Edison Phonograph Company
Edison Phonograph Company(エジソン・フォノグラフ社)は、発明家トーマス・アルバ・エジソン(1847–1931)が自身の代表的発明の一つであるフォノグラフ(蓄音機)の商業化を目的として設立した企業です。エジソンがフォノグラフの原理を発明したのは1877年のことで、音を機械的に記録し、再生できるという画期的な技術は当時大きな注目を集めました。エジソンの初期のフォノグラフは錫箔を用いて音の溝を刻む方式でしたが、音質や耐久性に課題があり、その後改良を重ねて軟質蝋(ソフトワックス)を素材とした円筒形メディアが主流となります。この改良により、音声だけでなく音楽の録音にも実用性が生まれ、エジソンは特許を基盤にフォノグラフの製造と販売を進めるため、1887年に Edison Phonograph Company を設立しました。
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事業の拡大と北米市場での役割
Edison Phonograph Company は、フォノグラフ本体と交換可能な録音円筒の製造を中心に事業を拡大しました。当初はビジネス用の口述筆記機器としての需要が大きく、企業や議会、弁護士事務所などがターゲットでした。しかし録音技術の進歩とともに、音楽の複製メディアとしての可能性が注目され、1888年以降、演奏会録音や音楽円筒の商業流通が始まります。1889年にエジソンが欧州に派遣した技師 A. Theo. E. Wangemann は、ベルリンやロンドンで王侯貴族や科学者を相手にフォノグラフのデモンストレーションを行い、実際に録音を行いました。この時期に録音されたのが Frank Goede のピッコロ演奏「The Warbler」などであり、これらの録音は Edison Phonograph Company の名の下で試験的に制作されました。エジソン社は北米市場では North American Phonograph Company を設立してライセンス販売を行い、さらに Columbia Phonograph Company などに複製権を貸与して販路を拡大しました。これによりフォノグラフと録音円筒は家庭や娯楽市場にも浸透していきます。
音楽産業への影響とその後の展開
Edison Phonograph Company は録音産業の基礎を築いただけでなく、商業音楽録音を世界的に普及させるきっかけを作りました。エジソン自身はフォノグラフを「書類作成の代替装置」として捉えていましたが、実際には音楽録音の方がはるかに市場で受け入れられ、技術の改良が続きました。20世紀初頭には円筒だけでなくディスク型の蓄音機が競合として登場し、Victor Talking Machine Company(後のRCA Victor)や Columbia に対抗する形で Edison Disc Phonograph も投入されましたが、最終的にはディスク市場の拡大に押される形で円筒録音は衰退していきます。それでも Edison Phonograph Company は1908年にはセルロイド製の耐久性の高い Blue Amberol Cylinder を開発し、円筒の寿命を延ばそうとしました。この技術は録音メディア史の中で重要な転換点として知られています。1930年代に入り、ディスク蓄音機の普及とラジオ放送の拡大により Edison Phonograph Company は録音事業から撤退し、長い歴史に幕を下ろしました。しかし、蝋円筒に刻まれた初期の録音は今も音響史研究の基礎資料として世界各地のアーカイブに残されています。
