Music recorded in January 1900
1900年1月1日、ドイツ帝国(German Empire)ではドイツ民法典(Bürgerliches Gesetzbuch)が施行され、私法の統一が制度として本格稼働しました。同日、イギリス帝国(British Empire)は王立ニジェール会社(Royal Niger Company)の特許状(charter)を整理し、ナイジェリア地域の統治を北ナイジェリア保護領(Northern Nigeria Protectorate)と南ナイジェリア保護領(Southern Nigeria Protectorate)へ再編しました。1月2日には、アメリカ合衆国(United States of America)の国務長官ジョン・ヘイ(John Hay, 1838–1905)による清(Qing)をめぐる通商原則(いわゆる「オープン・ドア」)に関する交渉進展が報じられました。1月14日、ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini, 1858–1924)のオペラ『トスカ(Tosca)』がローマのテアトロ・コスタンツィ(Teatro Costanzi)で初演されました。1月23日–24日、第二次ボーア戦争(Second Boer War)のスピオン・コップの戦い(Battle of Spion Kop)が展開し、イギリス軍は1月24日の戦闘で大きな打撃を受けました。さらにニューヨークでは、ニューヨーク市高速輸送委員会(New York City Rapid Transit Board)が地下鉄建設の提案を扱い、1900年1月中旬にジョン・B・マクドナルド(John B. McDonald, 1844–1911)の案が採択へ進みました。
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1900年1月の録音に関する情報のまとめ
1900年1月は、円盤式トーキング・マシンの機構改良と、複製技術による量産体制の具体化が、月単位の一次資料(特許・研究論文に整理された社内記録)として確認できる時期です。アメリカ合衆国(United States of America)では、円盤状サウンドレコードを前提とする送り機構や、ホーン/リプロデューサー支持の改良を扱う特許が1900年1月に成立しており、家庭用再生機の操作性・安定性の改善が制度記録(特許)として残っています。一方、フランスのパテ・フレール(Pathé Frères)については、複製シリンダー量産のための設備(複製機)の導入開始が1900年1月の出来事として示され、複製録音が工業的工程へ移行していく局面を、工程と数量の両面から追える状態になっています。
円盤式トーキング・マシンの自動送り機構(1900年1月2日)
1900年1月2日、ジョージ・K・チェイニー(George K. Cheney, 生没年不明)の「トーキング・マシン」に関するアメリカ合衆国特許(United States Patent)が成立し、円盤状サウンドレコードの回転と、再生位置の送り(フィードスクリュー等)を連動させる機構が記載されています。円盤再生の安定性と操作(開始位置へ戻す等)を意識した設計であることが、仕様書本文から確認できます。
ホーン支持とブレーキ連動(1900年1月16日)
1900年1月16日、ジョージ・K・チェイニー(George K. Cheney, 生没年不明)名義で、ホーンとリプロデューサー(再生器)を支持する枠の動き、レコード回転のブレーキ、そして針を盤面から離す動作を連動させる構成を扱うアメリカ合衆国特許(United States Patent)が成立しています。停止時に針を持ち上げる機構を組み込む狙いが、仕様書中の動作説明として明示されています。
パテ・フレールの複製シリンダー量産設備の導入開始(1900年1月)
パテ・フレール(Pathé Frères)は、社内記録に基づく研究の整理として、1900年1月–1902年8月に機械複製で200万本超のプリレコード・シリンダーを生産したとされ、量産の前提となる複製機120台の設置作業が1900年1月に開始されたことが示されています。あわせて、1台あたり日産約50本、不良率10–15%という工程見積りも同じ文脈で記録されています。
