1925年1月に録音された音楽

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1925年1月に録音された音楽

1925年1月は、政治体制の変化と新しい大衆文化の拡大が同時に進んだ月でした。イタリアでは1月3日にベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)が演説を行い、以後の独裁体制強化の転機となりました。アメリカ合衆国では1月5日、ネリー・テイロー・ロス(Nellie Tayloe Ross, 1876–1977)が州知事に就任し、州知事として宣誓した最初の女性となりました。アルバニアでは1月31日に共和政が成立し、アフメト・ゾグ(Ahmet Zogu, 1895–1961)が大統領に就任しました。アラスカではジフテリア流行への対応としてネナナからノームへの血清輸送が1月下旬に開始され、極寒地の公衆衛生対応が国際的な注目を集めました。さらに1月24日には北アメリカで皆既日食が観測され、アメリカ合衆国では大規模な観測と報道が行われました。イタリアでは1月、ウンィオーネ・ラディオフォニカ・イタリアーナ(Unione Radiofonica Italiana)の公式週刊誌『ラディオラリオ』(Radiorario)が創刊され、放送文化を支える定期媒体が整い始めました。

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1925年1月の録音に関する情報のまとめ

1925年1月の録音業界では、個別録音の話題よりも、販売店協同の販促、レーベル部門の再編、西海岸工場の運用確認、地方都市での専売店展開といった企業活動が前面に出ていました。コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)は販売現場の協同を年頭施策として打ち出し、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Co.)はヴォカリオン(Vocalion)部門の管理体制を明示しました。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)では西海岸の録音・プレス拠点の視察が報じられ、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)では地方都市での販売拠点開設が確認できます。1925年1月は、春以降に大きく動く技術転換の直前にあって、各社が販売網と運営基盤の整備を進めていた月として位置づけられます。

コロムビア

1925年1月号の業界誌では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)が「Columbia Dealers in 1925」として年頭の販売方針を打ち出し、ニューヨークの販売現場では販売店どうしの協同による問題解決が紹介されています。1月時点の同社は、新譜の告知だけでなく、販売店網の協力体制と店頭販促の実務を前面に押し出していたことが確認できます。

ブランズウィック

1925年1月15日号の『The Talking Machine World』では、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Co.)のヴォカリオン(Vocalion)部門について、E・R・ストラウス(E. R. Strauss, 生没年不明)がその管理を担うことが示されています。記事題と本文断片からは、ヴォカリオンが単なる廉価レーベルではなく、ニューヨークに管理拠点を置く部門として整理されていたことが読み取れます。1925年1月のブランズウィックは、販売だけでなくレーベル運営そのものの体制整備を進めていました。

ヴィクター

1925年1月号の『The Talking Machine World』では、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)の録音部門責任者ジョン・S・マクドナルド(J. S. Macdonald, 生没年不明)が1月8日にカムデンを発ち、オークランドの新しい録音・プレス工場を視察すると報じられています。これは同社が西海岸拠点をすでに稼働段階に置き、その運用を本格化させていたことを示す動きです。同じ時期の資料では、ヴィクトローラ(Victrola)とラジオ受信機の組み合わせも訴求されており、1925年1月のヴィクターは工場運営と家庭向け新需要の両方に目を向けていました。

ソノラ

1925年1月号の『The Talking Machine World』には、セントポールでソノラ店が開業し、その開店が地元音楽界の出来事として扱われたことが記されています。ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)の1925年1月は、本社製品の全国流通だけでなく、地方都市における専売・実演型の販売拠点拡張が確認できる月です。録音会社そのものの新譜攻勢というより、蓄音機販売網の地域的浸透が目立つ動きでした。