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グーローの “phonogramic album”(1888年–1891年頃)

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グーローの “phonogramic album”(1888年–1891年頃)

ジョージ・エドワード・グーロー(George Edward Gouraud, 1842–1912)の “phonogramic album” は、1888年から1891年頃にかけて、リトル・メンロ(Little Menlo)を中心に作られた初期フォノグラフ(Phonograph)録音群です。現在の意味での商業アルバムではなく、録音された声や音楽を集め、送付し、保存しようとした初期の音声記録コレクションでした。

録音には、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)へ向けた音声メッセージ、リトル・メンロでの公開実演に関わる録音、著名人の声、文学作品の朗読、演説、音楽録音などが含まれます。ホレイショ・ネルソン・パワーズ(Horatio Nelson Powers, 1826–1890)の「The Phonograph’s Salutation」、クリスタル・パレス(Crystal Palace)でのヘンデル音楽祭(Handel Festival)録音、ヘンリー・アーヴィング(Henry Irving, 1838–1905)やウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone, 1809–1898)に関わる録音は、フォノグラフが実験装置から、声を記録し、離れた相手へ届け、歴史的な人物の声を残す媒体へ広がっていく過程を伝えています。

一方で、この録音群には、録音日、話者、録音内容、現存状態を資料上完全には確認できないものもあります。後年のラベル転写、所蔵経路、研究資料によって内容をたどる必要があり、すべての録音を同じ確度で扱うことはできません。グーローの “phonogramic album” は、初期録音史の貴重な資料であると同時に、音声記録がまだ実験、通信、記念、収集のあいだで揺れ動いていた時代の痕跡でもあります。

グーローの “phonogramic album” とは

グーローの “phonogramic album” は、ひとつの完成した商品や、決まった曲順を持つアルバムではありません。リトル・メンロを中心に作られたフォノグラフ録音を、声の記録、音声の手紙、著名人の声の保存、公開実演の記録として集めた初期の音声コレクションです。録音はワックスシリンダー(wax cylinder)に記録され、フォノグラム(phonogram)として送られたり、保存されたりしました。

この録音群には、エジソンへ向けた音声メッセージ、リトル・メンロでの来客や報道関係者を前にした録音、政治家・俳優・作家・王室関係者などの声、詩や文学作品の朗読、音楽録音が含まれます。録音された声は、その場で聞かれるだけでなく、離れた場所へ届けられ、あとから聞き直される記録として扱われました。グーローの周辺では、フォノグラフが新しい通信手段であり、記念媒体であり、歴史的な声を残す装置でもあると考えられていました。

一方で、現在確認できる情報は、現存するシリンダー、ラベル転写、後年の所蔵経路、研究資料に依存しています。録音日、話者、録音内容、現存状態がすべて同じ確度で確認できるわけではありません。そのため、グーローの “phonogramic album” は、完成した録音作品としてではなく、1880年代末から1890年代初頭にかけて形成された初期フォノグラフ文化の録音群として考える必要があります。

1888年の録音

1888年には、グーローの周辺で、フォノグラフを使った音声記録が急速に広がりました。6月には、パワーズによる「The Phonograph’s Salutation」が録音され、エジソンの声を記録したフォノグラムもイギリスで受領されました。クリスタル・パレスでのヘンデル音楽祭録音は、大規模な公開演奏を記録しようとした初期の事例です。

8月以降、リトル・メンロでは公開実演、報道関係者への紹介、音声の手紙、器楽演奏、朗読、祝辞・乾杯挨拶など、さまざまな録音が作られました。これらの録音は、フォノグラフが単に音を残す機械ではなく、人の声を送り、集め、保存する媒体として使われはじめたことを示しています。政治家、俳優、王室関係者、公的立場にある人物の声を残そうとする動きも見られ、グーローの “phonogramic album” の中心となる録音群がこの年に形を取りはじめました。

6月16日:The Phonograph’s Salutation

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The Phonograph’s SalutationHoratio Nelson Powers

6月26日:イギリスで受領された最初期のフォノグラム

1888年6月26日、エジソンが研究所で吹き込んだフォノグラムが、イギリス(United Kingdom)で受領されました。後年のラベル転写では、この音声は1888年6月16日午前2時にエジソンの研究所で録音され、「イギリスで受領された最初のフォノグラム」として記録されています。

録音内容の完全な確認には限界がありますが、この資料は、録音された声を大西洋を越えて送り届ける試みが1888年6月の時点で行われていたことを示しています。フォノグラフは、音声をその場で再生する装置であるだけでなく、離れた相手へ声を届ける通信媒体としても使われはじめていました。

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First Phonogram recd. in EnglandThomas Alva Edison

6月29日:Handel Festival: “Israel In Egypt” – Excerpt

1888年6月29日、クリスタル・パレスで行われたヘンデル音楽祭で、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(George Frideric Handel, 1685–1759)のオラトリオ「エジプトのイスラエル(Israel in Egypt)」の一部が録音されました。指揮はアウグスト・マンス(August Manns, 1825–1907)が務め、資料上では約4,000人規模の合唱をフォノグラフで記録したものとされています。

この録音は、声や短い挨拶だけでなく、大規模な公開演奏を録音しようとした初期の試みでした。音質や判別できる内容には限界がありますが、1888年の時点で、フォノグラフが劇場・祝宴・個人メッセージだけでなく、公開音楽イベントの記録にも使われはじめていたことを示しています。グーローの “phonogramic album” の中でも、音楽録音の可能性を伝える重要な資料です。

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Handel Festival at Crystal Palace [Excerpt of “Israel in Egypt” / Handel] (recording no. 1)Chorus of 4000 voices; August Manns, conductor
Handel Festival at Crystal Palace [Excerpt of “Israel in Egypt” / Handel] (recording no. 2)Chorus of 4000 voices; August Manns, conductor
Handel Festival at Crystal Palace [Excerpt of “Israel in Egypt” / Handel] (recording no. 3)Chorus of 4000 voices; August Manns, conductor

8月14日:リトル・メンロ公開関連録音

1888年8月14日、リトル・メンロでは、ロンドンの報道関係者を迎えたフォノグラフの公開関連録音が行われました。この録音群には、報道関係者への歓迎、エジソンへの祝意、グーローによる紹介、音楽演奏、口笛などが含まれています。フォノグラフを来客の前で実演し、その場の声や音を記録する試みとして、グーローの録音活動をよく示す資料です。

一部の録音は、発話者や演奏者を完全には確認できません。アリス・J・ショー(Alice J. Shaw, 生没年不明)による口笛とされる録音も含まれますが、すべての音声について話者や内容を同じ確度で断定することはできません。それでも、この日の録音群は、フォノグラフが単なる機械の展示ではなく、報道、社交、音楽、音声通信を結びつける媒体として使われはじめていたことを伝えています。

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The phonograph’s welcome to London PressN/A
Piano and cornet (“The lost chord”)unidentified cornet player and pianist
Talks to Mr. EdisonN/A
London Press congratulations to Mr. Edison; Mr. A. M. Broadley continuedAlexander Meyrick Broadley; London Press
London Press congratulations to Mr. Edison [and some unknown whistling (Mrs. Alice J. Shaw?)]London Press; possibly Alice J. Shaw
Letter to Mr. Edison from Col. Gouraud, August 14, Little MenloGeorge Edward Gouraud
Whistling by Mrs. Shaw [Alice J. Shaw], August 14, Little MenloAlice J. Shaw
Col. Gouraud introducing to Edison the representatives of the London PressGeorge Edward Gouraud
Cheers to Mr. Edison by London Press, August 14, Little MenloLondon Press

8月17日:グーロー書簡録音とピアノ独奏

1888年8月17日、リトル・メンロでは、グーローからエジソンへ向けた書簡形式の録音と、マーガレット・バックナル・エア(Margaret Bucknall Eyre, 生没年不明)によるピアノ独奏が記録されました。グーローの録音は、フォノグラフを音声の手紙として使う試みの一部であり、録音された声を離れた相手へ届けるという発想を具体化したものです。

同じ日に記録されたピアノ独奏は、リトル・メンロで声だけでなく器楽演奏も録音されていたことを示しています。公開実演や音声メッセージと並んで、音楽演奏もフォノグラムとして残されていた点で、この日の録音はグーロー周辺の活動範囲を伝える資料です。

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Letter from Col. Gouraud to Mr. Edison, August 17, 1888George Edward Gouraud
Piano solo by Mrs. EyreMargaret Bucknall Eyre

8月30日:ヘンリー・アーヴィングの朗読シリンダー

1888年8月30日、リトル・メンロで、アーヴィングの朗読を記録したシリンダーが作られたとされています。ラベル転写では「Declamation by Henry Irving」と記録されており、リトル・メンロで著名俳優の声を録音しようとしたことがわかります。

録音内容の詳細や現存状態には、資料上確認できない部分があります。そのため、朗読された作品名や具体的な台詞は断定できません。それでも、この録音は、フォノグラフが政治家や発明家のメッセージだけでなく、舞台俳優の声や朗読を残すためにも使われはじめていたことを示す重要な資料です。グーローの周辺では、声そのものを歴史的な記録として保存する意識が強まりつつありました。

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Declamation by Henry IrvingHenry Irving

10月5日:リトル・メンロ晩餐会の祝辞・乾杯挨拶録音群

1888年10月5日、リトル・メンロでは、晩餐会の場で複数の祝辞・乾杯挨拶が録音されました。この録音群には、グーローによる進行や紹介、出席者からエジソンへ向けた挨拶、乾杯の声、歓声などが含まれています。アーサー・サリヴァン(Arthur Sullivan, 1842–1900)は、この場でフォノグラフを体験し、音楽や声が記録されることへの驚きと戸惑いを語りました。

この日の録音は、フォノグラフが単に声を保存する装置ではなく、社交の場そのものを記録する媒体として使われていたことを示しています。録音された祝辞・乾杯挨拶は、発言の内容だけでなく、晩餐会の雰囲気や出席者の反応も含めて残そうとする試みでした。グーローの周辺では、フォノグラフが音声の手紙、公開実演、著名人の声の保存に加えて、集まりの記録にも用いられていました。

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After dinner toast at Little Menlo: Hip hip hooray! (?)George Edward Gouraud; unidentified speakers
After dinner toast at Little Menlo: Sir Arthur Sullivan and A. M. BroadleyArthur Sullivan; Alexander Meyrick Broadley
Mr. Henry Cecil Raikes, Her Majesty’s Postmaster General and Edmund Yates [address to Mr. Edison]Henry Cecil Raikes; Edmund Yates
After dinner toast at Little Menlo: Beginning of toast, listing some of the individuals at the dinnerGeorge Edward Gouraud; unidentified speakers
Mr. Henry Trueman Wood and Mr. James Dredge to EdisonHenry Trueman Wood; James Dredge
After dinner toast at Little Menlo: Opening remarks; Toasts and cheers to Edmund Yates, Sir Arthur Sullivan, A. M. Broadley and Postmaster GeneralGeorge Edward Gouraud; Edmund Yates; Arthur Sullivan; Alexander Meyrick Broadley; Henry Cecil Raikes

11月22日:グラッドストンのエジソン宛メッセージ録音

1888年11月22日、ロンドン(London, United Kingdom)で、グラッドストンの声として伝えられるエジソン宛のメッセージ録音が作られました。ラベル転写では「Voice of Hon. Ewart Gladstone / Message to Mr. Edison / London. November 22, 1888」と記録されています。

この録音は、フォノグラフが著名人の声を保存するだけでなく、特定の相手へ届ける音声メッセージとして使われていたことを示しています。グラッドストンは19世紀イギリス政治を代表する人物であり、その声を録音媒体に残そうとした試みは、グーローの周辺で進められていた著名人録音の収集と深く関わっています。ただし、グラッドストン関連録音には日付や題名の整理に注意が必要な資料もあるため、ここではラベル転写で1888年11月22日とされる録音として扱います。

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Voice of Hon. Ewart Gladstone: Message to Mr. EdisonWilliam Ewart Gladstone

12月6日:英国庶民院議長アーサー・ウェルズリー・ピールの声

1888年12月6日、ウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster)で、アーサー・ウェルズリー・ピール(Arthur Wellesley Peel, 1829–1912)の声を記録したとされるシリンダーが作られました。ピールは当時、英国庶民院(House of Commons of the United Kingdom)の議長を務めていました。ラベル転写では「Voice of The Speaker of House of Commons」と記録されています。

この録音は、公的立場にある人物の声をフォノグラフで保存しようとした初期の事例です。録音内容の完全な確認には限界がありますが、政治家や議会関係者の声を歴史的な記録として残そうとする動きが、1888年末のロンドンで進んでいたことを示しています。グーローの周辺では、音声を単なる実演の記録ではなく、人物そのものを伝える資料として扱う意識が強まっていました。

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Voice of The Speaker of House of CommonsArthur Wellesley Peel

12月22日:ケンブリッジ公爵の声

1888年12月22日、ジョージ・ウィリアム・フレデリック・チャールズ、ケンブリッジ公爵(George William Frederick Charles, Duke of Cambridge, 1819–1904)の声を記録したとされるシリンダーが作られました。後年の補遺では、ラベルの日付読みが「Dec. 22」と訂正されており、このラベル系統では1888年12月22日付の録音として伝わります。

録音内容の完全な確認には限界がありますが、この資料は、王室関係者の声をフォノグラフで保存しようとした初期の事例として重要です。1888年末のリトル・メンロ周辺では、政治家、議会関係者、俳優、作家だけでなく、公的・社会的な地位を持つ人物の声も録音媒体に残そうとする動きが見られました。グーローの “phonogramic album” は、音声をその場限りの実演ではなく、人物の存在を伝える記録として扱う方向へ広がっていきました。

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Voice of The Duke of CambridgeGeorge William Frederick Charles, Duke of Cambridge

1889年の録音

1889年には、グーローの録音活動が、公開実演や音声メッセージから、著名人の声を後世に残す試みへさらに広がりました。政治家、作家、演説家、社会的に知られた人物の声は、フォノグラフで記録され、通信の手段であると同時に、人物の記憶を保存する媒体として受け止められました。

この年の録音で特に重要なのが、ロバート・ブラウニング(Robert Browning, 1812–1889)の朗読録音です。ブラウニングの録音は、文学者本人の声を残した初期の事例として知られています。ただし、この録音は原シリンダーそのものではなく、後年のコピー、転写、複製盤を通じて伝わる録音です。録音日、録音状況、媒体の来歴には、同時代証言と後年研究を照合して確認できる部分と、資料上確定できない部分があります。

4月7日:ロバート・ブラウニングの朗読録音

1889年4月7日、ブラウニングは、画家ルドルフ・リーマン(Rudolf Lehmann, 生没年不明)の晩餐会の場で、自作詩「How They Brought the Good News from Ghent to Aix」の一部をフォノグラフへ録音しました。この録音には、グーローによる導入の声も含まれており、ブラウニング単独による完全な詩朗読ではありません。

ブラウニングは録音の途中で詩句を思い出せなくなり、その後、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の発明への驚きを述べ、自分の名を口にしています。同席者の中には、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831–1907)も含まれていた可能性が指摘されていますが、ヨーゼフ・ヨアヒムの声が同じ原シリンダーに記録されたかどうかは資料上確定できません。

この録音は、後年のコピー、転写、複製盤を通じて知られています。英国放送協会(British Broadcasting Corporation)は、1951年にブラウニング録音を含む白蝋シリンダー群を購入しました。購入以前の来歴には、ハーディング氏(Mr. Harding, 生没年不明)の関係者から得たという説明と、スチュワート・ウェッブ医師(Dr. Stewart Webb, 生没年不明)の遺品だったという説明があり、原シリンダーから英国放送協会所蔵資料までの経路は資料上確定できません。

この録音は、文学者本人の声を残した初期の事例であると同時に、グーローの “phonogramic album” が著名人の声を歴史的資料として保存しようとした構想を示しています。ブラウニングは同年に死去しており、この録音は19世紀文学と初期フォノグラフ文化が交差する資料でもあります。

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How They Brought the Good News from Ghent to AixRobert Browning; George Edward Gouraud

1889年に記録された可能性のあるその他の録音

1889年には、ブラウニングの朗読録音のほかにも、リトル・メンロ周辺で来訪者や著名人の声を記録した可能性がある録音が伝わっています。ただし、これらの録音には、録音日、話者、題名、現存状態を資料上完全には確認できないものが含まれます。後年のラベル転写や所蔵経路から存在をたどることはできますが、すべてを同じ確度で年表上の録音として並べることはできません。

グーローの録音活動では、声そのものが記念品であり、通信手段であり、人物の存在を残す資料でもありました。そのため、録音は詩や音楽だけに限られず、挨拶、短いメッセージ、来訪者の発話、公的な人物の声など、多様な形で残された可能性があります。1889年の録音群は、フォノグラフが文学者の朗読を保存する装置であると同時に、社会的に知られた人物の声を集める媒体として使われていたことを示しています。

1890年の録音

1890年には、グーローの周辺で進められていた著名人録音の流れが、文学、社会活動、興行、慈善活動へ広がっていきました。アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1809–1892)の朗読録音、フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale, 1820–1910)の音声メッセージ、P・T・バーナム(P. T. Barnum, 1810–1891)に関わる録音は、フォノグラフが著名人の声を保存するだけでなく、人物の権威、記憶、呼びかけを音声として伝える媒体になっていたことを示しています。

この年の録音には、録音日や録音内容を比較的確認しやすいものがある一方で、後年のラベル転写や所蔵経路に依存するものもあります。グーローの “phonogramic album” に関わる1890年の録音は、単一の録音企画として整えられたものではなく、訪問、依頼、記念、社会的メッセージの中で作られた音声記録群として考える必要があります。

7月30日/フローレンス・ナイチンゲールの録音

1890年7月30日、フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale, 1820–1910)の声がフォノグラフに録音されました。この録音は、クリミア戦争(Crimean War)の軽騎兵旅団救済基金(Light Brigade Relief Fund)に関わるものとして作られ、バラクラヴァ(Balaclava)の旧兵士たちへ向けたメッセージを含んでいます。

この録音は、ナイチンゲール本人の声を伝える貴重な音声記録です。グーローの周辺で進められていた著名人録音の流れの中で、政治家や作家だけでなく、社会事業や医療改革に関わる人物の声も保存の対象になっていたことを示しています。録音された声は、記念として残されるだけでなく、慈善活動や社会的な呼びかけにも用いられていました。

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Florence Nightingale: greetings to the dear old comrades of BalaclavaFlorence Nightingale

アルフレッド・テニスンの朗読録音

1890年頃、テニスンの朗読がフォノグラフに録音されたとされています。テニスンは、19世紀イギリス文学を代表する詩人であり、その声を録音しようとした試みは、グーローの周辺で進められていた著名人録音の流れと重なります。

この録音については、録音日、録音場所、朗読された作品名、現存状態を資料上完全には確認できません。そのため、特定の詩の題名を断定せず、テニスン本人の朗読録音として扱います。ブラウニングの朗読録音と同じく、文学作品が印刷された文字だけでなく、作者本人の声として残されようとしていたことを示す重要な音声記録です。

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Alfred Tennyson readingAlfred Tennyson

P・T・バーナムの録音

1890年頃、バーナムの声も、グーロー周辺の著名人録音のひとつとして記録されたとされています。バーナムは、興行師、見世物興行の経営者、サーカス事業の人物として広く知られており、その声をフォノグラフに残そうとした試みは、文学者や政治家だけでなく、大衆娯楽の世界で名を知られた人物も録音対象になっていたことを示しています。

ただし、この録音については、録音日、録音場所、録音内容、現存状態を資料上完全には確認できません。そのため、特定の題名を持つ録音としては扱わず、バーナムに関わる録音記録として慎重に位置づけます。グーローの “phonogramic album” は、政治、文学、舞台、社会活動だけでなく、興行や大衆文化の人物の声も保存しようとする広がりを持っていました。

1890年に記録された可能性のあるその他の録音

1890年には、ナイチンゲール、テニスン、バーナムに関わる録音のほかにも、グーロー周辺で著名人や来訪者の声が記録された可能性があります。リトル・メンロでは、フォノグラフが実演用の機械としてだけでなく、人物の声を残すための記念媒体として使われていました。

録音の対象は、文学者、政治家、社会活動家、興行関係者に限られていたわけではありません。グーローの交友関係や紹介を通じて、さまざまな人物の声が録音された可能性があります。ただし、これらの録音には、録音日、話者、題名、録音内容、現存状態を資料上確認できないものも含まれます。後年のラベル転写や所蔵経路だけでは、録音年や話者を十分に確定できない場合があります。

1890年に記録された可能性のある録音は、グーローの “phonogramic album” が、特定の作品集ではなく、声そのものを集めて保存しようとした広い構想の中で作られていたことを伝えています。

1891年の録音

1891年には、グーローの周辺で続いていた著名人録音の流れが、教育、宗教、社会的発言の領域へも広がっていきました。アイザック・ピットマン(Isaac Pitman, 1813–1897)に関わる録音は、速記法や言語教育の分野で知られた人物の声を残そうとしたものです。ヘンリー・エドワード・マニング枢機卿(Henry Edward Manning, 1808–1892)に関わる録音は、宗教的・社会的影響力を持つ人物の声もフォノグラフに記録されていたことを示しています。

この時期の録音は、すべての録音日や内容を資料上完全に確認できるわけではありません。それでも、グーローの “phonogramic album” が、政治家、作家、俳優、音楽家だけでなく、教育者や宗教者の声も含む広い音声コレクションとして形成されていたことは確認できます。1891年の録音は、フォノグラフが人物の発言や思想を声として保存する媒体へ広がっていたことを伝えています。

アイザック・ピットマンの録音

1891年には、ピットマンの声も、グーロー周辺の録音活動に関わる音声記録として伝わっています。ピットマンは、速記法の普及で知られた人物であり、教育、出版、言語記録の分野で大きな影響を持っていました。その声をフォノグラフに残そうとした試みは、グーローの “phonogramic album” が、政治家や文学者だけでなく、知識や教育に関わる人物の声も保存の対象としていたことを示しています。

ただし、この録音については、録音日、録音場所、録音内容、現存状態を資料上完全には確認できません。そのため、特定の題名を持つ録音としては扱わず、ピットマンに関わる録音記録として慎重に位置づけます。声を記録するフォノグラフは、演説や朗読だけでなく、教育者・改革者の存在を音声として残す媒体にもなりはじめていました。

ヘンリー・エドワード・マニング枢機卿の録音

1891年には、マニング枢機卿の声も、グーロー周辺の録音活動に関わる音声記録として伝わっています。マニング枢機卿は、ウェストミンスター大司教(Archbishop of Westminster)を務めた宗教者であり、19世紀イギリスの宗教・社会問題に大きな影響を持っていました。その声をフォノグラフに残そうとした試みは、グーローの “phonogramic album” が、政治家や文学者だけでなく、宗教的・社会的影響力を持つ人物の声も保存の対象としていたことを示しています。

ただし、この録音については、録音日、録音場所、録音内容、現存状態を資料上確認できない部分があります。そのため、特定の題名を持つ録音としては扱わず、マニング枢機卿に関わる録音記録として慎重に位置づけます。フォノグラフは、演説や朗読を残す装置であると同時に、人物の思想や社会的な存在感を声として伝える媒体にもなりはじめていました。

1891年に記録された可能性のあるその他の録音

1891年には、ピットマンやマニング枢機卿に関わる録音のほかにも、グーロー周辺で著名人や来訪者の声が記録された可能性があります。リトル・メンロでは、フォノグラフが発明品の実演装置としてだけでなく、人物の声を集め、保存し、あとから聞き直すための媒体として使われていました。

この時期の録音には、教育、宗教、政治、文学、社交に関わる人物の声が含まれていた可能性があります。ただし、録音日、話者、題名、録音内容、現存状態を資料上確認できないものもあり、後年のラベル転写や所蔵経路だけでは、個別の録音として確定できない場合があります。

1891年に記録された可能性のある録音は、グーローの “phonogramic album” が、完成した作品集ではなく、さまざまな人物の声を集めながら形成された初期の音声コレクションであったことを伝えています。

日付・同定に関する補足

グーローの “phonogramic album” に関わる録音は、現存するシリンダー、ラベル転写、所蔵経路、後年の研究資料によって伝えられています。録音された当時の情報がそのまま残っているものもあれば、後年に付けられたラベルや整理情報を手がかりに内容をたどるものもあります。

そのため、録音日、録音場所、話者、題名、録音内容をすべて同じ確度で確認できるわけではありません。グラッドストン関連録音やケンブリッジ公爵関連録音のように、複数の日付や異なる説明が伝わるものもあります。資料上、ひとつの録音を指しているのか、別の録音を指しているのかが明確でない場合は、日付や内容をひとつに固定することはできません。

初期フォノグラフ録音は、のちの商業レコードのように、発売情報やカタログ番号によって統一的に整理されたものではありませんでした。声を録音し、送付し、保存する行為そのものが新しい試みであり、記録の残り方にもばらつきがあります。グーローの録音群は、確認できる情報と未確定の情報が重なりながら伝わる、初期録音史の資料です。

グラッドストン関連録音の日付整理

グラッドストンに関わる録音には、1888年11月22日と1888年12月18日という複数の日付が伝わっています。ラベル転写では、「Voice of Hon. Ewart Gladstone / Message to Mr. Edison / London. November 22, 1888」と記録された録音が確認できます。この資料では、グラッドストンの声として伝えられるエジソン宛のメッセージ録音が、1888年11月22日にロンドンで作られたものとして扱われています。

一方で、別資料では、グーローがグラッドストンを紹介するエジソン宛の録音が、1888年12月18日付の「The Phonograph’s Salutation」に関わる録音として説明されています。この日付が、11月22日のメッセージ録音とは別の録音を指すのか、同じ録音群の別整理を指すのかは、資料上完全には確認できません。

そのため、グラッドストン関連録音は、1888年11月22日のエジソン宛メッセージ録音と、1888年12月18日付で伝わるグーローによる紹介録音を分けて考える必要があります。パワーズの「The Phonograph’s Salutation」と同じ語句が使われる資料もありますが、同じ録音として扱うことはできません。グラッドストンの声をめぐる資料は、初期フォノグラフ録音が音声メッセージ、紹介、保存資料として複数の形で整理されてきたことを示しています。

ケンブリッジ公爵関連録音の日付整理

ケンブリッジ公爵に関わる録音には、1888年12月8日と1888年12月22日という複数の日付が伝わっています。後年の補遺では、ラベルの日付読みが「Dec. 22」と訂正されており、このラベル系統では1888年12月22日付の録音として伝わります。

一方で、1888年12月8日という日付で説明される例もあります。この日付が録音日を示すのか、受領日、整理日、再生や紹介に関わる日付を示すのかは、資料上確認できません。ケンブリッジ公爵関連録音では、1888年12月22日付で伝わる資料が確認できる一方、1888年12月8日という日付の位置づけは未確認です。

ケンブリッジ公爵の録音は、王室関係者の声をフォノグラフで保存しようとした初期の事例です。ただし、日付については資料ごとの記述に差があり、録音日・ラベル日付・後年の整理情報が一致するかどうかは資料上確認できません。

リトル・メンロ録音群の所蔵経路

リトル・メンロで作られた録音群は、ひとつの完成したアルバムとしてまとまって保存されたものではありません。録音後のシリンダーは、グーローの周辺に残されたもの、後年に別の所有者へ移ったもの、研究者や収集家を通じて記録されたものなどに分かれて伝わっています。現在知られている録音群も、現存するシリンダーだけでなく、ラベル転写、旧蔵者の記録、後年の研究資料を通じて内容がたどられています。

このような伝わり方は、グーローの “phonogramic album” が、商業レコードのように製造・発売・保管された録音集ではなかったことを物語っています。来客の声、著名人の挨拶、音声メッセージ、朗読、音楽演奏は、その時点で可能な方法で録音されましたが、後年の保存状態や整理方法は一様ではありませんでした。

一部の録音は、英国放送協会(British Broadcasting Corporation)や研究機関、図書館、博物館に関わる所蔵・調査を通じて知られるようになりました。ただし、録音された当時の情報と、後年に付けられたラベルや目録情報が常に一致するとは限りません。リトル・メンロ録音群には、音として残ったもの、ラベルで伝わるもの、所蔵経路によって存在が確認されるものが重なっています。

ラベル転写と後年資料による確認限界

リトル・メンロ録音群の多くは、録音された当時の完全な記録だけでなく、シリンダーに付けられたラベル、後年の転写、所蔵者の記録、研究資料を通じて伝わっています。ラベルには録音日、話者、録音場所、題名らしき情報が残されている場合がありますが、それが録音当日に書かれたものなのか、後年に整理されたものなのかを確認できないこともあります。

ラベルに書かれた人物名や日付が、実際の録音内容と完全に一致しているとは限りません。初期のシリンダーには、保存状態の悪化によって音声の聞き取りが難しくなっているものもあります。音から直接内容を確かめられない場合、ラベル転写や所蔵経路は重要な手がかりになりますが、それだけで話者や録音日を断定することはできません。

グーローの “phonogramic album” には、録音日を比較的確認しやすいものと、後年資料によって存在が伝わるものが混在しています。その不確かさも、音声を記録し、送り、保存する方法がまだ定まっていなかった時代の痕跡です。ラベル、所蔵経路、研究記録が重なり合うことで、リトル・メンロ録音群は初期フォノグラフ文化の複雑な姿を伝えています。

グーローの “phonogramic album” の意義

グーローの “phonogramic album” は、録音がまだ商業レコードとして定着する前に、声を集め、送り、保存しようとした初期の音声コレクションです。そこには、音楽作品だけでなく、挨拶、祝辞、朗読、演説、音声メッセージが含まれていました。フォノグラフは、音を再生する珍しい機械であると同時に、人物の声を遠くへ届け、あとから聞き直すための媒体として使われはじめていました。

この録音群の意義は、録音された内容そのものだけにあるわけではありません。グーローの周辺では、作家、俳優、政治家、宗教者、社会活動家、王室関係者など、社会的に知られた人物の声を残すことに大きな価値が見いだされていました。印刷物や肖像写真では伝えられない声の響き、話し方、間、ためらいが、歴史的な記録として意識されはじめていたのです。

また、この録音群は、文学、演説、音楽、通信、社交がまだ分かれていない時代のフォノグラフ文化を伝えています。ひとつの録音が、手紙であり、記念品であり、公開実演の材料であり、著名人の記録でもありました。グーローの “phonogramic album” は、のちのレコード産業や音声アーカイブに先立って、録音された声が社会の中でどのような意味を持ちうるのかを示した重要な資料です。

音声の手紙としてのフォノグラム

グーローの “phonogramic album” では、録音された声が、離れた相手へ届ける手紙のように扱われていました。フォノグラムは、紙に書いた文章ではなく、話し手の声そのものを相手へ送る新しい通信の形でした。エジソンへ向けた音声メッセージや、リトル・メンロで作られた書簡形式の録音には、フォノグラフを通信媒体として使おうとする意識が表れています。

声で送られる手紙には、文字だけでは伝わらない響きや抑揚が含まれていました。挨拶、祝意、紹介、短い発話は、録音されることでその場を離れ、別の場所で再生されるものになりました。リトル・メンロで作られた録音は、発話の瞬間を保存し、時間と距離を越えて届けることができるというフォノグラフの可能性を示していました。

グーローの録音群では、フォノグラフは音を珍しく再生する機械であるだけでなく、人の声を運ぶ媒体でもありました。音声の手紙としてのフォノグラムは、初期フォノグラフ文化の中で、通信、記念、保存がまだ分かれていなかった時代の姿をよく示しています

著名人の声を保存する試み

グーローの “phonogramic album” では、著名人の声を録音し、保存することにも大きな関心が向けられていました。作家、俳優、政治家、宗教者、社会活動家、王室関係者などの声は、文字や肖像とは異なる形で残されました。声には、話し方、抑揚、間、年齢や体調までがにじみ出るため、フォノグラフは人物の存在をより直接的に伝える記録手段として受け止められていました。

ブラウニングやテニスンの朗読録音では、文学作品が作者本人の声として残されました。アーヴィングの朗読シリンダーは、舞台俳優の声を記録した初期の例です。グラッドストン、ピール、ケンブリッジ公爵に関わる録音には、政治や公的立場にある人物の声を歴史的な資料として残そうとする意識が見られます。ナイチンゲールやマニング枢機卿に関わる録音からは、社会活動や宗教的影響力を持つ人物の声も、保存の対象になっていたことがわかります。

これらの録音は、音楽作品を販売するために作られた商業レコードとは性格が異なります。録音を再生すれば、本人がその場にいなくても、その声をもう一度聞くことができます。著名人の声を保存する動きは、フォノグラフが珍しい実演装置から、記憶と歴史を残す媒体へ広がっていく過程を示しています。

文学・演説・音楽録音の混在

グーローの “phonogramic album” には、文学、演説、音楽、挨拶、音声メッセージが混在していました。ブラウニングやテニスンの朗読では、文学作品が作者本人の声として残されました。グラッドストンやピールに関わる録音では、公的な人物の声が記録されました。ヘンデル音楽祭録音やリトル・メンロでの器楽演奏からは、フォノグラフが音楽を記録する装置としても使われはじめていたことがわかります。

この時期のフォノグラフ録音では、音楽、朗読、演説、口述が、のちの商業レコードのようにはっきり分かれていたわけではありませんでした。ひとつの録音が、実演の記録であり、音声の手紙であり、記念品であり、著名人の声の保存でもありました。声や音を残すこと自体が新しい経験であり、録音の用途はまだ定まっていませんでした。

この混在は、グーローの “phonogramic album” の大きな特徴です。録音群からは、録音が商業音楽の媒体になる前に、文学、政治、社交、音楽、通信を横断する新しい記録手段として受け止められていた時代の姿が見えてきます。

録音アルバム以前の音声コレクション

グーローの “phonogramic album” は、のちの商業レコードや録音アルバムとは異なる性格を持っていました。決まった曲順を持つ商品ではなく、来訪者の声、書簡形式の録音、公開実演、記念の挨拶、保存を目的とした録音が、少しずつ集められていった音声コレクションでした。

そこに含まれる録音は、音楽作品だけではありません。詩人の朗読、政治家の声、俳優の発話、宗教者や社会活動家のメッセージ、晩餐会の祝辞・乾杯挨拶、器楽演奏などが、同じ録音群の中に並んでいました。録音という行為は、まだ特定のジャンルや商品形式に固定されておらず、人の声やその場の出来事を残すための新しい手段として受け止められていました。

“phonogramic album” という呼び名には、声を集め、保存し、あとから聞き返すという発想が表れています。グーローの録音群は、録音アルバムが商業音楽の形式として成立する前に、人の声や出来事を集めて残そうとした初期の音声コレクションでした。

References