1918年7月に録音された音楽

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1918年7月に録音された音楽

1918年7月は、第一次世界大戦(World War I)の帰趨がいっそう明確になり始めた月でした。7月4日にはジョン・モナシュ(John Monash, 1865–1931)が率いるオーストラリア軍団がアメルの戦い(Battle of Hamel)で諸兵科連携による攻撃を成功させ、連合国側の反攻を象徴する戦果を挙げました。同じ日、アメリカ合衆国では合衆国海運庁非常艦隊公社(United States Shipping Board Emergency Fleet Corporation)の名のもとに95隻の船舶進水が打ち出され、戦時輸送体制の拡張が強く示されました。7月15日には第二次マルヌ会戦(Second Battle of the Marne)が始まり、ドイツ軍の大攻勢は失速へ向かいます。7月17日にはロシア帝国のニコライ2世(Nicholas II, 1868–1918)と家族がエカテリンブルクで殺害され、ロマノフ朝の終焉を決定づけました。日本では7月下旬に富山県で米騒動が始まり、戦時経済下の生活不安が社会運動として表面化しました。

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1918年7月の録音に関する情報のまとめ

1918年7月の録音業界では、当月の業界誌から、戦時歌謡や人気舞台曲を軸とした新譜告知、店頭向け販促物、月刊ブックレット、実演用素材、流通拡張策が並行して進められていたことを確認できます。録音日そのものを1918年7月に限定して確定できる事例は多くありませんが、少なくとも当月の一次資料・同時代業界資料の上では、ビクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、パテ・フレール蓄音機会社(Pathé Frères Phonograph Company)、エオリアン社(Aeolian Co.)、オペラフォン(Operaphone)、ソノラ・フォノグラフ販売会社(Sonora Phonograph Sales Co.)の活動を確認できます。

ビクター

ビクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Company)は、1918年7月15日号の『The Talking Machine World』で「Helps for the Victor Dealer」として販売店向け販促素材を案内していました。同時期の発売盤としては、アメリカ歴史録音ディスコグラフィ(Discography of American Historical Recordings)に、ビリー・マレー(Billy Murray, 1877–1954)の「They were all out of step but Jim」を収めたビクター18465が確認でき、同社が1918年夏の戦時歌謡を販売の中心に据えていたことがわかります。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)については、1918年7月15日号の『The Talking Machine World』に、アル・ジョルソン(Al Jolson, 1886–1950)の名と「Rock-a-Bye Your Baby With a Dixie Melody」を含む新譜案内が見えます。アメリカ歴史録音ディスコグラフィ(Discography of American Historical Recordings)でも、同曲のコロムビアA2560が確認でき、同社が人気舞台曲を当月の販売材料として前面に出していたことがわかります。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)については、1918年7月15日号の『The Talking Machine World』に、ブルー・アンベロールの番号28287として「Le Nil」が掲載されています。アメリカ歴史録音ディスコグラフィ(Discography of American Historical Recordings)では、これはオデット・ル・フォンテネー(Odette Le Fontenay, 生没年不明)歌唱のブルー・アンベロール・シリンダーとして確認でき、同社が1918年7月の時点でもシリンダー新譜の供給を継続していたことがわかります。

パテ

パテ・フレール蓄音機会社(Pathé Frères Phonograph Company)は、1918年7月15日号の『The Talking Machine World』で、広告活動の一環として関心を喚起するための実演用レコードを導入していたことが確認できます。また、アメリカ議会図書館(Library of Congress)の記述によれば、同社の録音部門責任者ウィリアム・H・ペン(William H. Penn, 生没年不明)は1918年7月11日付書簡でジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa, 1854–1932)に対し、近作行進曲を同社レコードとして出し、月刊ブックレットで扱いたい意向を伝えていました。これらの資料から、同社が当月に録音レパートリーの拡充と販促企画を結び付けていたことが確認できます。

エオリアン=ヴォカリオン

エオリアン社(Aeolian Co.)は、1918年7月15日号の『The Talking Machine World』で、エオリアン=ヴォカリオン・レコード(Aeolian-Vocalion Records)の新譜告知が「今週」出され、そこに大きな関心が集まったと報じられています。同じ資料では、ニューヨークでエオリアン=ヴォカリオンのウィンドー展示が行われていたことも確認でき、同社が新譜発表と店頭演出を同時に進めていたことがわかります。

オペラフォン

オペラフォン(Operaphone)は、1918年7月15日号の『The Talking Machine World』の広告で、新しいカタログに300曲が収められていることを訴求していました。あわせて、ユニヴァーサル型トーンアーム機でもオペラフォン盤を扱えることを強調しており、当月の同社がカタログ更新と互換性訴求によって販路拡張を図っていたことが確認できます。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ販売会社(Sonora Phonograph Sales Co.)については、1918年7月15日号の『The Talking Machine World』に、オーストラリアのアラン社(Allan & Co.)がソノラの全製品を扱う手配が整ったことが記されています。録音日や新譜番号を当月資料から一括確定することはできませんが、少なくとも1918年7月の時点で、同社が海外販売網の拡張を進めていたことは確認できます。