1921年1月に録音された音楽
1921年1月は、第一次世界大戦後の再編が政治・文化・社会の各分野で同時に進んだ月でした。アメリカ合衆国では1月3日にウェストヴァージニア州議会議事堂が火災で焼失し、州都機能の再整備が急務となりました。アナトリアでは1月20日に大トルコ国民議会(Grand National Assembly of Turkey)が1921年憲法を採択し、国民主権を基礎とする新しい統治秩序を明文化しました。ヨーロッパでは1月25日–29日にパリで連合国の会議が開かれ、ドイツ賠償問題をめぐる対立がなお続いていることが示されました。文化面では、チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin, 1889–1977)の映画『キッド』が1月21日にニューヨークで初公開され、長編喜劇映画の代表作として大きな反響を呼びました。また、カレル・チャペック(Karel Čapek, 1890–1938)の戯曲『R.U.R.』が1月に上演され、「robot」という語を広く知らしめる契機となりました。戦後秩序の調整、国家制度の再構築、都市災害への対応、そして新しい大衆文化と言語の浸透が並行して進んだ点に、1921年1月の特徴があります。
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1921年1月の録音に関する情報のまとめ
1921年1月の録音業界では、年初の新型機投入、販売員向け販促資料の整備、代理店網の組み替え、人気アーティストを軸としたレコード需要の拡大が同時に進んでいました。一方で、経営難から整理局面に入る会社も見られ、業界全体は拡張と淘汰が並行する状態にありました。当月の同時代業界資料からは、レコード会社、蓄音機会社、主要販売会社の動きがそれぞれ別のかたちで確認できます。
ビクター
ビクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Co.)は、1921年1月に新型のヴィクトローラ第80号機を発表しました。『The Talking Machine World』1921年1月15日号では、この機種を100ドルのフルキャビネット型として紹介し、当初はマホガニー、イングリッシュ・ブラウン、アメリカン・ウォルナットで供給するとしています。年初に価格帯を明確にした新型機を出したことは、同社が1921年の販売戦略を具体化し始めていた事実として重要です。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、販売員向けの小型ポートフォリオが新たに用意されました。これは前年に出た大型ポートフォリオを写真製版で縮小したもので、十四項目の販売提案を収め、すでに配布可能な状態にあると報じられています。新録音の発表ではありませんが、販売現場で使う標準化資料を年初に再整備したことは、同社の営業支援体制の強化を示しています。
ブランズウィック
ブランズウィック=ボルク=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Company)は、1921年1月号で1920年の蓄音機・レコード売上が1919年比で58パーセント増加したと打ち出しました。あわせて、六つの蓄音機工場、二つのレコード圧造工場、四十の支店網を強調し、販売店への謝意を公表しています。これは単なる広告ではなく、新年時点での自社の生産体制と販売網の規模を示す企業活動の表明です。
オーケー
ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(Okeh Records)は、1921年1月の段階で出荷と需要の急増を明確に示しています。総販売部長ジョン・クロムリン(John Cromelin, 生没年不明)は、当時の1日当たり出荷量が前年同時期より数百パーセント大きいと述べています。さらに、マミー・スミス(Mamie Smith, 1883–1946)とそのジャズ・ハウンズの全米巡業計画が報じられており、人気録音を実演活動へ接続する販売拡張策が進められていました。
ソノラ
ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)では、新工場の稼働により新規販売店に対応できると年初広告で表明しています。加えて、1月第2週の年次取締役会では既存役員が再選され、販売部門を率いていたフランク・J・クープ(Frank J. Coupe, 生没年不明)が副社長に選出されました。生産面と営業面の両方で体制を固めていたことが、1921年1月の資料から確認できます。
ヴォカリオン
エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)は、1921年1月1日付でフィラデルフィア・ショー・ケース社(Philadelphia Show Case Co.)を新たな公式卸売代理店に迎えました。記事では、同社がペンシルヴェニア州、南部ニュージャージー州、デラウェア州を中心にヴォカリオン機とヴォカリオン・レコードを独占的に扱うこと、さらにニューヨークのエオリアン・ホールで販売会議に参加したことが報じられています。年初に販売地域の再編と営業教育が同時に進んでいた事例です。
パテ
パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Co.)は、1921年1月号で全米各地の代理店網を一覧化して示し、電気式蓄音機の販促を強く打ち出しました。広告では、通常の蓄音機より高価ではないこと、パテ販売店でない場合は最寄りの代理店へ電報を打つよう促しており、販路拡張の意図が明確です。全国的な流通網を見せながら年初商戦に入っていたことが確認できます。
スタンダード・ウドゥンウェア
主要販売会社では、スタンダード・ウドゥンウェア社(Standard Woodenware Co.)の動きが確認できます。同社はロサンゼルスでマンデル蓄音機のカリフォルニア州、アリゾナ州、ネヴァダ州における独占販売権を取得し、あわせて新たに導入されたマンデル・レコードも扱うと報じられました。記事は集中的な販売キャンペーンの開始を伝えていますが、マンデルの製造会社の正式名称までは当該箇所から確認できません。
エマソン
A・T・エマソン社(A. T. Emerson, Inc.)は、1921年1月に管財人管理へ移りました。記事によれば、この措置はエマソン・フォノグラフ社(Emerson Phonograph Co., Inc.)への同様の措置に続くもので、A・T・エマソン社の資産は約40万ドル、負債は約30万ドルとされています。年初の録音業界が新製品投入だけでなく、経営整理の局面も抱えていたことを示す事例です。
