このページには広告またはアフィリエイトリンクが含まれることがあります

1960年10月に録音された音楽

スポンサーリンク

1960年10月に録音された音楽

1960年10月は、脱植民地化、冷戦、宇宙開発、選挙政治、社会運動、自然災害が重なった月です。10月1日、ナイジェリア連邦(Federation of Nigeria)はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)から独立し、アブバカル・タファワ・バレワ(Abubakar Tafawa Balewa, 1912–1966)が首相となりました。アメリカ合衆国(United States of America)では、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy, 1917–1963)とリチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913–1994)の大統領候補討論が10月7日・13日・21日に続き、10月14日にはミシガン大学(University of Michigan)で後の平和部隊(Peace Corps)構想につながる演説が行われました。10月4日にはクーリエ1B通信衛星(Courier 1B communications satellite)が打ち上げられ、宇宙通信実験が進みました。10月12日、日本では浅沼稲次郎(1898–1960)が日比谷公会堂で演説中に刺殺されました。10月19日、アメリカ合衆国(United States of America)はキューバ共和国(Republic of Cuba)向け輸出規制を強化し、同日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr., 1929–1968)がアトランタの座り込みで逮捕されました。10月24日にはバイコヌール宇宙基地(Baikonur Cosmodrome)でR-16大陸間弾道ミサイル(R-16 intercontinental ballistic missile)の爆発事故が起き、10月30日–31日には東パキスタン(East Pakistan、現在のバングラデシュ人民共和国(People’s Republic of Bangladesh))沿岸を激しいサイクロンが襲いました。

この月の確認されている録音:0曲

1960年10月の録音に関する情報のまとめ

1960年10月の録音関連業界では、映画音楽アルバムの投入、ヒット・シングルの販売促進、旧ヒット曲の再発売、国際流通網の会議、小売店向け催事などが重なりました。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)の映画サウンドトラック盤『ジー・アイ・ブルース(G.I. Blues)』、チャビー・チェッカー(Chubby Checker)の『ザ・ツイスト(The Twist)』、ザ・ドリフターズ(The Drifters)の『セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー(Save the Last Dance for Me)』などが市場で大きく扱われ、主要レコード会社は新譜広告、再発売企画、海外提携、流通支援を通じて秋季商戦を進めました。

アールシーエー・ビクター

アールシーエー・ビクター(RCA Victor)は、1960年10月発売のポップ・アルバム群に、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)の映画サウンドトラック盤『ジー・アイ・ブルース(G.I. Blues)』を含めました。このアルバムは、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)の兵役後初映画のサウンドトラック盤として扱われ、映画の全国公開に先行して店頭展開されました。1960年10月には、ジョージ・アヴァキアン(George Avakian, 1919–2017)がアールシーエー・ビクター(RCA Victor)のポップ・アルバム部門責任者となり、ビクター・カスタム・レコード(Victor Custom Records)でもニューヨーク担当営業代表の任命が行われました。

コロンビア・レコード

コロンビア・レコード(Columbia Records)は、ジョニー・ホートン(Johnny Horton, 1925–1960)の『ノース・トゥ・アラスカ(North to Alaska)』を同月の有力シングルとして広告・チャート上で展開しました。Columbia 41782 として扱われた同作は、ポップ市場とカントリー市場の双方で注目されました。同月には、コロンビア・レコード・ディストリビューターズ(Columbia Records Distributors)のロサンゼルス支店長人事も行われ、販売網の運営面でも動きがありました。

キャピトル・レコード社

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)では、トム・モーガン(Tom Morgan, 生没年不明)がザ・ギャラクシーズ(The Galaxies)の新シングル『ザ・ビッグ・トライアングル(The Big Triangle)』を制作しました。ザ・ギャラクシーズ(The Galaxies)は、この新シングルの宣伝のためにフォード・ギャラクシー(Ford Galaxie)で全米横断の販促ツアーを行う計画でした。自動車名とグループ名を重ねた宣伝企画として、同月のレコード販売促進の一例となっています。

アトランティック・レコード

アトランティック・レコード(Atlantic Records)は、旧ヒット曲を新番号で再発売するヒット・リイシュー・シリーズ(Atlantic Hit Re-Issue Series)を開始しました。第1弾には、クッキーズ(The Cookies)の『イン・パラダイス(In Paradise)』が選ばれました。ジェリー・ウェクスラー(Jerry Wexler, 1917–2008)は、ジュークボックス業者、ディスクジョッキー、小売店から旧ヒット曲の入手希望が続いていることを背景に挙げています。同月には、ザ・ドリフターズ(The Drifters)の『セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー(Save the Last Dance for Me)』もアトランティック・レコード(Atlantic Records)の重要なヒットとして広く扱われました。

パークウェイ・レコード

パークウェイ・レコード(Parkway Records)は、チャビー・チェッカー(Chubby Checker)の『ザ・ツイスト(The Twist)』によって1960年10月の商業的注目を集めました。同曲はダンス流行と結びついて広がり、チャビー・チェッカー(Chubby Checker)のアルバム『ツイスト・ウィズ・チャビー・チェッカー(Twist with Chubby Checker)』も販売面で大きく扱われました。チャビー・チェッカー(Chubby Checker)は、公演とテレビ出演を通じて同曲を宣伝し、パークウェイ・レコード(Parkway Records)の同月の中心的な販売対象となりました。

マーキュリー・レコード

マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、1960年10月にダミタ・ジョー(Damita Jo, 1930–1998)の Mercury 71690、デイヴィッド・キャロル(David Carroll, 1913–2008)の Mercury 71703、ザ・プラターズ(The Platters)の Mercury 71697、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington, 1924–1963)の Mercury 71696、パティ・ペイジ(Patti Page, 1927–2013)の Mercury 71695、ジョニー・プレストン(Johnny Preston, 1939–2011)の Mercury 71691 を新譜広告としてまとめて提示しました。同月13日–16日には、ブリュッセルで海外提携先8社を集めた4日間の会合を開き、国際販売網の調整を進めました。

デッカ・レコード社

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、ミルトン・R・ラックミル(Milton R. Rackmil, 1906–1992)がニューヨーク証券アナリスト協会(New York Society of Security Analysts)向けに講演し、同社の事業状況を説明しました。デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、創業初年を除いて毎年黒字を維持しており、1960年にはユニバーサル・ピクチャーズ(Universal Pictures)とともに高い営業純益を見込んでいました。レコード事業と映画事業を組み合わせた同社の経営体制は、録音物の制作・販売を支える企業基盤として機能していました。

エムジーエム・レコード

エムジーエム・レコード(MGM Records)は、アメリカ合衆国沿岸警備隊(United States Coast Guard)と連動した募集広報企画を実施しました。同社は、アメリカ合衆国沿岸警備隊シンガーズ(United States Coast Guard Singers)によるアルバム『ブロー・イー・ウィンズ(Blow Ye Winds)』と募集活動を結びつけ、片面に募集メッセージ、片面にアルバム収録曲を入れた特別12インチ盤1,000枚を用意しました。この特別盤は、ラジオ局の番組担当者へ配布される計画でした。

エラ・レコード

エラ・レコード(Era Records)は、ボニー・バウザー(Bonnie Bowser, 生没年不明)の『ストーン・ハート(Stone Heart)』のマスターを購入しました。この音源はもともとセイジ・レーベル(Sage label)で発売され、中西部での反応を受けてエラ・レコード(Era Records)が取得したものです。同社は、ボニー・バウザー(Bonnie Bowser, 生没年不明)と長期専属契約を結びました。

プレスティッジ・レコード社

プレスティッジ・レコード社(Prestige Records, Inc.)は、ジャズおよびブルース系シングルを広告展開しました。同広告では、エタ・ジョーンズ(Etta Jones, 1928–2001)の『ドント・ゴー・トゥ・ストレンジャーズ(Don’t Go to Strangers)』、ジーン・アモンズ(Gene Ammons, 1925–1974)の『カナディアン・サンセット(Canadian Sunset)』、モーズ・アリソン(Mose Allison, 1927–2016)の『ザ・セヴンス・サン(The Seventh Son)』、ジョン・コルトレーン(John Coltrane, 1926–1967)の『アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー(I Want to Talk About You)』などが提示されました。

ランク・レコード・インターナショナル社

ランク・レコード・インターナショナル社(Rank Records International, Inc.)は、1960年10月22日–23日にロンドンで国際コーオペラティブ(International Co-operative)の第2回年次会議を開きました。この会議では、アメリカ合衆国(United States of America)の作曲家に海外市場を利用する機会を与えることや、参加会社による国際的な開拓・販促活動の拡大が扱われました。同月には、ランク・レコード・オブ・アメリカ(Rank Records of America)および加盟・提携会社の広告もまとまって掲載されました。

フェスティバル・レコード

フェスティバル・レコード(Festival Records Pty. Ltd.)は、国際コーオペラティブ(International Co-operative)関連の流通網の一部として動きました。イー・エム・アイ社(E.M.I. Ltd.)が国際コーオペラティブ(International Co-operative)に加わり、フェスティバル・レコード(Festival Records Pty. Ltd.)はオーストラリアでトップ・ランク(Top Rank)およびアメリカン・デッカ(American Decca)作品を扱っていました。同社の系列レーベルであるレックス・レコード(Rex Records)は、海外ヒットのカバー録音を制作する方針を示しました。

コスナット・ディストリビューティング

コスナット・ディストリビューティング(Cosnat Distributing)は、1960年10月2日–4日にコンコード・ホテル(Concord Hotel)で小売業者向け催事を開きました。この催事には、東部地域のレコード小売業者215店が参加しました。コスナット・ディストリビューティング(Cosnat Distributing)の催事は、1960年10月の録音物販売網、小売店向け販促、流通会社による販売支援活動を示す動きでした。