Music recorded in April 1920

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Music recorded in April 1920

1920年4月は、第一次世界大戦後の秩序再編が各地で具体化した月でした。4月15日にはアメリカ合衆国マサチューセッツ州サウスブレインツリーで、のちにニコラ・サッコ(Nicola Sacco, 1891–1927)とバルトロメオ・ヴァンゼッティ(Bartolomeo Vanzetti, 1888–1927)の裁判へつながる襲撃殺害事件が起きました。4月19日–26日のサンレモ会議(Conference of San Remo)では旧オスマン帝国領の処理が協議され、4月23日にはアンカラでトルコ大国民議会(Grand National Assembly of Türkiye)が開会しました。同じ4月23日にはアントウェルペンで第七回オリンピック競技大会(Games of the VII Olympiad)のアイスホッケー競技が始まり、4月25日にはポーランド・ソビエト戦争(Polish-Soviet War)の一環としてポーランド軍がキーウ攻勢を開始しました。4月26日にはハーロー・シャプレー(Harlow Shapley, 1885–1972)とヒーバー・ダウスト・カーティス(Heber Doust Curtis, 1872–1942)による宇宙の尺度をめぐる公開討論が行われ、4月28日にはアゼルバイジャン民主共和国(Azerbaijan Democratic Republic)の独立体制が崩れました。

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1920年4月の録音に関する情報のまとめ

1920年4月の録音業界では、月初の新譜投入、蓄音機本体の改良宣伝、地方販売店を通じた流通拡大が並行して進んでいました。業界紙では輸出市場の継続も確認でき、アメリカ合衆国内外でレコードと蓄音機の販売がなお活発だったことが分かります。当月の紙面で活動を確認できる企業としては、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)、パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Company)、ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(Okeh Records)、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)、スター・ピアノ社(Starr Piano Company)のジェネット・レコード(Gennett Records)、エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)が挙げられます。

Victor

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、1920年4月1日付の広告で4月新譜の発売を告知していました。地方紙でも4月のヴィクター盤が月初から店頭に並ぶことが案内されており、販売網を通じた毎月一斉の供給体制が維持されていたことが確認できます。

Columbia

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は、1920年4月の広告でコロムビア・グラフォノラ(Columbia Grafonola)の自動停止機構を前面に出していました。4月の複数紙では、この機構がモーター内部に組み込まれ、長短さまざまなレコードに対応する点が繰り返し訴求されており、同月の販促が機械本体の改良にも向いていたことが分かります。

Edison

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)については、1920年4月の紙面でエジソン・ダイアモンド・ディスク(Edison Diamond Disc)の販売継続が確認できます。ニュージーランドの広告では、エジソン・ダイアモンド・ディスクが他のディスク商品と並んで店頭在庫として示されており、同社製品が海外市場でも流通していたことが分かります。

Brunswick

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、1920年4月中旬の広告でブランズウィック・レコード(Brunswick Records)の投入を大きく告知していました。4月16日付と4月17日付の紙面では、ブランズウィック盤を新たに売り出すことが説明されており、蓄音機とレコードを一体で市場に押し出す姿勢が見て取れます。

putty

パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Company)は、1920年4月の紙面でパテ盤とパテ機の販売を継続していました。4月22日付紙面ではパテ・レコードの販売拠点が告知され、4月27日付紙面ではパテ盤が他社機でも再生できることが売りにされていました。別地域の4月10日–11日付広告でも、パテ機と最新パテ盤を扱う販売店の存在が確認できます。

OK

ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(Okeh Records)は、1920年4月2日付紙面で新譜として広告されていました。業界紙ではデトロイトの販売拠点も確認でき、当月の段階で地方配給網の整備が進んでいたことが分かります。

Sonora

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)は、1920年4月の広告で機械の高級性と再生能力を前面に出していました。4月8日付紙面では高級機としての位置づけが示され、4月17日付にはルイ十五世様式の機種、4月28日付には他社製ディスクも再生できる点が訴求されており、音質と意匠の両面から販促が行われていました。

Jennette

スター・ピアノ社(Starr Piano Company)のジェネット・レコード(Gennett Records)は、1920年4月の地方紙面で継続的に販売広告を出していました。4月17日付の広告ではダンス向け楽曲の供給が示され、4月23日付には販売拠点が明示されており、中西部市場での流通が続いていたことが確認できます。

Vocalion

エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)は、1920年4月の広告で蓄音機とレコードを一体の商品群として訴求していました。4月9日付および4月28日付の紙面ではエオリアン=ヴォカリオン名義の販促が確認でき、4月30日付紙面では垂直式ヴォカリオン盤の処分広告も見られるため、月末には店頭在庫の整理も進んでいたことが分かります。