Music recorded in March 1908
1908年3月は、各地で政治・社会・交通・文化の動きが交差した月でした。1908年3月4日、アメリカ合衆国(United States of America)オハイオ州(State of Ohio)のコリンウッドでレイクビュー小学校(Lake View School)の火災が発生し、多数の児童が犠牲となって学校安全の見直しを促しました。1908年3月6日には、アメリカ合衆国上院(United States Senate)がアメリカ合衆国とスイス連邦(Swiss Confederation)の仲裁条約(Arbitration convention between the United States and the Swiss Confederation)の批准勧告を行い、国際紛争処理の制度化が進みます。1908年3月7日には青森市(Aomori City)と函館市(Hakodate City)を結ぶ青函連絡船が運航を開始し、地域間輸送の基盤が整いました。1908年3月9日にはイタリア(Italy)のミラノでフットボール・クラブ・インテルナツィオナーレ・ミラノ(Football Club Internazionale Milano)が創設され、都市文化としてのスポーツが広がっていきます。アメリカ合衆国(United States of America)ニューヨーク市(City of New York)ではクイーンズボロ橋(Queensboro Bridge)の上部構造が1908年3月に結合完了し、大都市の交通インフラ整備が前進しました。さらに1908年3月23日、サンフランシスコでダーハム・ホワイト・スティーブンス(Durham White Stevens, 1851–1908)が襲撃され、東アジア情勢をめぐる対立が移民社会にも波及していたことが示されます。
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1908年3月の録音に関する情報のまとめ
1908年3月は、販売網(ジョバー/ディーラー)への出荷日程や解禁日時を明確にした形で、新譜情報が業界向けに共有されていたことが一次資料から確認できます。また、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)本人をめぐる社内行事が、販売店向け機関誌で記事化されている点も、この時期の「企業と録音商品の結びつき」を具体的に示します。
エジソン新譜:1908年3月向けアドバンス・リスト(1908年1月号掲載)
『エジソン・フォノグラフ・マンスリー(The Edison Phonograph Monthly)』1908年1月号には、「1908年3月」の新譜としてアドバンス・リストが掲げられています。そこでは、オレンジ(Orange)からの出荷で1908年2月25日以前にジョバーへ到着させる計画、ディーラーへの再出荷解禁時刻、一般向けの展示・実演・販売の解禁日(1908年2月25日)などが、具体的な日時指定つきで示されています。
エジソン新譜:ジョバー向け1908年5月アドバンス・リスト(1908年3月号掲載)
『エジソン・フォノグラフ・マンスリー(The Edison Phonograph Monthly)』1908年3月号には、「1908年5月」のジョバー向けアドバンス・リストが掲載されています。ここでも、オレンジ(Orange)からの出荷予定、ジョバー/ディーラー段階の扱い、展示・実演・販売の解禁(日時指定)といった流通統制が、月次商品として運用されていたことが確認できます。
トーマス・アルバ・エジソン61歳誕生日の祝賀夕食会(1908年2月11日、1908年3月号記事)
『エジソン・フォノグラフ・マンスリー(The Edison Phonograph Monthly)』1908年3月号には、「Dinner to Mr. Edison」として、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の61歳の誕生日(1908年2月11日)に合わせた祝賀夕食会の記事が掲載されています。会場がニュージャージー州(State of New Jersey)ニューアーク(Newark)のクルーガー・オーディトリアム(Krueger Auditorium)であったこと、主催がナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)の幹部・各部門責任者であったことなどが、具体的に記されています。
