Music recorded in June 1900

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Music recorded in June 1900

1900年6月は、清国で義和団事件が急速に軍事衝突へ拡大した月でした。6月10日–28日にかけて北京の外国公使館救援を目的とする国際部隊の遠征(いわゆるシーモア遠征)が行われ、6月20日には北京の各国公使館区域が包囲され、6月21日に清国は列強側へ宣戦布告します。南部アフリカでは第二次ボーア戦争が続き、6月11日–12日にドンカーフック(ダイアモンド・ヒル)の戦いが起きました。アメリカ合衆国では6月19日–21日に共和党全国大会が開かれ、ウィリアム・マッキンリー(William McKinley, 1843–1901)とセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt, 1858–1919)が指名されます。パリでは1900年パリ万国博覧会が会期中で、同じ枠組みでパリ1900夏季オリンピックも進行し、都市は新技術と大衆娯楽の展示空間として機能しました。こうした政治・戦争・博覧会が同時進行したことで、情報伝達と宣伝、そして新しいメディア産業の存在感がいっそう際立つ時期でもありました。

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1900年6月の録音に関する情報のまとめ

1900年6月は、蓄音機産業が「技術の競争」だけでなく「権利と流通の争い」によって大きく形を変えた局面が確認できます。特にアメリカ合衆国では、エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)系統の事業が差止命令で停止に追い込まれ、ディスク式レコードの展開に影響を与えました。一方でヨーロッパでは、1900年パリ万国博覧会の会期中に、植民地パヴィリオン等での音声記録(蝋管)や、磁気録音装置の公開実演が行われ、録音技術が「商品」と「記録(アーカイブ)」の両面で提示されました。以下は、1900年6月に紐づけて一次・準一次資料で説明できるトピックです。

ベルリナー・グラモフォン会社への差止命令(1900年6月、アメリカ合衆国)

1900年6月、ベルリナー・グラモフォン会社(Berliner Gramophone Company)の事業は、裁判所の差止命令により停止へ追い込まれたと説明されています。背景には、販売・流通を担ったフランク・シーマン(Frank Seaman, 生没年不明)らとの関係や、特許をめぐる係争があり、結果としてアメリカ合衆国内でのベルリナー系統の展開は大きく制約されました。ディスク式レコードの初期産業が、発明競争だけではなく、特許・契約・流通支配の構図で再編されていく転換点として位置づけられます。

パリ万国博覧会における蝋管録音アーカイブの形成(1900年、会期中)

1900年パリ万国博覧会(Exposition Universelle)の会期中、医師で人類学者のレオン・アズレー(Léon Azoulay, 1862–1926)が、各地の言語や音楽を蝋管(cylindre phonographique)に録音し、音声アーカイブ化を図ったことが、研究史の枠組みで整理されています。博覧会が「展示」だけでなく、当時の録音装置を用いた大規模なフィールド記録の場にもなった点は、のちの民族音楽学・音声資料保存の系譜に接続します。

ヴァルデマー・ポウルセンのテレグラフォン実演と磁気録音(1900年パリ万国博覧会)

1900年パリ万国博覧会では、ヴァルデマー・ポウルセン(Valdemar Poulsen, 1869–1942)の磁気録音装置テレグラフォン(telegraphone)が公開実演され、フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I, 1830–1916)の音声を録音した事例が、現存最古級の磁気音声記録として言及されています。蝋管や円盤の機械式録音とは異なる原理(磁化による記録)が、博覧会という舞台で「未来の録音技術」として提示された点が重要です。