Music recorded in December 1911

This article can be read in about 4 minutes.
Sponsored Links

Music recorded in December 1911

1911年12月は、帝国秩序の再編と近代国家形成、科学的権威の確立、そして未踏地到達の報せが同時に進んだ月でした。12月12日には、デリー・ダルバール(Delhi Durbar)でジョージ5世(George V, 1865–1936)が英領インドの首都をカルカッタからデリーへ移す方針を示し、帝国統治の象徴的再編が可視化されました。12月14日には、ロアール・アムンセン(Roald Amundsen, 1872–1928)が南極点に到達し、極地探検史の大きな節目を刻みました。科学の分野では、マリ・キュリー(Marie Curie, 1867–1934)がノーベル化学賞(Nobel Prize in Chemistry)を受け、12月11日に講演を行って放射性物質研究の重要性を改めて示しました。一方、社会面では、ニューヨークのトライアングル・シャツウエスト工場火災(Triangle Shirtwaist Factory fire)をめぐる裁判で12月27日に経営者側へ無罪評決が出され、産業社会における労働安全の課題がなお解決されていないことを浮き彫りにしました。さらに12月29日には、南京で孫文(Sun Yat-sen, 1866–1925)が中華民国の臨時大総統に選出され、東アジアでは王朝体制から共和政への転換が決定的になりました。

Confirmed recordings this month: 0

1911年12月の録音に関する情報のまとめ

1911年12月の録音関連資料を見ると、この時期の商業録音が、娯楽用の流行歌だけでなく、声楽・器楽の高級レパートリーや教育用途へも広がっていたことが確認できます。とくにトーマス・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の資料では、年末の発売告知の中にコンサート級のアンバーラ盤が含まれており、さらに月末には室内楽の実録音も行われていました。同時に、蓄音機は語学教育の道具としても実用化され、録音メディアが家庭娯楽から学習支援へと用途を拡張していたことがわかります。1911年12月は、録音が「商品」であると同時に、「教育」「鑑賞」「文化伝達」の媒体として定着しつつあったことを示す月だったといえます。

エジソン・アンバーラ・コンサート盤の12月告知

1911年12月には、エジソンの高級円筒盤シリーズであるコンサート盤に、マリー・ラッポルド(Marie Rappold, 1872–1957)とアルバート・スポールディング(Albert Spalding, 1888–1953)による「アヴェ・マリア」、マリー・ラッポルドの「夏の名残のばら」などが告知されていました。これは年末の販売ラインナップの中で、流行曲だけでなく、家庭で鑑賞するための本格的な声楽・器楽録音が重視されていたことを示します。1911年末の録音市場では、円筒盤がなお高級音楽商品の媒体として機能していたことを確認できます。

オリーヴ・ミード弦楽四重奏団の年末録音

1911年12月29日には、オリーヴ・ミード弦楽四重奏団(Olive Mead String Quartet, 生没年不明)が、ヨーゼフ・ハイドン(Joseph Haydn, 1732–1809)の「皇帝四重奏曲」の「皇帝讃歌」をニューヨークで録音していました。この録音はのちに1912年2月の一覧に現れますが、実際の録音日が1911年12月末であるため、月ページでは12月の出来事として扱えます。年末にも室内楽の録音が継続していた事実は、録音産業が声楽やバンド曲だけでなく、弦楽四重奏のようなクラシック編成まで着実に取り込んでいたことを物語ります。

アイルランド語教育と蓄音機

1911年12月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー(Edison Phonograph Monthly)』には、蓄音機をアイルランド語教育に活用する記事が掲載されていました。そこでは、歌、対話、朗読、民話などを母語話者の発音と抑揚のまま円筒盤に記録し、学習者が何度でも聞き返せる点が強調されています。記事は、アイルランドのゲール語同盟(Gaelic League)関係者や合衆国の教師・学習者から高く評価されたと述べており、1911年12月の時点で録音メディアが語学教育の実用品として認識されていたことがわかります。