1957年に録音された音楽

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1957年に録音された音楽

1957年は、第二次世界大戦後の国際秩序が「軍事と科学」「統合と独立」「大量消費と大衆文化」という複数の軸で一気に加速した年でした。冷戦下の技術競争を象徴したのが、ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)によるスプートニク1号(Sputnik 1)の打ち上げ(1957年10月4日)で、人工衛星が現実の政治・軍事・産業を直接揺さぶる時代の入口を示しました。さらにスプートニク2号(Sputnik 2)は犬のライカ(Laika, 生没年不明)を地球周回に乗せ、宇宙開発が「生命」をも巻き込む段階へ踏み出したことを世界に印象づけます。同じく科学の側では、国際地球観測年(International Geophysical Year)が1957年7月1日に始まり、東西対立の緊張を抱えつつも、地球・太陽・大気などを国際協力で観測する枠組みが大きく拡張されました。

ヨーロッパでは、ローマで1957年3月25日に欧州経済共同体を設立する条約(Treaty establishing the European Economic Community)と欧州原子力共同体を設立する条約(Treaty establishing the European Atomic Energy Community)が署名され、戦争を繰り返さないための「統合」を制度として固定する流れがはっきりします。 原子力をめぐっては、国際原子力機関(International Atomic Energy Agency)の憲章が1957年7月29日に発効し、核技術の平和利用と管理を国際機構の議題として扱う現代的な土台が整っていきます。その一方で、イギリスのウィンズケール火災(Windscale fire、1957年10月)に見られるように、核の利用が安全保障や産業の希望と同時に、深刻なリスクを伴うことも現実の出来事として刻まれました。

「独立」のうねりも1957年の重要な輪郭です。ガーナ(Ghana)は1957年3月6日に独立し、クワメ・ンクルマ(Kwame Nkrumah, 1909–1972)が新国家の門出を宣言しました。東南アジアでも、マラヤ連邦(Federation of Malaya)が1957年8月31日に独立を迎え、トゥンク・アブドゥル・ラーマン・プトラ・アル=ハジ(Tunku Abdul Rahman Putra Alhaj, 1903–1990)が独立を宣布します。こうした政治地図の塗り替えは、資源・貿易・移民・メディア流通の回路にも影響し、音楽や映画が「どこで、誰に、どう届くか」という条件を長期的に変えていきました。

社会の内部変化としては、アメリカ合衆国で1957年公民権法(Civil Rights Act of 1957)が1957年9月9日に成立し、連邦政府が公民権を扱う制度的な枠を強めていく節目になります。同年9月のリトルロック・セントラル高校(Little Rock Central High School)をめぐる統合の衝突では、連邦の介入が可視化され、テレビと新聞がその緊張を国内外へ増幅しました。健康面では、1957年–1958年インフルエンザ・パンデミック(1957–1958 influenza pandemic、いわゆるアジアかぜ)が世界規模で拡大し、ジェット化・都市化・大衆移動の時代に感染症がどう伝播するかを突きつけます。

大衆文化の側では、ロックンロールが映画・ラジオ・レコード産業と密に結びつき、「スターの身体」と「複製メディア」の相互増幅が一段と強まりました。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935–1977)の「監獄ロック」(Jailhouse Rock)は1957年9月にシングルとして発売され、楽曲と映像が一体で消費される回路を代表します。 同時期に、バディ・ホリー(Buddy Holly, 1936–1959)とザ・クリケッツによる「ザットル・ビー・ザ・デイ」(That’ll Be the Day)がヒットし、ギター編成のバンド・サウンドが「若者の標準語」へ近づいていく流れを後押ししました。イギリスではキャヴァーン・クラブ(The Cavern Club)が1957年1月に開店し、戦後の港湾都市の地下空間が、やがて世界的なポピュラー音楽の実験場へつながっていく下地が静かに作られていきます。1957年は、国家・科学・健康・権利・娯楽がそれぞれ別々に動いているようでいて、実際には同じ通信網と輸送網、そしてマスメディアの拡大によって結び直され、世界が「同時代性」を帯び始めた転換点として位置づけられます。