1918年9月に録音された音楽

この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク

1918年9月に録音された音楽

1918年9月は、第一次世界大戦の終結が現実味を帯びた月でした。西部戦線ではサン・ミエル攻勢(Saint-Mihiel Offensive)が9月12日–16日に行われ、9月26日にはムーズ=アルゴンヌ攻勢(Meuse-Argonne Offensive)が始まりました。バルカン戦線ではブルガリアが9月29日にサロニカ休戦協定(Armistice of Salonica)に署名し、同盟国側の崩れがはっきりしました。中東ではメギドの戦い(Battle of Megiddo)が9月19日–25日に行われ、オスマン帝国軍の後退が急速に進みます。ロシアではロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会議(Council of People’s Commissars of the RSFSR)が9月5日に赤色テロルに関する布告を出しました。社会面では1918年インフルエンザ・パンデミック(1918 influenza pandemic)の第2波がこの月に深刻化し、技術面ではアメリカ合衆国郵便省(United States Post Office Department)がニューヨーク–シカゴ間の航空郵便経路探索飛行を9月5日–10日に行い、長距離航空輸送の実用化を進めました。

この月の確認されている録音:0曲

1918年9月の録音に関する情報のまとめ

1918年9月の録音業界では、新譜の告知だけでなく、蓄音機の秋季モデル広告、販売店の新設、地域流通網の整備が各地で進んでいました。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、エオリアン社(Aeolian Co.)のボカリオン部門、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)では、1918年9月付の同時代資料に販売活動や宣伝展開が確認できます。西部ではウェスタン・フォノグラフ社(Western Phonograph Co.)のような流通会社の動きも見られ、録音業界が製造、宣伝、販売の各段階で活動を続けていたことがうかがえます。

ヴィクター

1918年9月28日付の『ミュージック・トレード・レビュー(Music Trade Review)』では、M. C. Conlin & Son がシカゴで新しいヴィクター専門店を開き、2322 West Madison Street の店舗を “Conlin’s Talking Machine Shop” として営業し始めたことが報じられています。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は、1918年9月の段階で都市部小売網の拡張を進めていました。

コロンビア

1918年9月21日付の『ミュージック・トレード・レビュー(Music Trade Review)』掲載広告では、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)の新型グラフォノーラに「Columbia Non-Set Automatic Stop」が搭載されることが大きく打ち出され、同じ広告面で外国語レコードの販売案内も掲げられています。コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)は、この月に機械の新機構とレコード販売の双方を訴求していました。

エジソン

1918年9月28日付の『ミュージック・トレード・レビュー(Music Trade Review)』では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の「Edison Messages」が、音楽、家庭、自由公債、戦時貯蓄切手、アメリカ赤十字社(American Red Cross)など当時の社会的主題と結びついた広告戦略として紹介されています。同じ頁には、エジソン研究所を訪れた傷病兵の記事もあり、同社が製品宣伝と企業イメージ形成を結びつけていたことが確認できます。

エオリアン/ボカリオン

1918年9月28日付の『ミュージック・トレード・レビュー(Music Trade Review)』では、エオリアン社(Aeolian Co.)がボカリオン・レコード・ライブラリー(Vocalion Record Library)の宣伝で、単一レコードと単一歌手を前面に出す新聞広告キャンペーンを展開していたことが報じられています。記事は、この集中型の宣伝が販売成果を上げていると述べており、1918年9月のボカリオンは個別レコードを強く押し出す販売戦略を採っていました。

ウェスタン・フォノグラフ

1918年9月28日付のサンフランシスコ業界記事では、ウェスタン・フォノグラフ社(Western Phonograph Co.)が法人化され、引き続き西部地域でパテ(Pathé)製品のディストリビューターを務めることが記されています。1918年9月の同社は、流通会社としての再編と地域販売網の継続という形で活動を確認できます。

ブランズウィック

1918年9月17日付の『ロサンゼルス・ヘラルド(Los Angeles Herald)』では、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)の秋季モデルが広告され、9月25日付の『ロック・アイランド・アーガス(Rock Island Argus)』では、ブランズウィック・フォノグラフの展示と毎日の実演が告知されています。1918年9月のブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は、秋季モデルの投入と店頭実演を通じて販売拡張を図っていました。

チェイニー

1918年9月28日付の『ミュージック・トレード・レビュー(Music Trade Review)』が掲載したシカゴの業界名簿には、チェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Co.)が 24 North Wabash Avenue の業者として載っています。詳しい記事ではありませんが、少なくとも1918年9月のシカゴ市場で同社が営業主体として認識されていたことは確認できます。