1925年6月に録音された音楽
1925年6月は、政治・産業・文化・災害が各地で重なった月でした。6月3日にはグッドイヤー・タイヤ・アンド・ラバー社(The Goodyear Tire & Rubber Company)の飛行船グッドイヤー・ピルグリム(Goodyear Pilgrim)が初飛行し、6月6日にはウォルター・P・クライスラー(Walter P. Chrysler, 1875–1940)が率いるクライスラー社(Chrysler Corporation)が発足しました。6月17日には戦争における窒息性ガス・毒ガスその他これらに類するガスおよび細菌学的方法の使用の禁止に関する議定書(Protocol for the Prohibition of the Use in War of Asphyxiating, Poisonous or Other Gases, and of Bacteriological Methods of Warfare)がジュネーヴで署名され、6月23日には中国で五卅運動の余波のなか沙基惨案が起こって広州—香港罷工がさらに拡大しました。6月25日にはギリシャでテオドロス・パンガロス(Theodoros Pangalos, 1878–1952)がクーデタで実権を握り、6月26日にはチャーリー・チャップリン(Charles Spencer Chaplin, 1889–1977)の『黄金狂時代』(The Gold Rush)が初公開され、6月29日にはアメリカ合衆国カリフォルニア州でサンタバーバラ地震(1925 Santa Barbara earthquake)が発生して市街地に大きな被害を与えました。
この月の確認されている録音:0曲
1925年6月の録音に関する情報のまとめ
1925年6月の録音業界は、電気録音への移行が一気に表面化した月でした。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)、ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)では、同月の発売資料や後年のマトリクス整理から、電気録音盤の実売と実用化が進んでいたことが確認できます。その一方で、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)はなお機械式録音の改良と既存方式の運用を続けており、同じ6月でも各社の進路は大きく分かれていました。さらに、ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(OKeh Records)、スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)、ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)のヴォカリオン(Vocalion)では、民族系・地域系を含む多様な録音活動が継続していました。
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、1925年3月のウェスタン・エレクトリック方式導入契約を受けて、6月には電気録音の実用段階に入っていました。アラン・サットン(Allan Sutton)の整理では、同社は5月に最初の電気録音商業盤を売り出しており、6月17日にカムデンで録音された「Orange Airs Medley」は初期電気録音盤の一つとして位置づけられます。6月のヴィクターは、電気録音を新製品の核にし始めた先行企業として見ることができます。
- https://mainspringpress.org/2024/01/23/western-electric-test-recordings-the-victor-talking-machine-company-test-pressings-1924-1925/
- https://mainspringpress.org/2025/05/19/the-beginning-of-electrical-recording-1915-1927-part-1-early-experimenters-and-adopters/
- https://www.capsnews.org/hmv-216000.pdf
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)では、1925年5月に始まった初期電気録音盤の発売を受けて、6月も電気録音盤の供給が継続していました。アラン・サットン(Allan Sutton)の整理によれば、当時の新譜案内に載る初期電気録音盤はまだ「Viva-tonal」の名称を伴っておらず、6月は商品名よりも実際の録音方式の転換が先行していた時期でした。6月のコロムビアは、電気録音を市場に流通させながら、その新方式を後からブランド化していく過程にありました。
- https://mainspringpress.org/2025/06/18/the-beginning-of-electrical-recording-part-2-columbia-victor-and-the-western-electric-system/
- https://archive.org/details/columbia-1925-catalogue_202205
ブランズウィック
ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)では、1925年4月7日から電気録音による商用マスターが作られており、6月の業界向け新譜案内には後年に電気録音盤と確認される盤がすでに現れていました。ただし、6月の時点で会社が新方式を全面的に打ち出していたことまでは確認できず、録音工程の転換が先行していた過渡期とみられます。6月のブランズウィックは、ヴィクターやコロムビアと並ぶ電気録音化の先端にいた一方で、その告知方法はまだ移行途中にありました。
- https://mainspringpress.org/2025/07/25/the-beginning-of-electrical-recording-part-3-music-by-photography-brunswick-and-the-pallophotophone-process/
- https://archive.org/details/talkingmachinewo21bill
ヴォカリオン
ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)のヴォカリオン(Vocalion)は、買収後の1925年5月2日から電気録音マスターの作成が始まっていましたが、1925年6月の段階ではなお機械式録音も併用される過渡期にありました。ディスコグラフィ・オブ・アメリカン・ヒストリカル・レコーディングズでは、1925年6月29日にヴォカリオン・コンサート・バンド(Vocalion Concert Band)による「Jarabe tapatío」「Himno nacional mexicana」などの録音が確認でき、6月のヴォカリオンが民族系・地域系レパートリーを含む実制作を継続していたことが分かります。
- https://mainspringpress.org/2025/07/25/the-beginning-of-electrical-recording-part-3-music-by-photography-brunswick-and-the-pallophotophone-process/
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/date/browse?Matrix_sort=Description&date=1925-06-29
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/mastertalent/detail/349494/Vocalion_Concert_Band
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、他社の電気録音化と対照的に、1925年6月にもなお機械式録音の改良と既存工程の維持を続けていました。6月26日にはアンナ・ピント(Anna Pinto, 生没年不明)による125フィート・ホーンの定期セッションが行われましたが、これは発行盤を生みませんでした。いっぽうで6月30日にはピードモント・トリオ(Piedmont Trio)による「Automobile polka」「Flower of the rocks」の録音が確認でき、6月の同社が録音活動そのものを止めていたわけではないことも明らかです。6月のエジソンは、方式転換よりも既存技術の延命と再整理に重心を置いていました。
- https://mainspringpress.org/2024/10/22/dismantling-edisons-125-foot-recording-horn-with-an-edison-long-horn-chronology/
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/date/browse/1925-06-30
オーケー
ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(OKeh Records)では、1925年6月29日にサム・マニング(Sam Manning, 生没年不明)がコール・ジャズ・トリオ(Cole Jazz Trio)伴奏で「Mabel (See What You’ve Done)」「Camilla (When You Go, Please Don’t Come Back)」などを録音しました。これらはOKeh 65004、65005として発行され、カリブ系・移民系レパートリーをニューヨークで商品化する同社の市場戦略をよく示しています。6月のオーケーは、主流ポピュラー市場だけでなく、離散共同体向けの録音でも着実に動いていました。
- https://sas-space.sas.ac.uk/3080/1/Cowley_WIBtext.pdf
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/date/browse?Matrix_sort=FirstTakeDate&date=1925-06-29
ジェネット
スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)では、1925年6月13日に宗教・声楽系の録音、6月30日にネイサン・グランツ・オーケストラ(Nathan Glantz Orchestra)による「I miss my sweetie (My Swiss miss misses me)」などの録音が確認できます。6月中旬から月末にかけて複数のセッションが確認できることから、同社の録音業務がこの月も継続していたことは確実です。6月のジェネットは、大手各社の電気録音転換とは別の軸で、既存の制作網を維持しながら多様なレパートリーを供給していた会社として位置づけられます。
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/date/browse?date=1925-06-13
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/date/browse/1925-06-30
