1920年に録音された音楽

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1920年に録音された音楽

1920年は、第一次世界大戦後の秩序が条約と制度として実際に動き出し、同時に各地の不安定さも露わになった年でした。1920年1月10日、ヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)が発効し、同日に国際連盟(League of Nations)が正式に発足します。戦後処理は「終戦」ではなく、国境・主権・少数者・賠償・委任統治といった論点を、継続的な政治課題として世界に固定していきました。6月4日のトリアノン条約(Treaty of Trianon)や、8月10日のセーヴル条約(Treaty of Sèvres)など、講和条約群は中欧から中東にかけての地図を大きく塗り替え、のちの紛争の伏線にもなります。北極圏でも、スヴァールバル条約(Svalbard Treaty/旧称スピッツベルゲン条約)が1920年2月9日に調印され、資源・通商・非軍事的利用をめぐる枠組みが国際合意として設定されました。

一方、戦後社会の緊張は各国の内政を揺さぶります。ドイツではカップ一揆(Kapp Putsch、1920年3月)が発生し、革命後の体制がなお脆弱であることが示されました。東欧ではポーランド=ソビエト戦争(Polish–Soviet War)が続き、1920年8月のワルシャワの戦い(Battle of Warsaw, 1920年8月12日–25日)ではポーランド側が勝利して戦局が転回します。アイルランドでは、統治制度の再編を意図したアイルランド統治法(Government of Ireland Act 1920)が1920年12月23日に裁可され、分割統治の制度化が進みました。

植民地支配と民族運動の力学も加速します。インドでは、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869–1948)が主導する非協力運動(Noncooperation movement, 1920–1922)が本格化し、大衆動員と非暴力抵抗が近代政治の主要な手法として可視化されました。日本でも1920年5月2日、東京で初のメーデー(May Day)が開催され、労働時間や失業などをめぐる要求が公共空間で表明されます。こうした社会運動の広がりは、都市文化と大衆娯楽の受け皿を拡張し、音楽や興行が「政治や生活の空気」を反射する条件を強めていきました。

アメリカ合衆国では、1920年1月17日に全国禁酒法(National Prohibition Act、通称ヴォルステッド法)の施行で禁酒法時代が始まり、都市の夜の娯楽と地下経済を大きく変質させます。8月18日にはアメリカ合衆国憲法修正第19条(Nineteenth Amendment)が発効し、女性参政権が連邦憲法上で保障されました。同年は景気面でも波乱があり、米国を含む諸国で1920–1921年不況(Recession of 1920–1921)が進行し、戦時経済から平時経済への転換がいかに痛みを伴うかが示されます。政治的暴力も現実化し、9月16日のウォール街爆破事件(Wall Street bombing, 1920)は都市の緊張と治安不安を象徴する出来事となりました。

国際社会の「再開」を象徴する舞台として、アントワープ・オリンピック(Antwerp 1920 Olympic Games, 1920年4月20日–9月12日)も重要です。開会式では五輪旗が初めて掲揚され、またベルギーのフェンサーであるヴィクトル・ボワン(Victor Boin, 1886–1974)が五輪宣誓を初めて行い、儀礼とメディア性を備えた近代スポーツの形式が整えられました。科学の領域でも、宇宙観をめぐる「大討論」が開催されます。1920年4月26日、ハーロー・シャプレー(Harlow Shapley, 1885–1972)とヒーバー・カーティス(Heber D. Curtis, 1872–1942)がワシントンD.C.で行ったシャプレー=カーティス論争(Great Debate/Shapley–Curtis Debate)は、銀河系と渦巻星雲の位置づけを争点に、世界像そのもののスケールを問い直しました。

この時代の「大衆の耳」を決定的に変えるのが、放送と録音の交差です。1920年11月2日、ピッツバーグのKDKAが大統領選の開票速報を放送し、ラジオ放送(radio broadcasting)が公共情報の伝達手段として現実の力を持ち始めます。録音面では、マミー・スミス(Mamie Smith, 1883–1946)が歌った「Crazy Blues」が1920年8月10日に録音され、同年11月に発売されました。同曲はしばしば、アフリカ系アメリカ人女性歌手による商業レコードの画期として語られ、以後の米国録音産業におけるレパートリーと市場の組み替えを示す指標になります。さらに、ドイツ表現主義映画の代表作として知られる『カリガリ博士』(The Cabinet of Dr. Caligari, 1920年公開)のように、映画もまた都市の不安や心理を造形化し、音楽・映像・興行が同じ観客層を共有しながら大衆文化の基盤を厚くしていきました。1920年は、戦後の制度設計、社会運動、経済変動、災害や暴力、そして新しいメディア回路が同時進行で絡み合い、のちに「1920年代の音」を形づくる環境が急速に整っていく転換点でした。