Music recorded in April 1912
1912年4月は、近代社会の進歩と脆さが同時に露出した月でした。4月10日にホワイト・スター・ライン(White Star Line)のロイヤル・メール・シップ・タイタニック(RMS Titanic)が出航し、14日深夜から15日にかけて沈没して1,500人超が死亡し、海上安全と無線通信の重要性が強く意識されました。ロシア帝国では4月4日にレナ虐殺(Lena Massacre)が起こり、労働運動と政治的緊張が再燃しました。航空ではハリエット・クインビー(Harriet Quimby, 1875–1912)が4月16日に女性として初めてイングランド海峡単独飛行を達成し、同じ月にイギリスではロイヤル・フライング・コア(Royal Flying Corps)の制度化が進みました。都市文化の面では4月20日にフェンウェイ・パーク(Fenway Park)が開場し、4月30日にはユニバーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー(Universal Film Manufacturing Company)が成立して、20世紀の大衆娯楽産業の拡大を象徴しました。
Confirmed recordings this month: 0
1912年4月の録音に関する情報のまとめ
1912年4月の録音界では、エジソン系シリンダー録音が新しい演奏家とコンサート・レパートリーを広げる一方、販売面では再販売価格維持をめぐる法的対立が表面化しました。エジソンの月刊誌4月号ではホフマン弦楽四重奏団を表紙に据え、エレオノーラ・デ・シスネロス(Eleonora de Cisneros, 1878–1934)やユリウス・シュピンドラー(Julius Spindler, 生没年不明)らの紹介を通じて高級レパートリーの強化が進んでいることが確認できます。また4月上旬には新しいアンベロール・コンサート録音が行われ、同月10日にはエジソンの価格維持制度を支持する差止命令がイリノイ州で出されました。さらに同月、キーン・オー・フォン(Keen-O-Phone, 会社としての生没年不明)では自社レコード製造の進行が公表され、ゾノフォン(Zonophone)では最終期の録音が行われており、録音産業が再編の只中にあったことが分かります。
エジソン4月号とホフマン弦楽四重奏団
1912年4月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』は、ホフマン弦楽四重奏団を表紙に掲げました。アラン・サットン(Allan Sutton)編のディスコグラフィでは、同団の「Quartet (Rubinstein, op. 17, no. 2): Molto lento (Music of the spheres)」がアンベロール・コンサート盤28018として1912年4月掲載と整理されており、録音日は1912年1月12日とされています。本文では、この団体が1901–1902年にジャック・ホフマン(Jacques Hoffman, 生没年不明)によって組織され、ボストン交響楽団(Boston Symphony Orchestra)の奏者を含む編成であったことも確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1912-Vol-10.pdf
- https://adp-assets.library.ucsb.edu/edison_4m-cyls.pdf
4月上旬のアンベロール・コンサート録音
1912年4月上旬には、後続月のカタログを支える具体的な録音が行われています。アラン・サットン(Allan Sutton)の整理では、チャールズ・ハケット(Charles Hackett, 1887–1942)の「A song of Thanksgiving」は1912年4月1日録音、マリー・ラッポルド(Marie Rappold, 1872–1957)とトマス・チャルマーズ(Thomas Chalmers, 1883–1965)による『ホフマン物語(The Tales of Hoffmann)』の舟歌は1912年4月6日録音で、いずれもアンベロール・コンサート盤として後に掲載されています。4月は単なる宣伝月ではなく、実際にコンサート系レパートリーが制作されていた月でもありました。
- https://adp-assets.library.ucsb.edu/edison_4m-cyls.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1912-Vol-10.pdf
エジソンの価格維持制度をめぐる差止命令
1912年4月10日、イリノイ州スプリングフィールドで、トマス・A・エジソン・インコーポレーテッド(Thomas A. Edison, Incorporated)の販売許諾制度を妨害しないよう、クラレンス・F・ブローリー(Clarence F. Brawley, 生没年不明)に対する仮差止命令が出されました。命令文では、エジソン・スタンダード盤を35セント未満、エジソン・アンベロール盤を50セント未満で販売させたり取得させたりする行為が禁じられており、1912年春の録音産業で価格統制が重大な争点になっていたことが分かります。
キーン・オー・フォンの自社レコード計画
アラン・サットン(Allan Sutton)の会社史によれば、キーン・オー・フォンでは1912年3月にフレッド・ヘーガー(Fred Hager, 1874–1958)が音楽監督として加わり、同年4月には販売部長エミール・バウアー(Emil Bauer, 生没年不明)がレコード製造は順調に進み、カタログも準備中であると確認していました。実際の発売は1913年4月9日までずれ込みましたが、1912年4月の段階で自社レコード進出が公式に前進していたことは確かです。
ゾノフォン最終期の録音
アラン・サットン(Allan Sutton)の整理では、ゾノフォンの最後に確認できる録音セッションは1912年4月に行われました。その後、ユニバーサル・トーキング・マシーン・カンパニー(Universal Talking Machine Company)とユニバーサル・トーキング・マシーン・マニュファクチャリング・カンパニー(Universal Talking Machine Manufacturing Company)は6月に解散手続へ進み、新譜供給も止まりました。したがって1912年4月は、ゾノフォンが録音会社として終息に向かう最終局面の月と位置づけられます。
