Music recorded in June 1911

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Music recorded in June 1911

1911年6月は、政治・文化・技術・社会の各分野で後の時代につながる動きが重なった月でした。6月6日、アメリカ合衆国はニカラグアと保護国化条項を含む条約に調印しましたが、のちに批准には至りませんでした。6月13日にはパリでイーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882–1971)作曲の《ペトルーシュカ(Petrushka)》が初演され、近代バレエ音楽の重要作として位置づけられました。6月14日には客船オリンピック号(Olympic)が処女航海に出発し、大西洋航路の大型化を象徴しました。6月15日にはロシア帝国のオムスクで西シベリア農業・林業・産業博覧会が開幕し、地域開発と産業振興の気運を示しました。6月16日にはコンピューティング・タビュレーティング・レコーディング社(Computing-Tabulating-Recording Company)が発足し、のちの国際商業機械社(International Business Machines Corporation)の前身となりました。中国では6月17日に四川鉄道保護同盟(Sichuan Railway Protection League)が結成され、鉄道国有化への反発が辛亥革命前夜の社会不安を強めました。さらに6月22日、ジョージ5世(George V, 1865–1936)とメアリー王妃(Mary of Teck, 1867–1953)がウェストミンスター寺院で戴冠し、大英帝国の威信を示す儀礼が広く報じられました。

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1911年6月の録音に関する情報のまとめ

1911年6月の録音関連資料では、トマス・エジソン(Thomas Edison, 1847–1931)系の販売資料が、単なる新譜案内にとどまらず、外国語市場、返品制度、教育用途、販促印刷物までを一体として扱っていたことが確認できます。とくに1911年6月号の『エジソン蓄音機月報(The Edison Phonograph Monthly)』は、外国語レコードの拡販を前面に出しつつ、先行告知による新譜流通も進めており、1911年半ばの録音産業が音源・機械・広告を結び付けながら拡大していたことを示しています。

外国語カタログの拡大

1911年6月号の返品ガイドでは、英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・ヘブライ語・スペイン語・フィリピン語・メキシコ向け・ポルトガル語・アルゼンチン向けなど、多数の外国語系統がエジソン・アンベロールとエジソン・スタンダードの両方で区分されていました。これは、1911年半ばの時点で外国語録音が補助的商品ではなく、返品・在庫管理の対象として制度化された定番部門だったことを示しています。

外国語レコード市場の拡販

同じ1911年6月号では、外国生まれの住民を大きな市場とみなす販売論が展開され、ドイツ語レコードを聴いた購買者の反応も紹介されました。録音物そのものだけでなく、どの言語共同体にどう売るかという販路設計が、月報の重要テーマになっていたことが分かります。

8月発売分の先行告知

1911年6月号には8月分レコードの予告一覧が載っており、販売網が夏の発売分を前倒しで共有していたことが確認できます。月報は単なる宣伝紙ではなく、新譜供給の予定を全国の販売網に同期させる実務文書としても機能していました。

通信教育への応用

1911年6月の関連記事では、シカゴのジーゲル=マイヤーズ通信音楽学校(Siegel-Myers Correspondence School of Music)が、蓄音機とブランク円筒を用いた声楽通信教育を構想していたことが紹介されました。学習者が自宅で吹き込み、円筒を往復させて指導を受ける方式は、録音技術が娯楽だけでなく教育用途にも広がっていたことを物語ります。

ニュー・フォノグラム7周年

1911年6月号の案内からは、ニュー・フォノグラム(The New Phonogram)が翌7月で7周年を迎える節目にあったことが読み取れます。録音産業では、新譜そのものだけでなく、月刊販促印刷物を継続配布する仕組み自体が、レコード需要を保つ重要な装置として扱われていました。