1910年に録音された音楽

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1910年に録音された音楽

1910年は、帝国の再編と大衆社会の制度化が同時に進み、のちの世界秩序を形作る前提が各地で積み上がった年です。ヨーロッパでは、エドワード7世(Edward VII, 1841–1910)の死去(1910年5月6日)によって英国王位がジョージ5世(George V, 1865–1936)へ移り、議会政治の緊張のなかで王権と立憲政治の関係が改めて問われました。ポルトガルでは10月5日の革命で王政が倒れ、テオフィロ・ブラガ(Teófilo Braga, 1843–1924)を長とする暫定政府のもとで第一共和政(First Portuguese Republic)が始まります。アフリカ南端では、南アフリカ法(South Africa Act 1909)に基づき1910年5月31日に南アフリカ連邦(Union of South Africa)が成立し、英帝国内の自治領として統合国家の枠組みが整えられました。東アジアでは日韓併合条約(Japan–Korea Annexation Treaty)が1910年8月に締結され、8月29日に併合が公布されます。アメリカ大陸でも、長期政権を築いたポルフィリオ・ディアス(Porfirio Díaz, 1830–1915)への反発が高まり、フランシスコ・I・マデロ(Francisco I. Madero, 1873–1913)が『サン・ルイス・ポトシ計画(Plan of San Luis Potosí)』で蜂起を呼びかけ、1910年11月20日の蜂起を起点にメキシコ革命(Mexican Revolution)が始まります。

変化は政治だけではありません。国際協調を制度化しようとする動きとして、アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835–1919)は1910年にカーネギー国際平和基金(Carnegie Endowment for International Peace)を創設し、戦争を回避可能な制度問題として扱う研究と外交の回路を後押ししました。同時代の論争的な書物として、ノーマン・エンジェル(Norman Angell, 1872–1967)の『The Great Illusion』(1910年版)は、戦争と経済利益の関係をめぐる議論を広げます。社会制度の側では、ウィリアム・D・ボイス(William D. Boyce, 1858–1929)らがボーイスカウト・オブ・アメリカ(Boy Scouts of America)を1910年2月8日に法人化し、都市化の時代に青少年を組織化する枠組みが拡張しました。法制度でも、米国ではいわゆるマン法(Mann Act/White-Slave Traffic Act)が1910年6月25日に制定され、移動と性をめぐる統制が連邦法として強化されます。医学・教育でも、カーネギー教育振興財団(Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching)の委嘱でエイブラハム・フレクスナー(Abraham Flexner, 1866–1959)がまとめた『Medical Education in the United States and Canada』が1910年に刊行され、科学に基づく医学教育の標準化を掲げて学校の統廃合と教育改革を促しました。

自然現象と災害は、近代都市の脆弱さと情報の波及力を可視化しました。パリではセーヌ川の大洪水(1910年1月)で市街の交通・上下水道・鉄道が麻痺し、1月28日には水位が8.62mに達します。北米西部では1910年8月20日–21日に「Big Blowup」と呼ばれる大火災が拡大し、300万エーカー超が焼失して多数の死者を出しました。空ではハレー彗星(Halley’s Comet)が1910年に回帰し、地球が尾を通過すると予測された5月には社会不安と科学知の流通が交差する騒動も生まれます。科学が新聞・広告・商品と結びつき、恐怖と好奇心が同じ回路で増幅される構図は、20世紀的なメディア環境の先取りでした。

文化面では、ロシア文学の巨人レフ・トルストイ(Leo Tolstoy, 1828–1910)が1910年11月20日に死去し、宗教・倫理・国家をめぐる問いが世紀をまたいで継承されます。同年6月25日、パリではイーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882–1971)のバレエ『火の鳥』(The Firebird)が初演され、舞台芸術は民族的想像力と都市の消費文化を接続する新しい磁場を作りました。録音・再生技術も家庭の娯楽装置として改良が続き、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Co.)の機関誌は1910年初頭に「Amberola」を前面に掲げて販路拡大を図っています。政治、制度、災害、科学、芸術、そして音のメディアが同じ速度で近代化する1910年は、世界が一つのニュース空間へ収斂していく過程を、具体的な出来事として刻み込んだ年だと言えます。