであるコーラル・レコード(Coral Records)は、新しいヴォーカル・グループの売り出しを進める一方、テレサ・ブリュワー(Teresa Brewer, 1931–2007)の「How Do You Know It’s Love」もチャート動向欄に登場していました。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(M-G-M Records)は、1960年5月に7インチ33⅓回転ステレオ・シングルへの対応をめぐる会社のひとつとして登場しました。ジュークボックス市場での新しい再生規格をめぐり、エムジーエム・レコード(M-G-M Records)は需要に応じて対応する可能性を持つ会社として位置づけられました。同月のチャート欄では、コニー・フランシス(Connie Francis, 1937–)の「Everybody’s Somebody’s Fool」「Jealous of You」、マーク・ダイニング(Mark Dinning, 1933–1986)関連盤など、同社関連作品の動きも続きました。

リバティ・レコード

リバティ・レコード(Liberty Records)は、1960年5月にステレオ・シングル対応とアーティスト宣伝の両面で動きを見せました。ドン・ボハナン(Don Bohanan, 生没年不明)は、リバティ・レコード(Liberty Records)には45回転ステレオ盤があり、33⅓回転7インチ・シングルの製造準備も進めていると述べました。同月には、ジーン・マクダニエルズ(Gene McDaniels, 1935–2011)とマーティン・デニー(Martin Denny, 1911–2005)の公演予定、シー・ゼントナー(Si Zentner, 1917–2000)の新シングル「The Swinging Eye」も同社関連の動きとして報じられました。

チェス・プロデューシング社

チェス・プロデューシング社(Chess Producing Corp.)は、1960年5月にチェス(Chess)、チェッカー(Checker)、アーゴ(Argo)の各レーベル作品をまとめて宣伝しました。チャック・ベリー(Chuck Berry, 1926–2017)の「Bye Bye Johnny」(Chess 1754)、ボ・ディドリー(Bo Diddley, 1928–2008)の「Walkin’ and Talkin’」(Checker 951)、ミルト・バックナー(Milt Buckner, 1915–1977)のArgo 5361、ジーン・シモンズ(Gene Simmons, 1933–2006)の「Goin’ Back to Memphis」(Checker 948)、エタ・ジェイムズ(Etta James, 1938–2012)の「All I Could Do Is Cry」(Argo 5359)が広告され、リズム・アンド・ブルース系統の複数レーベルを横断した販売促進が行われました。

レンデヴー・レコード

レンデヴー・レコード(Rendezvous Records)は、1960年5月に社長ロッド・ピアス(Rod Pierce, 生没年不明)による2週間の販売促進ツアーを進めました。ツアーは、アーニー・フィールズ(Ernie Fields, 1904–1997)の新シングル「Begin the Beguine」および「Things Ain’t What They Used To Be」を宣伝するもので、一部地域では配給業者変更も予定されました。レンデヴー・レコード(Rendezvous Records)は、新譜宣伝と流通網調整を同時に進めていました。

シーバーグ・マニュファクチャリング社

シーバーグ・マニュファクチャリング社(Seeburg Manufacturing Company)は、1960年5月に7インチ33⅓回転ステレオ・シングルをめぐる議論の中心となりました。ジュークボックス市場におけるステレオ再生とレコード供給の問題をめぐり、デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)はシーバーグ・マニュファクチャリング社(Seeburg Manufacturing Company)の要請に応じて7インチ33⅓回転ステレオ盤を製造する姿勢を示しました。再生機器メーカー側の規格要求は、レコード会社の新譜供給や盤種選択にも影響を与えていました。

ミュージック・オペレーターズ・オブ・アメリカ

ミュージック・オペレーターズ・オブ・アメリカ(Music Operators of America)は、1960年5月にジュークボックス用ステレオ・シングルをめぐる議論と、シカゴ市(City of Chicago)での宴会催事の両面で存在感を示しました。会合では、45回転および33⅓回転のステレオ・シングル供給が主要論点となり、キャピトル・レコード(Capitol Records, Inc.)、デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)、エムジーエム・レコード(M-G-M Records)、マーキュリー・レコード(Mercury Records)、リバティ・レコード(Liberty Records)などの対応が話題となりました。宴会には、ジョニ・ジェイムズ(Joni James, 1930–2022)、ブラウンズ(The Browns)、ジャッキー・ウィルソン(Jackie Wilson, 1934–1984)、ブレンダ・リー(Brenda Lee, 1944–)、ダイアナ・トラスク(Diana Trask, 1940–)など、複数レコード会社の録音アーティストが出演しました。

アメリカ・レコード製造業者・配給業者協会

アメリカ・レコード製造業者・配給業者協会(American Record Manufacturers and Distributors Association)は、1960年5月に、6月12日–14日にニュージャージー州アトランティックシティ(Atlantic City, New Jersey)のトレイモア・ホテル(Traymore Hotel)で開く大会の準備を進めていました。会長エワート・アブナー・ジュニア(Ewart Abner Jr., 1923–1997)は、レーベルと配給業者の個別協議時間を増やす方針を示しました。レコード製造会社と配給業者の関係調整は、1960年の録音産業における重要課題のひとつでした。