1911年2月に録音された音楽

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1911年2月に録音された音楽

1911年2月の世界では、司法・探検・政治・技術・文化の各分野で、20世紀初頭の転換を示す出来事が相次ぎました。アメリカ合衆国では2月1日、シカゴのトーマス・ジェニングズ(Thomas Jennings, 生没年不明)事件で判決が言い渡され、指紋証拠をめぐる近代鑑識史上の節目となりました。ニュージーランドのウェリントンには日本南極探検隊(Japanese Antarctic Expedition)の開南丸が寄港し、南極行に向けた補給拠点として機能しました。アメリカ合衆国議会は2月9日にリンカーン記念堂委員会(Lincoln Memorial Commission)設置法を可決し、首都の記念建築計画を前進させました。2月14日にはフランシスコ・マデロ(Francisco Madero, 1873–1913)がメキシコへ入ってメキシコ革命(Mexican Revolution)の軍事行動を主導し、18日にはアンリ・ペケ(Henri Pequet, 1888–1974)が当時の英領インドで公式航空郵便を運びました。さらに21日、グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860–1911)はニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)を率いて最後の演奏会を指揮しました。

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1911年2月の録音に関する情報のまとめ

1911年2月のエジソン録音事業は、新譜の案内だけでなく、旧譜交換制度、四分間アンベロール中心への供給再編、再生装置の改良、外国語録音の維持という複数の軸で動いていました。『Edison Phonograph Monthly』1911年2月号は、4月売出し予定盤の予告と技術・販売制度の変更を同時に載せており、春季カタログへの移行点として重要です。

新しいレコード交換制度

1911年2月号の中核は、新しいレコード交換制度でした。ナショナル・フォノグラフ社(National Phonograph Company)は、この制度をレコード売上利益の10パーセントを犠牲にしてでも導入する措置として説明し、販売店側には恒久的な10パーセントの在庫余裕を与えるとしました。旧来の交換案は1911年1月1日から基本的に整理され、在庫処分と新譜補充を継続的に進める方向が明確になっています。

アンベロール補給増と標準盤縮小

2月号の目次には「Amberol Supplement Increased, Standard Reduced」が掲げられており、四分間アンベロールの補給増と二分間標準盤の縮小が、その時点で会社の重要方針になっていたことが確認できます。さらに同年4月号では、標準盤の月次補給が五点にまで減ったため、未改造機の所有者へ組合せ装置を売り込み、アンベロール利用へ移行させる必要があると説明されました。1911年春の録音事業が長時間盤中心へ軸足を移していたことが、この流れから読み取れます。

4月売出し予定盤の告知

2月号には4月売出し予定盤の先行案内があり、ディスコグラフィ資料の整理では、1911年2月掲載盤は1911年3月25日発売、1911年4月カタログ掲載に対応します。アンベロールでは641番から664番の新譜群がこの時点で動いており、《As It Began to Dawn》《I’m Falling in Love with Someone》《Under the Yum Yum Tree》《Levy-athan Polka》《Stop! Stop! Stop!》などが含まれました。二分間標準盤でも、10488《If He Comes In, I’m Goin’ Out》、10489《Way Down East》、10490《Chicken Reel》が同じく2月掲載の新譜として確認できます。

モデルO再生装置と再生改良

2月号はコンサート機用のモデルO再生装置を独立項目として扱い、翌月以降にはトライアンフ機とホーム機向けの具体的な部品構成が示されました。ホーン接続、スピーカーアーム、アダプターリングなどを含む専用組立品が用意されており、単なる付属品追加ではなく、再生音質の改善を伴う技術施策として進められていたことがわかります。実際、同年の販売店通信には、モデルOが再生上の大きな進歩だとする評価も見えます。

外国語録音の継続展開

2月号は外国語録音を軽い付録扱いにせず、「Foreign Records for February, 1911」と「Edison Bohemian and Hungarian Records for February, 1911」を別建てで掲載しました。さらに同年6月の交換対象一覧には、ボヘミア語・ハンガリー語を含む複数の言語別系列が明記されており、エジソンが国内移民市場向けの録音供給を継続的に維持していたことが確認できます。1911年2月の録音動向は、英語圏向け新譜だけでなく、多言語カタログの更新も同時進行だった点に特徴があります。