1925年10月に録音された音楽

この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

1925年10月に録音された音楽

1925年10月は、国際秩序の再編と新しい視覚・音響文化の前進が同時に進んだ月でした。2日にはジョン・ロジー・ベアード(John Logie Baird, 1888–1946)がロンドンで階調を伴うテレビ画像の送信に成功し、映像通信の実用化に向けた節目を作りました。5日–16日にはロカルノ会議が開かれ、16日にはロカルノ条約(Locarno Treaties)が取りまとめられて、第一次世界大戦後の西欧安全保障に新しい枠組みが与えられました。10日には故宮博物院(The Palace Museum)が開院し、旧紫禁城が公開博物館へ転じました。10月にはフランス委任統治領シリア・レバノン(French Mandate for Syria and the Lebanon)のダマスカスで市街地砲撃が行われ、反仏蜂起の深刻化が広く知られました。26日にはジェームズ・ハロルド・ドーリトル(James Harold Doolittle, 1896–1993)がシュナイダー・トロフィー(Schneider Trophy)で優勝し、航空技術競争の加速を示しました。31日にはイラン国民議会がカージャール朝(Qajar dynasty)の廃位を可決し、レザー・ハーン(Reza Khan, 1878–1944)への権力集中が決定的になりました。

この月の確認されている録音:0曲

1925年10月の録音に関する情報のまとめ

1925年10月の録音業界では、電気録音の導入そのものよりも、電気再生機の公開実演、廉価盤の販路拡張、新規録音商品の投入が前面に出ていました。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は新型再生機の実演で音質革新を印象づけ、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)はハーモニー・レコード(Harmony Records)の売場展開を進め、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)はパナトロープ(Panatrope)の実演販売を強め、ジェネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(Okeh Records)では新規録音計画が業界報道に現れました。会社ごとに方法は異なりますが、10月の資料からは、音の刷新と市場拡張が同時進行していたことが読み取れます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)では、1925年10月6日にオルソフォニック・ヴィクトローラ(Orthophonic Victrola)の公開実演が行われました。翌日の報道では、この新機種が従来の機械式再生とは異なる再生音を示したことが大きく扱われ、同社が新しい再生方式を市場へ強く印象づけたことがうかがえます。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)では、廉価盤ブランドのハーモニー・レコード(Harmony Records)を支える販売現場の整備が10月に確認できます。10月15日号の『The Talking Machine World』には、コネティカット州ブリッジポートでハーモニー・ミュージック・ショップ(Harmony Music Shop)が開かれたことが載っており、廉価価格帯の商品を独立した売場のかたちで浸透させようとしていたことがわかります。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)では、10月15日号の『The Talking Machine World』で、シカゴ本社におけるパナトロープ(Panatrope)の実演が強い関心を呼んだことが報じられています。8月に告知された新しい電気再生方式が、10月には実演営業の段階へ進み、来場者に具体的な印象を与える商品として扱われていました。

オーケー

ジェネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(Okeh Records)については、1925年10月の『Variety』に、アレン・サマーズ(Allen Summers, 生没年不明)がオーケー向けにレコードを制作するとの記事が出ています。記事ではシカゴ発として、方言物を中心とする録音計画が紹介されており、10月の同社に新しい録音商品を組み込もうとする動きがあったことが確認できます。