Music recorded in June 1896
1896年6月は、国際政治では極東をめぐる合意が重なりました。ロシア帝国と清国はモスクワで李鴻章(1823–1901)らが関与した密約(李・ロバノフ条約)を結び、続いてサンクトペテルブルクでは山縣有朋(1838–1922)とアレクセイ・ロバノフ=ロストフスキー(Aleksey Lobanov-Rostovsky, 1824–1896)が朝鮮半島での影響力を調整する協定に署名しました。アメリカ合衆国ではセントルイスで共和党全国大会が開かれ、ウィリアム・マッキンリー(William McKinley, 1843–1901)が指名されます。科学技術では、グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)がイギリスで無線電信に関する特許手続きを進めました。産業史ではヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863–1947)が自作車「クアドリサイクル」の試走を行い、個人発の自動車開発が次段階へ進みます。一方、日本では明治三陸地震津波が発生し甚大な被害となりました。娯楽技術の面では、オーギュスト・リュミエール(Auguste Lumière, 1862–1954)とルイ・リュミエール(Louis Lumière, 1864–1948)の上映装置がアメリカ合衆国で公開され、映像の商業興行が広がる土壌が整っていきます。
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1896年6月の録音に関する情報のまとめ
1896年6月の録音・再生メディア周辺では、低価格機の発想を含む蓄音機関連特許の動きと、シリンダー録音内容(とりわけ猥褻表現)をめぐる取締りが同時期に可視化します。技術の側では家庭・小規模用途を狙う装置設計が追求され、流通と社会の側では「何を録って流すか」が争点化し、録音産業の規範形成に影響を与えました。
エドワード・ヒル・アメットの「エコフォン」関連特許
1896年6月23日、エドワード・ヒル・アメット(Edward Hill Amet, 1860–1948)に、グラフォフォン系の音溝から音を再生する装置に関するアメリカ合衆国特許(第562,694号)が付与されたとされます。この系譜は、蓄音機を「高価な据置機」だけでなく、より安価な機械として構想する動き(低価格帯・簡素化)と結びついて語られ、1890年代のシリンダー再生機市場の多様化を示す材料になります。
- https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_H._Amet
- https://forum.antiquephono.org/topic/606-edward-h-amets-echophone-on-this-day-in-phonographic-hstory/
ラッセル・ハンティング摘発と「猥褻録音」取締りの顕在化
1896年6月下旬、ラッセル・ディンズモア・ハンティング(Russell Dinsmore Hunting, 1864–1943)が、猥褻と見なされたシリンダー録音に関連して摘発・処罰された出来事は、初期録音史における「録音内容の規制」を考える上で言及されます。この件は、アンソニー・コムストック(Anthony Comstock, 1844–1915)らの取締り活動が、印刷物を中心に運用されてきた猥褻概念を、音声記録という新しい媒体にも適用していく流れの一例として扱われます。
ただし、摘発の手続きや関係者の役割分担、当時の流通実態など、出来事の細部は参照資料によって記述の範囲が異なり、現時点でこの項目だけから一つの確定的な経緯として整理することはできません。
- https://en.wikipedia.org/wiki/Russell_Hunting
- https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/17483727251379110
- https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1467-6443.2011.01402.x
